大事なものを持っていけますか?
このところ、おもしろいことに気が付いてきました。
いや、ずーっと前から気が付いていたんですが、どーもそれに触れたくなかったというか・・。
あなたも私も「大事なもの」ってありますね。
といっても、それではないですよ。
そんなごたいそーなものではなく大事なものです。
お宝とかもそうでしょうが、思い入れがある品とか。
大切な本とか。
お気に入りの絵とか。
ま、預金通帳という方もいても別に普通です。
不動産売買契約書とか重要事項説明書。
お金持ちの方などは李朝時代の壺とか、曰く由緒がある骨董・珍品などあったりするのでしょう。『なんでも鑑定団』に出てきそうなアレです。
また一方で、子供さんが描いてくれた似顔絵とかーまあ知る限りどのお子さんが描いても同じような顔であったにせよーそれは特別な存在で、確かに大事だからゴミ箱に捨てられず、そうしてお持ちなわけです。
元カレがハワイで買ってくれたピアスだったりすれば物議を醸しそうなので内緒にしておきましょう。
たとえそれが蝉やカタツムリの抜け殻であっても尊重したいものです(子供はそんなものを”お宝”にします)。
しかし、そんな品物ではなく、だれでも最も大事なものと言えば、まず家族と答えられるのが普通ですね。
妻や夫や子供達や。
母親や父親、じいちゃんばあちゃん。
ついでに家族同然の愛犬、愛猫。
まあご家庭の事情はいろいろありますから、別にそうではない、と答えられても一向にかまいません。
(ちなみに、大事なものといっても、避難用品袋に入れてある備品とは違いますよ。カンパンとか、まあ大事といえば大事ですが、それは緊急の際に大事なわけですから。そういえば通帳入れてないが入れておいたらかえって不用心だしな、いえ、独りごとです)
さあ、それらを持っていけますか?
どこへって、もちろんあそこへ。
あの世へ。
もちろん持っていけませんね。
何ひとつとして。
持っていける(と思う)のは、せいぜいこのくたびれた自分のみのようです。
こんなことをあなたは考えたことがおありですか?
私はありません・・でした。
若いころは。
「あなたは爺さんだからそんなことを言うんだ」
(なにを失敬な!)
―ま、まあ、そうですね。そうかもしれません。
(ここで、形勢逆転を考える)
―し、しかし、だね、あなたもいずれ爺さん婆さんになるんだよ、フフフフ、まさかと思っていただろうに・・。
(鬼の首を取ったつもり)
「で、ご用件は何ですか?」
―そうです、忘れてました。
思い切ってお話しますと、すべてはまぼろしですよ。
そんなに大事なものなんて実は何ひとつありません。
大事だと思い込んでいたものは、すべてあなたの投影、同一視ってやつでね、第一、あなたはご家族よりも、愛するものよりも、もっと大事にしているものがあるではないですか?
「はあ?」
―あなたです。
あなたの考えです。
あなたのその複雑な、そして単純な、ナイーブでちょっと他人には分からない感性、情念、デリケートでいてしかも頑ななその心のひだ。多くの個人的な経験から学んできた知恵、本や映画、その他から影響を受けてきたビジョン、その他もろもろから形成された、特製の「あなた」です。デリッシャスな一品です。
「ほう」
―それを持っていけますか?
「それは、一般に自我って言われるやつだね。それは難題だなあ。持っていきたいような、もう終わりにしたいような・・」
―持っていきたい部分は、あなたの「執着」ってやつで、それが実に厄介な代物ですね。なんせそれが「来世」とか「霊」とか「神」「神霊」「魂」・・まあまあ、あまたあるスピリチュアルな概念を捏ね繰り出したわけですから。
あなたが永遠に存在する、存在したい、という我執、妄執ってわけです。
それすらも、あなたの考えが生んだ果実です。
「しかし、それはだれでもそう思いたいものだね。夢でも嘘でもいいから」
―実際、太古の昔からそう願って人間は生きてきました。
エジプトの王家の墓や、日本の豪族の古墳、墳墓などはそのいい見本です。
副葬品として、生前に彼や彼女の愛したもの、また「あの世」でも無事に旅ができるようにと道案内の人形なんかも埋葬されました。
とりわけ驚くべきは、エジプトの王族のミイラ、そして彼に忠誠を誓ったもののミイラ、さらには彼の愛したペット(ガゼル)のミイラなど。
ご本人が死ぬにあたって、周りのものまで殉死って、意味不明のことまでやってきたわけです。
他人の支配する土地を奪い取って、植民地にするっていう思想自体が貪欲さの権化ですから、自分の肉体までも「あの世」に持っていこうとするに至ってはもはや言葉もありません。
「あの世」って、あなた、人間が勝手に作り出した概念であって、あの世といっている限り、「生」だ「死」だとかいう葛藤が生じてくるわけです。
どれもこれも全部人間が作ったまぼろし。
はっきり言って「嘘」。
この世ともいわない。
ただそこに在る。
生きているともいわない。
ただこうして在る。
あなたはあなたの持っていないもの、持つことができないものを、持っていきます(その中にいます)。
最後に
あなたはなぜ何か外のものに依存しますか?
それがどれだけあなたを喚起し、励まし、救いをあたえようと、
それは死んだものです。
あなたの方がそれよりも数千数万倍美しいし、あなたの方がたとえようもない叡智と愛、そして慈悲を持っているのです。
あなたはあなたであることで何にも増して輝いています。
あなた以上のものはどこを探しても存在しません。
あなたが心奪われたものをよく観察してください。
それが本物であれば、
あなたがあなたであることを祝福してくれていることに気づくはずです。