【自己紹介】理系院卒から税理士へ転生する男"とらまる"です。~ベンジャミンバトン並みの数奇な人生~
初めまして。とらまると申します。
練習で何本かフライング投稿してしまいましたがこの度noteを開設しました。ベンジャミンバトン並みの数奇な人生で大変恐縮ですが、改めてnoteを書く目的/内容、経歴を記していこうと思います。
プロフィール
なぜnoteを書くのか
理由は「仲間集め」です。モンキー・D・ルフィー的なことを言っておりますが何の仲間か。
『勉強仲間』です。
これまでの人生で学生期間、社会人期間、問わず比較的勉強に時間をかけてきた方かな?と思ってます。成績こそ凡人そのものですが。
勉強をする目的、目標は人それぞれかとは思いますが、基本的には自分の為にやるものだと思ってます。
なので、誰かに言われたからやるとか、誰かがやってるからやるとか、そういう話ではないです。
ただ、勉強というのは非常に孤独で心細く、時には自己肯定感を下げるものです。
仲間がいれば、相談をして、励まし合って、負の感情でも共有して、何とか前に進めるのではないかと考えています。
X(旧Twitter)でブツブツつぶやくのもいいのですが、ひと手間noteに見に来てもらうことによって仲間感が構築できればいいのかなと思います!
余談ですが、ブログに加えてYouTubeを始めてみたりしています。後述しますが常時、戦闘不能になる可能性を秘めており今のうちに頑張りたいので、チャンネル登録してくださると嬉しいです!!
何を書くのか
一言で表すなら「学び」です。かなり抽象的ですがテーマとしては下記です。
科目は??というところで特に縛りはありませんが、書けることとしては下記を考えています。ざっくりなので増えるかもしれないし、偏るかもしれないです。
軽い気持ちで見てもらえればいいですが、できるだけお役に立ちたいところです。
では次は、お待ちかねの経歴についてです!(待ってたよね?)
幼少期
非常に活発で家、外、朝、夜問わず暴れまくっていました。親が制御できない程で医師に相談したと聞きました。
母「うちの子全く落ち着きないんですけど異常ですか?」
医師「いえ、めっちゃ元気なだけです。とにかく公園とか広い場所に連れていって疲れさせてください」
母「わろた」
その甲斐あってか運動能力は高かったと思います。小学校に上がる前に水泳とゴルフをやってました。ここでの基礎体力と地道な練習(努力)を積み上げることによる成功体験は大きかったと思います。
なお、知育は全くされてません。猿です。
小学生期
何を思ったか小1で野球を始めました。保育園時代はどちらかというと遊びはサッカー派だったので、親はサッカーをやるものだと思っていたらしいですが野球をすることにしました。父が野球中継を見ていて選手がかっこよく見えたからです。うちの家系は根からの阪神ファンで当時リーグ優勝をリアルタイムで見てました。あれから再優勝まで18年かかるとは。。新生児が高校卒業しちゃうよ。もう。
野球漬けの日々でしたが休みの日は友達とテレビゲームをしたり、鬼ごっこしたり普通に楽しんでました。
勉強ができるかと言われると小学生レベルでしたから普通についていっていました。神童という訳でもなく至って普通でした。
中学生期
野球がより忙しくなりました。学校の部活に加えてクラブチームに通っていたので、学校の部活が終わってからクラブチームに行くという野球漬けっぷりでした。最終的には地方大会3位まで駆け上がり、あと一勝で全国大会だったので惜しいことをしました。ぴえん
勉強も至って普通でした。学年140人くらいですが真ん中やや上くらいの順位だったと思います。数学や理科は得意でしたが英語が苦手で失点していました。ここでの英語嫌いが大学院まで響くので、中高生のみんな英語はがんばろう!
