見出し画像

ダメダメアパレル販売員の僕が、30歳でコンサルをはじめて死ぬほど苦労した話

はじめまして。
ご覧頂きましてありがとうございます。

主に衣食住関連の小売・メーカーさんを中心に、コンサルティングをしておりますコジマと申します。

一応タイトルにもありますように、30歳からコンサルタントという職業に就きましたが、やっとこさ2021年現在でコンサル歴12年くらいのキャリアになりました。

色々な方々にご支援をいただき、なんとかここまで続けられています。

実は私には2009年から運営している、2年ほど休眠中のブログもあるのですが、ちょっと今までとは書きたい内容のテーブルが違うような気がして、noteに書いてみようと思った次第です。

元ダメダメ販売員のこんな自分も、コンサルタントになった30歳からの12年間で結婚をし、娘も産まれ、父親になりました。

今までは自分がどう稼ぐか、自分がどう目立つかばかりを考えていたのですが、不思議なもので40歳を超えた途端に、何だか誰かに託したくなる気持ちも強くなってきました。

「おいおい、まだまだ気が早いよ!」と、人生の先輩方には叱られるのは必至ですが、まあ簡単に言ってしまえば、一応なんとか生きていけているこの人生を、誰かに伝えたい、聞いて貰いたい、というだけです。

自分のブランディングのために「オレはすごい。とてもすごい。」という、脚色エピソードを書いても、多分誰も面白くないので(昔そういうことをして、結局むなしくなった)。

へーこういう人生もあるのね。と軽く読んでいただければ幸いです。
しかしながら現役アパレルの方や、コンサル志望の方には少しは参考になることがあるかも、なんて思ってます。



どれくらいダメダメ販売員だったのか

基本的にはコンサルになってからの話を書きたいのですが、一応タイトルを回収ということで。

自分はいわゆる人見知りなんですよね。ただ服はすごい好きで。店頭に立っている自分も嫌いではなくて。だけど、お客様に対するファーストアプローチ、いわゆる最初のお声掛けというやつが、本当に緊張して大変でした。

それに合わせ技で、そもそもメンズブランドを志望して入社したのに、なんと配属先はレディスブランド。

メンズショップでは少しだけアルバイト経験があったのですが、男性販売員が女性客に対して、婦人服の接客をする、という方法とかやり方がまったく解らないので、店頭にいるのも怖くなって、

どうやったら「店頭にいる時間をいかに少なく出来るか」「今こそ倉庫整理をやるべき理由10選」を本気で考えたこともありました。

もちろん、その後たくさんの指導・叱咤・激励・●●をいただき、少しは自分もマシになっていくアナザーストーリーもありますが、今回は割愛ということに。でもいつの日にか書きたいです。

ともかく上記で少しはダメダメさ加減が伝われば幸いです。


で、コンサルはじめてどうなった

死ぬほど苦労しました。タイトル通りです。

基本的に自分は根っこがヘタレで出来ているので、新しい世界に飛び込むと縮こまってしまうクセがあるようです。根拠無き自信でコンサルをはじめようとして、いきなり頭をバールのようなもので叩かれた衝撃がいくつもありました。


(1)今までの22歳~30歳のアパレル2社の実務経験が何の役にも立たなかった

残念ながら世の中を知らなすぎました。正社員としてこの期間、事業会社を2社を経験してはいたものの、その経験や知見が先輩格のコンサルタントの方々から見ると、とてもチープなものだったようです。

そもそも2社目の会社は、非上場企業、出店業態に偏りがあったからか、8割以上の先輩方が社名もブランド名も知らず。

この日を境として、この8年間の実務経験を封印しました。
「前職では」と、絶対に言わないと決めました。
そして改めて、いちから勉強をし直すことにしました。

(勿論、社会人としての経験そのものや、そこでの出会い・仲間は大切な宝物です)

って簡単に書いていますが、これはかなりメンタルに悪影響となりました。
自分の20代の青春を犠牲にして頑張った8年間だったので。

連続出勤●●日とか。

のちに、この8年間の経験が直接的に生きてきた事も、すこーしだけあるんですが、この8年間の内容をそのままに「こうやると良いですよ!」とは、クライアントには一度も言っていません。残念。

