家の形

三年間寝て起きるしかしてこなかった空間のかたちがようやくわかってきた。使っていない場所が広くてもったいない形をしている。

台所の部屋が結局一番大きいのに、こどものころそういう文化ではなかったからか台所になにかテーブルだのをおこうという気にはならない。おけたらそうとういい。ダイニングと呼ばれるとおりに使えたらいい。

テーブルをそちらに動かすとしたら、居室にはなにかもうひとつものをおける。テレビがないのでテレビをおきたい。友達と一緒に床に座ってテレビをみるのだ。映画でもいいね。

できてもいないし、特にしたくもないことがまだたくさんあって、でもそのままでもいいと思っている。私を産んだ人たちにそっくりだとおもう。たまに思いついたようにはじめてのことをしてみて、なるほどねとうなずく。

このままこの寝床で体が朽ちていくのを客観的に想像してみると、芋虫のころに、おおよそこんなふうがいいと思っていた成虫にちゃんとなっている、おもしろい。なにも欲しがらず、怒ったり泣いたりせず、いつもにっこりして、ただ生きていけたらいいのにね、言葉にすればそう思っていたのだとやっとわかった。

じぶんの臓器が住んでいるこの家の外側が、一体どのような形をしているのか、ゆっくり知りたい。じぶんというものは各々にとって特別で、この世でひとりだから、だからこそわからない。

形のあるものですらわかるのに一生かかるようなこの世のことを、形のないものまでわかったようなことを言う人は嘘です。気をつけましょう。

五本指ハムスター✌🏻🐹✌🏻