特に勉強の習慣があったわけではないのですが、3年生の頃は流石に勉強量が増え学年20位以内くらいには上がったと思います。英語などの文系科目が嫌いで理数科目が好きだったので「高専」という選択肢が浮かびました。なんとなく大学に行きたいなーくらいに思っていましたが、普通高校に行ったところでどのみち理系選択になるし、大学への進学の際に普通高校からセンター試験経由で進学するか、高専から編入試験経由で進学するか、後者の方が楽と聞いていたので、諸々考慮して高専に進学することにしました。
ただ高専は学部が分かれているので、学部選びは少し悩みました。
テレビ番組のビフォーアフターが好きだったので「建築科」に行こうと思いましたが(安直)、デザインセンスが全くないために辞めました。
一方、母が病気がちでずっと苦しそうにしていたのですが、ある時新薬が出て劇的に回復したのを目の当たりにして「化学はすごい!!」となったこともあり、最終的には「化学科」を選びました。
高専期
高専という学校は5年間通わないと卒業できない監獄のような場所で(急にネガキャン)、同じ分野を深く広く学びます。しかし大学受験がないことから全体的には悠々自適でした。校則もゆるく1年の時から髪を染めてる人もいました。
普段は9割ほど部活をやってました。授業が終わって部活、部活終わって自主練、1時間ほど自転車に乗って帰る。風呂、寝る。一般的な運動部高校生の生活でした。
勉強はここでも平均的でクラスの真ん中くらいの順位。テスト前1週間は部活動停止で勉強期間に入り、この期間は真面目に勉強してましたが私の脳みそだとこのくらいの成績でした。
高専3年生、野球部を引退しました。小1から高3まで毎日のように野球をしていたのに、急にやることが無くなって心にぽっかり穴が開いてしまいました。車の免許を取って友達と遊びに行ったり、バイトをしてみたりそれなりに楽しんでいましたが、何かしっくりこない。
その答えは『熱中できるものがない』からでした。
野球は運動能力は大事ですが、上達のためにどう練習するか、試合に勝つための作戦はどうするか、チーム団結力を高めるために何をするか、意外と研究することがたくさんあり面白いです。熱中できます。しかしながらプロ野球選手であっても、いつかはプレーヤーとしての引退の日がやってきます。
そう考えると『終わりなき熱中できるもの』を探すことになりました。これは一般的に趣味と呼ぶのでしょうが、直感的にこの選択は人生を左右すると思いました。お金と時間がかかる訳ですからね。
世界中を旅行する人生、野球観戦に行きまくる人生、音楽ライブに行きまくる人生、酒を飲みまくる人生、ギャンブルに熱中する人生などなど。
結果、勉強することにしました(変態)。学を積んでそれ自体を楽しみ、自分の選択肢を増やす。可能であれば学を持って誰かの役に立つ人生。これこそが熱中できるもので、そういう人生がいいなと考えました。
高専3年生まで”本気”勉強をしてきませんでしたが、ここで初めて勉強と真剣に向き合いました。まずは目の前の定期テストの点数を上げることから考えてみました。単純な話、量が増えれば点数が伸びました。テスト勉強とか関係なしに授業の復習、時には中学生の範囲に遡って勉強をしてみました。
ただ、"量の中にも質"ありとも思い勉強の勉強もしました。この時期に色々実験ができてよかったです。
3年生、4年生と進むにつれ少しずつ得意が増えていって、学びが楽しくなり、お望み通り進路の”選択肢”も増えました。
私はこの時点でド田舎ピュアボーイだったので「外の世界も知りたい、もっと勉強したい」ということで進学を選択しました。
ここは好きな授業から考えて「生物系」を選択し、関連する大学学部を調べたところ「農学部」「工学部」「理学部」に絞りました。
試験はセンター試験ではなく、3年次編入というもので合格すれば3年生から大学に通えるというものです。試験科目に国語や社会などはなく、専門科目+英語(+数学)などで勝負できます。
結果、神戸大学、岡山大学、京都工芸繊維大学に合格し神戸大学に進学することにしました。