結局のところ、この8年間で得た最大の財産は「店頭でお客様と接した事がある」という実務経験値。意外にコンサルタントで元・販売員だったという方は少ないんですよね。

これを根っこにおいて話すようにすると、なぜだか伝わるものがあるみたいです。小売において、今の部長職以上の方は現場経験者も多いですしね。

また、今でも本気で、自分の報酬は店頭でお客様から販売の方が頂戴したお金だ、と思っていますし、自分の報酬額をざっくり粗利率踏まえ、店頭売上額に換算してイメージしていたりしています。

残念ながら、実際に1日店頭に立つことは今はありませんので、リアルな感覚はありません。薄れていっているとも思います。

ですがお客様に一番近い、この場所を忘れてしまった時に、自分のコンサルタントとしてのキャリアも終わるのだと思っています。


(2)そもそも同業者との会話についていくのが大変

初期の頃は、他のコンサルファームとの協業が多かったです。
マーチャンダイジングや在庫コントロールに特化した形での参加、という感じですね。

当時、自分の力だけでは案件を取る営業力もコネクションもないので、とてもありがたかったです。本当に恵まれていました。

ただ、このコンサル業界界隈の方々が使う専門用語が、かなり色々あって大変でした。

世界標準の用語を使ってもらえれば、ネットで検索するなり何なり調べようがあるのですが、そのファーム独自の言葉があったり、その方々の出身企業だけで通用する言葉があって、逆にこのパターンは絶対にインターネットには出てこないので頭は大混乱です。

残念な事に、私だけが出身企業が違う、という完全なるアウェー。
これは単に自分が勉強不足だから解らないのか、聞いた事が無いから解らないのか、もはや判断が出来ない状況に苦しみました。

新人かつ若手ですので、議事録を担当することも多かったのですが、まずその専門用語はカタカナや横文字な事も多いんですよね。かと言って、明らかな日本語ワードだと、今度は漢字がわからない。

話の前後から、大体の内容はわかるのですが、テープレコーダーを何度聞いても、言葉そのものが何を言ってるかわからない。

1時間の会議の録音内容を3回とか、打合せ終了後に自宅で、深夜に聞き直すんですが、3回ちゃんと聞き直すと、普通に深夜0時をまわる。

何を話しているかは解るものの、でもその肝心の言葉が上手く聞き取れない。これがまたつらい。そしてその前後のやりとりも含めてメモにまとめて質問事項を整理して。

とかやっていると、結局深夜●時。

ただ皆さん、おおよそ年齢的には10歳~20歳くらい上の方々でしたが、若輩ものの私に対して、厳しくも優しかったので、私が食らいつくと結構な時間をかけて補習をしてくれました。

この親分肌というのか、兄貴的というのか…その節にはずいぶん助けられました。

もうプライドとかは上記(1)で、とっくにポッキリ折れていましたから、クライアントには、基本絶対に言えないワード「わかりません」を、この先輩方には連呼していました。

で、結局ふたを開けると、

「その聞いた事の無い言葉」=「私が知っていた別の言葉」だったり。

この補習はこれまた大変でしたが、これが無かったら、ほんとに死んでました。感謝。


(3)韓国にて飲み過ぎ、食道と胃の間が●●●●で死にかける

コンサルタントになってすぐに、幸運にも韓国企業へのコンサルチームに参加することになりました。水曜の深夜便でフライト~土曜日の昼に日本帰国、これを基本隔週で。という生活を2年ほど続けました。

もちろん、その生活はハチャメチャにしんどかったのですが、(1)や(2)に比べればまあなんとか。

この韓国での経験は、書いてみたいことが沢山沢山あるのですが、

とっても簡単に書きますと、

(1)韓国企業側、経営企画的な窓口の方が昇進決定
(2)私はこの方を兄貴と慕っていた
(3)夜、昇進祝いに参加
(4)元々自分はお酒が飲めないのに、昇進が嬉しくて飲み過ぎる 
(5)言わんこっちゃなく大リバース地獄 ※ココがポイント
(6)記憶を失う ●●●●が●●れたショック症状
(7)気がつくと、見知らぬ天井
(8)鼻になんかクダが入っていて、雰囲気で病院のベッドの上だと気づく

詳しくは「マロリーワイス症候群」で!

