見出し画像

『ナボコフ全短篇』を読む日記2022.03.17(56/68篇)

「ヴァシーリイ・シシコフ」(1939年)「孤独な王」(1940年)を読む。

「ヴァシーリイ・シシコフ」は、詩人のシシコフが「ぼく」に突然話しかけてきて、何人かの仲間と雑誌を作ることを持ちかけるが、出資者の同意を得られず頓挫する話。シシコフは「ぼく」に話を持ちかけた際にはじめに身分証明書としての詩を見せるのだが、それはひどいものだった(と「ぼく」は思った)。だが、それらの詩はくだらない詩人のパロディであって、シシコフが次に見せた本物の詩はすばらしかったのである。なぜこのようなやりとりがあるのか。シシコフは「ぼく」を試したのだろうか。

この小説には興味深い謂れがある。

ベルリンからパリにうつったナボコフは、彼の小説をけなしていたアダモーヴィチという批評家にいっぱい食わせるためのいたずらを思いついた。

彼は、アダモーヴィチが評価するような詩(ナボコフはこきおろしていた)のパロディをヴァシーリイ・シシコフという筆名で雑誌に発表した。アダモーヴィチはその詩に対してどのような評価をくだしたのか。


絶賛したらしい。


ナボコフは楽しくなっちゃって、もうひとつのいたずらをしかけた。それがこの「ヴァシーリイ・シシコフ」という小説を書くことだ。作中のシシコフの種明かしは、そのままアダモーヴィチが絶賛した詩人、ナボコフの筆名である「シシコフ」の種明かしとなる。

シシコフが「ぼく」に最初にヘタクソな詩を見せ、次に「すばらしい」詩を見せたのは、こういう理由によるものらしい。おもしろいね。


似たような話を思い出した。『「知」の欺瞞』という本で知ったことなのだけれど、物理学者のソーカルという人の起こした、ある有名な事件のことだ。もっともそれはナボコフのいうちょっとした「いたずら」にとどまらなかった。詳しいことはウィキにもある。

簡単に言えば、ポストモダニズムを批判するソーカルという人が、ポストモダニズムの学術雑誌に科学・数学用語をちりばめた無内容の論文を送ったところ、掲載されてしまった(査読はなかったらしい)という事件である。これによってポストモダン界に激震が走った。ラカンをはじめとするポストモダニストたちの論述が、難解な科学・数学用語を濫用するだけの、中身のない、理解させる気のないものであったのかもしれない、という問題が俎上に上ったからだ。

僕としては数学・科学用語を濫用すなというソーカルの言い分(の一部)もわからんでもない。実際ポストモダニズムの本を読んでもわけわからんぞと思うことが多いし。でもそれはなんというか、しゃーないなあ的な、微苦笑みたいなものであって、それでいてこの難解さをどうにか理解してみたいなと思わせるところもそういった本にはあるのである。それは、人文学への一定の信頼に基づくものだ。

それに、ソーカルの批判が用語法的なものでしかなく、本質的なものになってないというのもわかる。今でもポストモダニズムの本はたくさん出ているし、それによって更新された知もたくさんあるだろうから、『「知」の欺瞞』を真に受けすぎなくてもいいんじゃないかと個人的には思う。

一方で、論文という形式を逆手にとってフィクションにするという試みもあるようで、それはそれでおもしろそうだな、と思う。はしりは石黒達昌さんの「平成3年5月2日,後天性免疫不全症候群にて急逝された明寺伸彦博士,並びに,」なんだろうか。また、ハヤカワ文庫JAに『異常論文』という小説集があるらしく、いつか読みたい。

「孤独な王」は、北の島国の王の王になるまでの経緯が語られる話。引っかかるのが、王についての説明がなされていたのに突然、次のように

ちなみに、これらはすべて、もはや自由ではない芸術家ドミートリイ・ニコラーエヴィチ・シネウーソフの頭に浮かんだことである。すでに日が暮れており、RENAULTというルビー色のネオンサインが水平に並んで光っていた。(「孤独な王」杉本一直 訳)

と書かれているところ。以後このシネウーソフという男については述べられることなく、メタ的な要素に触れられることもない。

注釈を読んでわかったのだけれど、「孤独な王」は、もともと未完成に終わった長篇の第二章にあたる部分だったらしい。シネウーソフとは妻を失った男で、彼が作り上げたのが、王の治める架空の国だったということだ。その前提を知らずに、それも第二章から読んだからよくわからなかったのだ。とはいえ架空の国の構築力はすばらしいものがあると思う。


この記事が参加している募集

#読書感想文

189,460件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?