神戸大学期
神戸大学の総括としては非常に充実し素晴らしい大学でした。
さすが知名度があるだけのことはあります。
まず学生ですが、主に関西の各都道府県トップ層の高校から進学してきているので非常に優秀です。私の得意分野の生物学や化学の狭い領域だと勝負できますが、国語や英語なども含めた総合力では全く歯がたたない。これが国立大生か!!!と感動しました。
授業や実験実習もそれなりに丁寧に指導してくれるので楽しかったです。
また六甲祭という学祭では、総合大学ならではのクソデカ祭りが催され圧倒されました。バイト先や遊びに行った先などでも「神大生か!優秀やね!」と言われることもあり、全体的には満足です。
目的に立ち返ってみると私は勉強しに大学に行きました。が、意外と大学生は勉強をしないものだと実感し(そりゃそう)、萎えました。もっとテスト期間中以外も勉強する志高き集団かと思っていましたが、そうでもなかったです。
あっという間に4年生になり研究室に配属されましたが「他にも別の生物を使って実験してみたい」「もっと上の世界はどうなっているのか」「一度しかない学生生活悔いはないか」等を考え、大学院ロンダリングを考えるようになりました。
そこから色んな大学への研究室訪問、過去問収集および分析、勉強などを経て東京大学を目指すことにしました。
「大学院試験は簡単だ」と言われますが、私にとってはなかなか難しく苦戦しました。結果的に普段からの勉強貯金もありなんとか合格することができました。
暗黒期(難病発覚期)
東京大学に合格したのも束の間(合格発表は9月とかだったかな?)、4年生なので卒論に明け暮れていました。
受験前から体調不良が続くなーと思っていたら、卒論提出間近の1月に腹痛で歩けなくなり、這って病院行ったところ「即入院です」となり頭が真っ白になりました。
後々クローン病ということが分かるのですが、消化管の至る所に炎症が起きる国指定の難病でして医者から告げられた時はかなりショックで、先々の人生が一気に暗くなりました。
この時かなり進行していて入院治療虚しく、腸閉塞を起こしてしまい大腸の一部摘出により事なきを得ました。人生で一番しんどかったです。
そして退院してからも、今でも病気との闘いは続いています。難病なので現代医療で完治はないのです。
病気持ちなのは百歩譲って、食事制限があるのでこれが一番しんどいです。詳細はまた別記事で。
この状態で大学院に突入します。
東京大学大学院期
ここもしんどかったですね。週7で家と研究室を往復する毎日、結果の出ない実験、進まない修論、勉強会用に読まないといけない山のような論文、教授からの詰め、古きアカデミアの習慣。
まあ、学力に見合っていない場所に突撃する訳ですから、これくらいの仕打ちは当然です。
ただ、その分吸収できたものもあります。勉強への向き合い方、解決へのアプローチ、物事の見方、情報処理、話し方。頭のいい人達の脳内を少し見れた気がします。たった2年でしたが世界が広がりました。進学してよかったです。
一方就活が近づいてきました。理系就職だろうが文系就職だろうがいいのですが、抽象的な軸としては次のものです。
一番心配なのは「長く続けられるか?」で体が一番心配でした。営業などになると外回りが必要でもし入院したら終わりだなと思いました。同様に研究者も研究室に行かなければ何もできない訳で、これも長く続けるのは難しそうだと考えました。
ここまで10年近く理系の勉強をしてきたのに全部捨てるという奇行に走ります。長期的に見ると最善かな、、、と。結果的に”会計”にすることにしました。先の基準で行くと
大転身ということで内定は多くなかったですが、色々できそうなので名もなきベンチャーに行くことにしました。(さらに奇行)
ほぼ就活話ですが、学業の方は最終的に100ページを越える修論が仕上がり卒業することはできました。(内容が濃いとは言っていない)
修論を書き上げたという事実は結構自信になりましたね。二度とやりたくないですが。