いやビックリしました。
これは本当にリアルに死にかけたので、今でも当時の状況を知る方々の語り草になっております。

人生で初めて入院した@韓国
人生で初めて救急車に乗った@韓国
人生で初めて胃カメラ飲んだ@韓国

おみごと3冠達成。

その節は、皆様に多大なご迷惑ご心配をおかけ致しました。
(帰国後、妻にメタメタに怒られる。しかし、持ち帰った胃カメラ映像DVDを二人で鑑賞しなぜか爆笑)

クライアントの昇進祝いで、コンサルタントが入院騒動を起こすなんて滅茶苦茶です。普通あり得ません。

でもその兄貴は「でもこれで、この日のことは絶対に忘れられない思い出になる」と、後日言っていました。男前すぎる。

他にも、彼とは沢山思い出があります。
役割としては窓口の彼は、基本的にブランドへのコンサルティングにはすべて同席をしてくれました。

ブランドへのコンサルティングの終了後、「このロジックについて追加の質問がある」と、自分の疑問点が完全に解消するまで質問を続けるタイプで、結果的に通常のブランドコンサル終了後の19時から深夜23時まで彼と打合せ。なんて日も。

みんなもう眠くて目が開いてないのに、次の日も朝9時からのコンサルなのに、そこから飲みに行って、みんなほとんど寝ずに、次の日の朝集合したり。でも、朝から二日酔い対策のドリンク(激マズ)を持って、元気に場を盛り上げてくれたり。すごい人でした。

おそらく、この方の役割として、そこまでする必要はないかも知れないのに、おそらく私達コンサル側の提案を完全に納得・理解して、こちら側と一緒になって経営や現場に提案してくれていました。

その社内間のやりとりは、何度も聞いていましたが当然韓国語での会話です。自分は韓国語は居酒屋注文レベルでしか解らないのですが、その熱量だけは伝わってきました。

それが解っていたから、こちらも納得するまで何ども説明し、ホワイトボードに書いては消し、書いては消し。英単語と韓国語と漢字(一部通じるので)、図を書いてごっちゃごちゃ。

お互い書き殴ってわーわー議論して、ようやくすべてに納得した時には、いつも「FINISH !」と笑顔で。そんな一生懸命な彼が大好きでした。

そんな彼が昇進したら、やっぱり嬉しくて飲み過ぎちゃいますよね。
…いや、すみません…皆さんに本気で心配掛けて、怒られたので。絶対ダメです。



まとめさせてください

と、まあ。ここまでざっくばらんに書かせてもらい、とても楽しかったのですが、一番伝えたいのはここからになります。もう少しだけお付き合いください。

小売業界、特にアパレル、そしてアパレルの販売員の方々は、このご時世で大変なご苦労をされていると思慮いたします。

館そのものが休館になってしまったり、売上が厳しく退店になってしまったり、様々な事が起きてしまったかもしれません。

また上記に該当しない業界や職種の方々も、2020年から続く情勢で色々と苦労し、迷う部分もあるかもしれません。

私は事業会社、いわゆる一般的な企業に継続して勤める事を基本的にはおすすめしていますし、長く同一の会社にお勤めの方には尊敬の念があります。

何故なら、その経験でしか生まれないものがあると思うからです。私自身が長く同じ所にいられない性質と性格ですので、その粘り強い経歴は羨ましくもあります。

ただ、もしも事業会社から飛び出して、自分でコンサルティングをしてみよう、と思う方がいらっしゃるのであれば、私の12年という期間にはなりますが、一応この仕事が続いているのは、以下の要素だと考えています。

実は、上記の(1)~(3)エピソードを抽出すると、

(1)ユーザーやお客様・販売員目線、視点で物事を考える
(2)過去キャリアは一旦捨ててゼロベースにし、多方面に教えを乞うスタンスを持つ
(3)外部スタッフだからこそ、より一層本気で伝える、そして伝わる事を大事にする

私は、これが出来れば誰だって、コンサルタントとしてクライアントに貢献することが出来ると思っています。
勿論ロジックやシステム、ツールは重要です。勉強も分析も研究もリサーチもプロとしてやるべきです。

でも結局は、本当に成果を出すのは現場の方なので、一緒にやってくれるか、一緒にやり切れるかどうか、だけだと気づきました。

本当はもっとスマートにコンサルティングをしている方も沢山いらっしゃるのですが、自分はダメダメ販売員でしたので、こういう不器用なルートを通り、今に至っています。でも、人の努力は見えにくいので、もしかするとスマートに見えるだけかも知れないですね。


※ 2022年7月30日、少しだけリライトしました ※


コジマサトシ/トナリコネクト

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?