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サンタクロース~05.小さな、えくぼ

5 小さな、えくぼ

 クリスマスの前日、深夜から降り続いていた雪が辺りを真っ白に染めました。そっと息を吐き出すと、細長く伸びていく冷たい空気。トトのほっぺたがリンゴのようにツルツルと赤く光っています。
「フラン、見てごらん。雪が降っているんだよ!」
 トトはフランの部屋に入ると、フランに声を掛けて自慢げにカーテンを開けました。
「ねぇ、起きてごらん」
 フランは返事をしません。トトが不思議に思いベッドをのぞき込みます。
「ねぇ、フラン?」
 するとベッドの中で、フランが目を微かに開けてぐったりとしていたのです。トトの目が大きく見開き、同時にハァっと息が止まりました。フランは「ハァ、ハァ」と顔をゆがめてとても苦しそうです。すぐにトトの心臓がドクン、ドクンと大きく動き、我に返りました。
「おじいちゃん、おばあちゃん。早く来て! フランが、……フランが、大変だよ!」
 トトは慌てて叫びました。トトの声の様子からして「フランに何かあったんだ」と直感した二人は、急いでフランの部屋へと向かいます。
「どうした、トト!」
 二人が部屋に入ると、そこには涙をこぼしてベッドの側で震えて立っているトトの姿が目に飛び込んできました。
「……ねぇ、フランの様子が変なんだよ」
 トトが震える口で言いました。すぐに祖父がフランの様子をのぞき込みます。
「これは……、わしが、すぐに医者を呼んで来る。いいか、フラン。待ってるんだぞ!」
 そう言うと、祖父は降りしきる雪の中、急いで医者を呼びに部屋から出て行ってしまいました。トトの心臓がドクン、ドクンとずっと音を立てています。
 祖母がすぐにフランの隣に座り、額に手を当てると慌ててトトに声をかけます。
「トト、フランの体が冷たくなってきているの。いいかい、急いでお湯を沸かしてきなさい。それと、たらいとタオルをすぐに持ってきてちょうだい」
 それでもトトは、どうしていいかのか分からず、震えて立っています。
「トト、しっかりしなさい!」
 祖母が声を荒げます。
「は、はい!」
 トトはハッとして祖母の顔を見ると返事をしました。そしてすぐに動き出し急いで階段を下りて、やかんに水を入れるとそれを火にかけました。なぜだかトトの目から涙が止まりません。いまのトトは誰かに押されたら、そのまま倒れてしまって二度と立ち上がれなかったことでしょう。トトは、なんとかやかんが沸くのを見つめ、気持ちを集中させました。
 部屋では祖母が、しわだらけの手で何度も何度もフランの名前を呼びながら、体をさすっています。
「フラン、フラン。しっかりしなさい!」
 それでも、フランは「ハァ、ハァ」と苦しそうに呼吸をするだけで、返事を返すどころか目すら開けることができなかったのです。
 お湯が沸くのが、とても長く感じられました。その間、トトの心臓がドクン、ドクンと壊れそうに動いていきます。体の震えは激しくなるばかりで、涙を流して震えているトト。やかんの口から沸騰したお湯が吹き出すのを見ると、急いで部屋へと戻って祖母にそれを渡しました。
「ありがとう、トト」
 祖母は手早くたらいにお湯を入れると、その中にタオルを入れてきつく絞り、フランの体を暖かいタオルで丁寧に拭きました。
「ねぇ、おばあちゃん……、フランは大丈夫だよね……」
 トトがゆっくりと声をかけます。いまのトトに出来ることは何もありません。
「あぁ、大丈夫さ、大丈夫に決まっているだろう。こんな、かわいい子が病気なんかに負けるもんか!」
 祖母はトトに言うというより、そうやって自分に言い聞かせていたのです。
 三十分ほどすると、祖父が医者を連れて帰ってきました。医者はすぐに鞄を開くとフランの具合を見てくれました。
「どうだい、先生……」
 医者は祖父の問いにも答えず黙々とフランの体を調べました。残された三人は、ただそれを見守るしかなかったのです。
 そして、医者は手を止めるとこちらに顔を向け、すまなそうな顔をして首をゆっくりと左右に振りました。
「い、いやだよ……」
 トトは急いで自分の部屋へと戻り、机の引き出しから完成したばかりのカエルの置物を取り出して右手に持つと、フランの部屋に戻ってきました。そしてそれをフランに差し出しました。
「ほら、これ僕がサンタさんから預かったんだよ」
 それでも、フランは目を閉じたままです。
「ねぇ、見てよ。……ぼくが預かったんだよ。フランはいい子だっただろう。だからサンタクロースがフランにくれたんだよ。……ねぇ、見てよ! ……ぼくが、ぼくが、一生懸命に作ったんだから!」
 トトが泣きながら叫びました。それは、トトがサンタクロースに自分のプレゼントをお願いするのも忘れて夢中になって作ったカエルの置物です。トトの想いは一つだけ「フランの喜ぶ顔が見たい」それだけでした。
 祖母がトトの手からカエルの置物を取り出すと、そっとフランの小さな手のひらを開いて、それを握らせました。すると、フランがゆっくりと目を開けたのです。
「……ありがとう、おにいちゃん」
 それは、とても小さな声でした。フランはカエルの置物を握ると笑ってみせました。精一杯の笑顔、口をほんの少しだけ開いて目尻を少し下げて、とても優しい瞳で兄を見つめました。そして、そのまま逝ってしまいました。右の頬に小さなえくぼを残して……。
「なぜ、神は……、なんてことをするんだ……」
 祖父は口を開けたまま、天を仰いで呆然と立ち尽くしました。祖母は体の力が一気に抜けてしまい、その場に腰を落として、こぼれる涙をぬぐいもせずフランをただ見つめました。
「死んじゃ、嫌だよ……、死んじゃ、嫌だよ……」
 トトがフランに近づき、体を揺すって泣きじゃくりました。もう、フランの声を聞く事も、フランがトトの話しを嬉しそうに笑って聞いてくれる事も、ケンカすることすら出来なくなってしまったのです。手を繋ぐ事、そんな当たり前の事すら二度と出来なくなってしまったのです。
 祖母は立ち上がりベッドに近寄ると、自分の左手をフランのからだに置き、右手でフランのブロンドの髪や頬を優しく撫でました。
「つい先月、この子たちの両親を連れて行ったばかりなのに……」
祖母は、左手でゆっくりとトトの腕を引き寄せると、トトを強く抱きしめました。
 カーテンはピンク色。机の上やベッドの周りに置かれた、たくさんの可愛らしい動物のぬいぐるみや木彫りの玩具、その部屋で、二度と戻ることのない時間が残酷に過ぎていきました。

つづく ~ 06.見知らぬ老人

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