修論の最終化と最後の学会が3月にあったのでほぼ遊べず、かつ会計の勉強を全くしていませんでした。先が思いやられます。
社会人期(1社目:ベンチャー企業)
ベンチャー企業なので研修はほぼなく入社翌日には営業してました。会計どこ行ったのって感じですが、入社後1カ月は研修という名の現場実践で社会人のルールを学んだ感じです。
さすがに会計の勉強をしなくちゃということで、昼休憩と帰宅後に勉強して2週間で簿記3級を取得しました。
入社1カ月後、ワンチャン営業部に残る可能性もありましたが「君経歴的に数字強そうだね。管理部門から上に上がるのもありだよね」ということで無事管理部門に配属されました。
日商簿記3級程度ですが勉強する意思があったことと、既に2級の勉強を始めていたこと、そして学歴が評価されたと思います。いきなり学歴に救われた。。
ここでは一般的な仕訳やある部署の営業分析をやらせてもらえました。ベンチャーらしく色々やらせてもらえました。
会計を学んでいる方はご存じかもしれませんが、会計の種類には主に財務会計と管理会計がありまして、前者が企業の外向け(投資家、銀行向け)で、後者が企業の内向け(経営者の判断向け)です。どちらも触りだけはやらせてもらいました。
1年半くらい経ち先々の事を考え直しました。よく考えると公認会計士や税理士レベルで会計を知っている人がいないし、学ぶ意欲もない、全社的な管理部門軽視ということで先はないなと判断しました。
この時点で日商簿記2級、全経簿記1級という最低限の装備で、かつ経験が浅いということで転職は少々難航しました。2カ月弱だったと思いますが、なんとか外資系企業に内定いただいて転職に成功しました。給料も1.5倍!わーい。
外資系の面接は基本的に配属先となるチームメンバーと直接面接をするスタイルで結構特殊でした。
後から上司に「何で通したんですか?」と聞いたら「経験は浅いけど学習意欲があって、ポテンシャルがありそうだったから」とのこと。その上司は東大卒の公認会計士という化物でしたが、東大を”卒業”したというところを褒めてくれました。私がロンダリングとは言え、上司は東大の厳しさを知っているので「卒業は大変だったよね、、」という感じでした。
何はともあれ転職に成功し、公認会計士持ちの上司の元で働くことになりました。
社会人期(2社目:外資企業)
現在もここにいます。モリモリ働いています。業績集計/予実管理/予算編成などをやり、CFOレベルの人とディスカッションできるので非常に学びは多いです。
前職ではベンチャーということで平均年齢が30歳前後だった気がしますが、ここでは50歳近い。。。周りに同世代がいないし上司とも20コ程度離れているのでノリがわからない。。。
何かと大変ですが今は2年目で実務が大変な中、日商簿記1級を取得することができ諸々レベルアップ中です。
驚くべきことに、ビック外資なので公認会計士やら税理士やら米国公認会計士やらたくさんいて簿記1級が霞みます。(よく考えたらそりゃそう)
まだまだ上があることを知らされます。
これから
長くなりました。
今は税理士の取得を目指して勉強中です!
会計界隈、社会人勉強界隈、学生界隈、人間界隈、なんなら人外界隈なんでもよいのですが是非お仲間に!
実務と若干解離はしていますが、会計への理解を深めていきたいことや簿記1級以上の上位資格だと公認会計士か税理士くらいしかなく、特に監査がやりたい訳ではないので税理士としています。
動機は希薄かもしれませんが、それなりにメリハリをつけてやってます。2024年は簿記論と財務諸表論を受験し、結果待ちですがどちらか受かっていれば御の字かなという感じです。財表難しかった。。。
また、もちろん実務もそうですがやはり体への心配は拭えないので、最終的には投資で食べていきたいですね。。そのためにも会計、経営、投資の勉強も必須だと感じています。
YouTubeも1,000人行きたいな。
色々学びを共有できたらなと思います。
ひとつよろしく。
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