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夏が終わりて

 夏の終わりに、よたよたと道端で弱るタマムシを見ました。微雨が上がったあとの乾き始めのアスファルトに、タマムシの艶めいた緑光が鈍く映えていました。その中には死に臨んだ鈍色も入っているようでした。タマムシを見ることなど何十年ぶりかで、しかも都会の真ん中でお目にかかれるとは予想もしていませんでした。私はそのタマムシをよく観察したかったのですが、急いでいたのでその場を離れました。用を済ませてその場に戻ってみると、それはたった数分後のことだったにもかかわらず、タマムシは忽然と消えていたのでした。あれは幻だったのかしらん。

 またある日には、道路の真ん中ではねを広げて往生を遂げていたアオスジアゲハを見ました。漆黒の翅に、薄青緑の模様が地面から浮き出すように私の目に訴えてきたのでした。まるでそれは鮮やかな翅を誇示するかのような、写真に収めるのも憚られるような、見事な死に様でした。

 また別の日には、セミの亡骸がベランダにと転がっていました。私はそれを葬るつもりで、何も植えていない鉢植えの土の上に移したのでした。それから何週間か経ちますが、私のベランダにはアリがやってこないせいか、未だにセミの死骸は分解もされず、均整を保ったままそこにあります。あるいはセミに心残りがあるのかもしれません。まだ夏を続けよと訴えているかのようです。

 物言わぬ昆虫たちは、言葉ではなく形を残します。彼らの亡骸は、私がそれを見たことによって無作為の作品へと転じました。しかしその作品は無限ではありません。自然の生み出す限りある芸術なのでした。彼らは美しき意匠を振りまいて、夏から秋へと季節を画し、死に向かっていきました。どんなに精力的に、美しく生き誇っても生命は移ろっていきます。

 寒ささえ感じるようになった出勤の歩道をとぼとぼと歩いていると、はす向かいを黄色のカラフルな帽子をまとい、ピンクとブルーのパステルカラーの衣装で思い思いに歩く園児たちがいました。それは私にとって夏の終わりを断ち切る、新しい色彩たちでした。これからやってくる季節は春ではないのに、その賑々しく躍動するエネルギーに新しい力を得て、私は背筋をぴしりと伸ばし、前を見たのでした。




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夏の思い出

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