大石早生

すももなどというものは学校の給食で食べるものです。家では食べたことも見たこともない。八百屋さんの手伝いで入荷したすももに触れてはじめて、まじまじとあのくだものの性質を観察するに至ったが、そうでなければ近所のお店でごろごろと、酒を作る用に売られている青梅と見たがう様子で透明な容器と包みのなかに密封されたまだきみどりの大石早生というのを見かけても買って帰るなどということはしなかったはずだ。

ももにもすももにもおもうけれども、あのように奇麗に生らすための苦労はどれほどのものだろう。売り物にされているもももすもももそれぞれ左右が均等にふっくらと育っていて、大きさも色もそろっていて、触っただけで傷つくほど繊細なのに店に出るまで無傷のままかわいがられて、おしりっぽくて憎たらしい。変なくだものである。

このすももを買って帰ったときの購買意欲の内訳を自己分析してみると、四割は果肉自体の美しさ、四割は価格のお手頃さ、残りの二割は「大石早生」という品種名のいさぎよさだった。大石さんが作った早生のすももだから大石早生なわけだが、そう名付けた人はとてもセンスがいい。

まだあおいものというのを見たことがなかったが、常温においておくと日毎に赤くなっていくのがかわいかった。また、すこしあおいまま食べるのもおいしかった。思い返してみると色を食べているという記憶しかなく、味についての詳細は思い浮かばない。また買おうとも思わない。夏はどの夏も一回きりである。

五本指ハムスター✌🏻🐹✌🏻