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スピッツ「ほのほ」 今 君だけのために 赤い火になる 君を暖めたい

曲名は、炎(ほのお)のことだと推察します。
ウィキペディアによると、「ほのお」の旧表記が「ほのほ」とあります。
名曲ぞろいのアルバム「スーベニア」(2005年1月12日リリース)の7曲目。改めて、このアルバムのモンスターぶりに圧倒されてしまいます。

一応、挙げておくと、「春の歌」「ありふれた人生」「優しくなりたいな」「ナンプラー日和」「自転車」「みそか」。これ、とんでもないラインナップですよね。ここに、とんでもなくかっこよくて、悲しい「ほのほ」が加わるわけですから。

圧巻のアルバム。「スーベニア」。

「ほのほ」を見ていきましょう。

「みぞれに打たれて 命とがらせて
すすけた街で 探し続けた
崩れそうな橋を 息止めて渡り
『気のせい』の先に 見つけたものは」

こんなに戦場のようなすさまじい状況って、なんだろう。リリースが2005年ということは、まだ東日本大震災は起きていない。何かのメタファーだろうか。
世の中の困難さとか、生きづらさとか、そういったものの中で見つけたものはなんだったんだろうか?答えは明確にはつづられていない。

「今 君だけのために 赤い火になる 君を暖めたい
言葉にすれば 無様なことも ウソじゃなくなるまでずっと」

ここに登場する「君」はとても傷ついているだけで、命は無事なのだろうか?
なんだか、亡くなってしまっているようにも解釈できる。
「もう冷たくなってしまった君を」という部分が隠されているような・・・。

「灼熱の道で 空を仰いでる
どこにいるのか 知らないままさ」

このフレーズでは、今度は熱い場所にいる設定になっていますね。

「でも君だけのために 北風になる ボロボロになりたい
溶けそうなときも 消えそうなときも
その声を聴きたい 君の 君の 君の 君の」

「ボロボロになりたい」という表現は、かなり自暴自棄になっている雰囲気も伝わってきて痛々しいですね。
私の解釈では「君」は亡くなってしまっているのではないかと。

過酷な社会のメタファーとして、「みぞれの降るすすけた街」「灼熱の道」という表現が使われているのでしょうか。

たとえば、激烈なパワハラの果てに自死を選んだ女性を念頭に、こういった歌をつづったのだとすれば、こういう表現になってくるような気もする。
どういったことを頭に置いて、草野さんが「ほのほ」を書いたのかは分かりませんが、とにかく悲しい歌であることは疑いようがないと感じる。

2022年9月23日 トラジロウ

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