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【時の織り糸】第1話(全6話)

あらすじ

アパレル業界に身を置く二人の主人公、ユカとハヤカワの物語。時代は2005年…29歳のユカは急成長するアパレルショップのトップ店長として活躍し、充実した日々を送っています。そんなユカが、ほんの少し先…未来を感じる事が出来るという奇妙な能力に気付き、本来の能力をさらに発揮するようになります。一方で2025年、50歳のハヤカワはかつて、ユカと共に成功を収めた人間でしたが、今は冴えない落ちぶれた日々。そんなある日、とあるきっかけで20年前に戻り、再び若き日のユカと出会います。ハヤカワは過去の失敗を繰り返さないために、未来を変えるために奮闘する、過去と未来が交錯するアパレル業界SFストーリーです。

あらすじ

00

 あの頃は良かった。
 そんな風に思う事はあるだろうか。


01(ユカ)

 ここ最近、奇妙な感覚がある。
 もしくは、突然に生まれた才能だろうか。

 あたしは二十九歳。1976年生まれ。

 日本全国に店舗を展開する、レディースアパレルショップで、ずっと働いている。

 2000年に入るまでは、30店舗くらいだったこのブランドも、毎月の様に新規店舗を出店して、2005年の今で、80店舗だ。

 そして、あたしは80店舗の中で一番の売上をつくるトップ店長であり…実際に全店舗の代表者として、二十八歳からその地位を守り続けている。…守るつもりは無くて、結果的にそうなっているだけなんだけど。

 仕事は大変だが楽しい。楽しいけど大変。でも楽しい。

 充実感は、ある。今を全力で走る事が楽しく、走り抜けた時も楽しい。将来の事を考える余裕はあまりないけど、考える必要も感じていない。

…なのに。

…なのに…あたしは、今まで経験した事の無いような絶望を感じている気がする。少し未来の事が透けてきている。透けて見えるような感覚がある。

 何か大事な事を忘れているような気もするし、でも、明日お店に入荷する商品が売れるのか売れないのかは、実はもう、今日、この時点で解っていたりする。

 あたしは、自分の事を好んで『あたし』と言うが…それはただ学生の時に好きだったアーティストの真似をしていただけで…そのアーティストの引退を知った時から、無意識に、時々『私』と言うようになったりしている。

『あたし』と『私』を行ったり来たりするようになってから、私が直接管轄するエリア店舗の売上が前年の150%以上伸びた。とにかく『たぶん…こうなるんじゃない?』が、何故だか当たるようになった。

 もしかすると三十歳になる前に、神様がくれた才能なんじゃないのか、なんて、結構真面目に言っては、周りに笑われていたりする。

02(ユカ)

 あたしは、平凡な普通のアパレル販売員だった。ただ単純に、お洋服屋さんで働く事が好きだった。

 特別な勉強はしていない。もちろん売れない日もある。でも、少し工夫をすれば次の日には簡単に売れた。在庫が1色しか残っていない商品でも、何故だか自分が接客をすれば売れた。死に筋と言われる…まったく動きない様な商品でも、自分がその商品を着て、数時間お店の中を漂えば、売れた。だからと言って、その商品を全国から集めてくるのはやめてほしいけど…。

 何も工夫もしていない訳じゃない。勘違いされる事も多いけれど、売れなかった理由は、あたしは必ず振り返るし、違うアプローチ方法を、あたしなりに沢山試した。商品が売れないなら、売りにくいなら、何故売れないのかを考えた。自分が商品を着用する時には、自分らしいコーディネートを工夫した。売るためには努力が必要だけど、それこそが『アパレル販売員の面白い所』だった。

 私は、全店統括の立場であり、1人の販売員であり、同時に店長でもある。主な仕事は、スタッフ育成とか部下のマネジメントとか。一緒に働くスタッフは本当に様々で、私より十歳年上のパートさんもいれば、十九歳の専門学生のアルバイトスタッフもいるし、大ベテランや中堅の社員もいるし、新卒の子たちもいる。

 はじめは、店長の仕事は苦手で苦労した。ただ、いつの日からか、みんなと話すのが、急に得意になった。何となくだけど…何に悩んでいて、何を聴いてあげて、何を話してあげればいいのかが、解るようになった。だから最近では販売員として自分に加えて、店長としての自分も少し好きになってきたような気がする。

 そんなあたしが、今気付いている課題を、本社…経営陣や商品部、人事部に好きなようにぶつける日が、月に1度ある。その日は、17時までお店で働いて、19時までに着くように本社に向かう。正直ヘトヘトで、日程も時間も滅茶苦茶だと思うけれど、絶対に必要な日だ。

 そして、まさに今日は本社に呼ばれている。ぐちゃぐちゃになった棚の商品が気になって、畳み直してから出ようか…とか思っていると、副店長から(やっておきますから、大丈夫です)と、アイコンタクトがあって、じゃあお言葉に甘えて…と、店のスタッフに挨拶をして、30分ほど移動し本社に到着した。

 いつも店を出るときは、後ろ髪引かれる思いしかない。とはいえ、本社に着いた後は、我ながら慣れた手つきで、IDカードをピッとやって、会議室までの道を歩く。何の音…と表現出来ない騒がしさの中、この道中にある商品部オフィスに顔を出して、色々と次の商品サンプルを見ながら時間を潰すのが、貴重な時間。商品部と、まだ世の中には存在しないお洋服の事を話せる。ちょっとだけホコリっっぽいけど、幸せな時間であり空間。

