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日記。
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2022年7月の記事一覧

怒り

まあわからないか。
わからなくて当然だ。
おかしいのはぼくなんだもの。

だだっぴろい部屋に黒い安楽椅子がたくさん並んでいて、もう朝だけれどお風呂あがりのひとたちが寝ているので、ぼくたちは声を潜めていた。
足の部分を伸ばす方法はわかった。右の肘掛けのしたになにかひっぱるところがあって、そこをひっぱるとぼこっと柔らかい部分が迫り出してきて、足を地面と水平まで持ち上げてくれる。
しかしまだ、背中を倒す

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言葉と拳

にんげんには表現する方法が少ないので、言葉。花のように獣のように全身で愛を体現できれば楽なのに、いまある愉快な余白をすべて捨てたってそのほうが楽なのに、言葉とかいう万能にみせかけた欠陥品をふりかざしてじぶんの傷口ばかりひろげて。

「水着の女の子すげえエロい」

はじめて訪れた海で、はじめて人を殴った。
「殴れ!」
殴ってからはじめて、あれぼくべつにこの人に怒っているわけではないよな、塩辛い水はと

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魔性

夢の国から醒めて、東京のもっとも暗い場所に夜のあいだだけ休む場所を決めた私たちは、風呂のあと、疲れ果ててもう動けなくなったひとりをおいて他の者たちでそこを抜けだした。おなかがすいてしまったのだった。

あそこがおいしいよと詳しい者がいうので、雑炊の店に入った。わさび雑炊で街並みが滲んでしまった。

そのあとまたここはふつうのお店だよと詳しい者がいうので、酒をのむ店に入った。順番が逆。雑炊が先なんて

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見るまで死ねない

見るまで死ねないと思っていたのに、恥ずかしくて見られなかった。

牛乳

ほんのすこし、どことなく、びみょうに体調がわるいかも。そんなとき牛乳を飲むと治ってしまうことがある。

風邪とかは治らないよ。もうそれは明らかにヤバいから。化学的なレベルでなにかが起こってるからそれは。外敵と戦うために白血球が活発に働いているから。

そういうのではなくて全体的にだるいとき、牛乳を飲むと治ります。ぼく牛なのね。

未就学児のころは牛乳きらいだったのだが、小学校に収容されてからという

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家の形

三年間寝て起きるしかしてこなかった空間のかたちがようやくわかってきた。使っていない場所が広くてもったいない形をしている。

台所の部屋が結局一番大きいのに、こどものころそういう文化ではなかったからか台所になにかテーブルだのをおこうという気にはならない。おけたらそうとういい。ダイニングと呼ばれるとおりに使えたらいい。

テーブルをそちらに動かすとしたら、居室にはなにかもうひとつものをおける。テレビが

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わがまま

一番重い荷物が横倒しになるときは積み木のようにみえて、一瞬のあいだにぼくのなにが悪かったのか頭が勝手に思考した。自分が悪いのになぜか気に入らないことがいくつか浮かんできてそのあと気分がふさいだ。

その日は行けなくなりました、そう送ったばかりだった。その日はというか、ほんとうは今後一切関わりたくない。ぼくはおろかなので、ものの本質より写真映えばかりに惹かれるような人とはもうそれきりにしたかった。断

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みんなはどうしてる?

じぶんのすべてを知っている人なんていない。おたがいに、その人に見せてもいい部分を表にして、見せてはよくない部分は伏せている。

たとえばかわいがっているくまのぬいぐるみの体が破れて綿が飛びだしてしまったとき、それをだれに話したらいいだろうか。
「好きなぬいぐるみがあったんだけどね、綿が出ちゃったから縫いなおしたの」
そんなふうに話すなら簡単だけれど、それは気持ちを言い表した言葉ではない。ずっと一緒

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空洞

失われたもの、得られなかったものの代わりになるものなどないのだと、麦茶を飲んで涼む。穴だらけの体。

ぼくがどんな気持ちであの子たちの幸せを願っているかは、体だけの面倒を見合っている人に教えるからいい。

四時間前からとまらないくしゃみ。どんな苦しいことが待っていたとしても天罰だと思えばどうということはないの。

とうふ

お豆腐にトマトを切って添えて、オリーブオイルと塩こしょうをすると、おいしいね。

原チャ拭く子

雨ふるのかふらないのかはっきりしなさい、まったく。自転車をこぎながら、降らないうちになるべく進もうと気持ちがあせったとき、きれいな戸建てから出てきた高校生とおぼしき男の子が、その軒先に停められてある原動機付自転車の桃色の車体と座席を、布切れで丹念に拭いているところを通りすぎ、ぼくはもう一度子どもにもどって、あのときの銭湯からやり直した。風呂からあがって、じぶんの体を拭く人たちに似ていたから。

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日本橋

八重洲地下街の珈琲屋を出たあと豆乳茶の余韻で我ながら理不尽な怒りを希釈し、丸善のまえを歩くころには平気になった。生まれてからこれまで聞こえてきた言葉のどこからが幻聴で、どこまでがそうでなかったか、わかるようになるために東京がある。

ぼくは自己ではなく、この日は確かに前景となり、町ゆく海の日の人々をながめた。

カレー屋でとなりにいた夫妻のことをまた思い返す。ふたりでカレーをおえてふたりで口を拭っ

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めがね

「めがね変えましたよね」
「え〜。やさしい」
「やっぱり」

「めがね変えました?」
「はい」
「かわい〜い」
「ドゥフ……ありがとうございます。5000円ですね、100円50枚と両替だから」

「めがね変わった?」
「はい」
「そうだよね。なんかきらきらしてるから」
「うふ、きらきらしてますか。アイスのコーンってもう発注しないのですかね」
「ね。私がアイスやってたときは発注してたんだけど。すれ

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大石早生

すももなどというものは学校の給食で食べるものです。家では食べたことも見たこともない。八百屋さんの手伝いで入荷したすももに触れてはじめて、まじまじとあのくだものの性質を観察するに至ったが、そうでなければ近所のお店でごろごろと、酒を作る用に売られている青梅と見たがう様子で透明な容器と包みのなかに密封されたまだきみどりの大石早生というのを見かけても買って帰るなどということはしなかったはずだ。

ももにも

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