怒り

まあわからないか。
わからなくて当然だ。
おかしいのはぼくなんだもの。

だだっぴろい部屋に黒い安楽椅子がたくさん並んでいて、もう朝だけれどお風呂あがりのひとたちが寝ているので、ぼくたちは声を潜めていた。
足の部分を伸ばす方法はわかった。右の肘掛けのしたになにかひっぱるところがあって、そこをひっぱるとぼこっと柔らかい部分が迫り出してきて、足を地面と水平まで持ち上げてくれる。
しかしまだ、背中を倒す方法がわからなかった。つまりぼくは体を直角にしたまま一晩過ごしたのである。

「背中はどう倒すの?」
となりにいる柄シャツに小声で尋ねると柄シャツは頭を大きく後ろにのけぞって、魚のように跳ねるジェスチャーを二回した。同じようにする。体の重みで背もたれが倒れた。
「便利」
ぼくたちは声が出ないようにふごふご笑った。もう平気だけれど、この子を好きだった時間は帰ってこない。

もうなにもかも帰ってこない。
終わった。
ぜんぶ終わったの。
その気持ちがわからない人には
永遠にわからない。
何十年生きても、
世界中を見てまわって、
たくさんの人とお話しして、
家族があって、
いろんなお家に住んで、
いろんな花をつんで、
好き勝手に生けて、
もう何輪枯らしたかわからない、
それでもわからないの、
それでもわからないのに、
そうじゃないほとんどの人には
わかるわけがないの。

「君はまだ若いから
これからなにがあるかわからない」

ちがうの。
あなたにわからないだけ。
いま、悲しみの準備をしているの。
それは生まれてから今までをかけて
ゆっくり執行される、
みんなに必ず訪れる
儀礼のようなものなの。
だから黙って。

五本指ハムスター✌🏻🐹✌🏻