 商品部のオフィス内を見渡す。

 いつも見る華奢な後ろ姿がある。猫背気味に座っているから、すぐに見つけられる。どうやら、これまたいつも通り、あたしには気付いていない。今日はどうやって声掛けてやろうかな。どうせ、また徹夜して仕事してたのか、ぼーっとしているみたいだから、正攻法で、後ろから大きな声で叫び呼ぶ、でいいか。




03(ハヤカワ)

 俺の人生は、ロクなモノじゃなかった。

 就職氷河期。職業選択は不可。

 人生のピークは二十五歳からの四年間だった。

 何度、その言葉を発してきただろうか。居酒屋もあれば、お店のバックヤード。電話やチャットでのやりとり。ランチ時間。退勤後。聞く方は鬱陶しいだろうが、そう発言している自分はまったく気には病んでいない。そう。ただ、ただ、言いたいだけなのだ。

 過去の経歴の財産を食い潰しながら、多くの転職を繰り返してきた。…もう今は無くなってしまった会社。合わない上司に追い出されてしまった会社。ケンカ別れした会社。履歴書の『左側』だけが妙に埋まっている男であり、今日、ついに五十歳という大台に乗った。

 やはり人生のピークは二十五歳、二十代後半まで、だったのだ。

 あの頃…俺が仕掛ける商品は、何でも売れた。若いし体力もあるから、少し無理をすればいくらでも企画が出せた。算数は得意な方で、それなりに絵も描ける。一晩徹夜でもすれば、売れるワンピースを十型起案し、自分で必要な発注数量を計算し、4色の色別の発注数量のバランスもすべて当てる事が出来た。

 たまに、店に販売員として立てば、自分の接客で嘘のように売れた。そもそもあの時代…2005年かその頃は、レディスアパレルに若い男性の販売スタッフがいる事は少なかった。あの地域限定かもしれないが。それも俺には有利に働いた。

 ただ、時間は過ぎ、今や2025年で、俺は五十歳のオジサンだ。
すべて、今の自分には全て出来ない事である。だから俺のピークは過ぎた。終わったのだ。

「ハヤカワぁあ!」

 汚い声で、十三歳も年下の上司に呼び捨てにされている。しかし仕方がない。俺が五十歳で、あいつが三十七歳である事には意味もない。あいつが本部長で、俺がただの主任。

 仕方がないが、納得は出来ない。商社を脅すように交渉して低単価な商品を作らせ、WEBの知識と知見を振りかざし、それが『たまたま』当たっただけだ。あいつがやっている事は、ファッションではなく、下請けをギリギリのラインまで責めて、攻めて、旬な何かに金を出して偶像を借りているだけ。

 水商売なんて『高貴』なものではない。ドロドロした黒い、液体とも言えないモノ。

 そんな仕事を、俺はしている。

04(ハヤカワ)

 自分なりの美学があった。だからこそ、今に絶望している。

 だが、もう仕方が無い。俺が携わるのはファッションビジネスだ。金を稼ぎ、利益を生み出す。どんな客でも理解出来そうで、ちょうど良さそうなモノを、どう上手く伝えるのかだけが大事な時代。

 いくら必死に商品を作っても、すぐに模倣商品が1ヶ月後、競合ブランドの売場には並ぶ。そして店舗数が多く、沢山の数を作って、そして売る事が出来る力がある企業が有利だ。当たり前の話だが、同じ物を沢山作れば、それだけ価格は安くなる。パッと見が同じようなモノなら、より安い方が売れる。当たり前で仕方が無い構造。簡単に真似をされるような商品しか作れない俺と、それを売る事が出来ない俺が悪いだけだ。

 今は、ちょうど、オフィスで自分のデスクに座っている。

 目の前のノートパソコンは皓々と光っているが、考えるのが面倒になり、目を瞑る。目を瞑っても、周りからの光で視界は真っ黒ではない。そんなとき、はるか昔に思いを馳せる事だけが、今の自分を何とか支えている。

 昔輝いていた頃の仲間へ。チャットで、メールで、SNSで、あらゆるツールで近況を、頻繁に聞く。普通には考えられないペースで。

 その行動は、当時を思い出し、自分を慰める事に繋がるが、めったに返事は来ない。だから、また眼を瞑る。電池を何でも変え、ベルトを替え、時に修理をしながら長年愛用しているデジタルの腕時計に目をやる。そういえば、あの頃もこの時計を付けていた。思い返せば、この時計はずっとコアな部分は変わらない。持ち主も、電池や部品の交換が利けば良いのに、と思いながら。

…。

……。

………。

「ハヤカワ!」

 突然声を掛けられた。

 自分の耳を疑う。意識を疑う。自分の脳を疑う。

 確かな事は…それは、汚い声ではない。

 凜として強く優しい、そして昔、よく聴いた声だった。




05(ハヤカワ)

 懐かしさを感じる3和音の着信音が鳴り響く。活気があり、やけに騒がしいオフィス。さっき俺に呼びかけたであろう女性が、続けて俺に話し掛けてくる。

「なに寝てんの?昼間っから」
「……。」
「もしもーし?ハヤカワくーん!」
「ん?」

 周りを見渡す。忘れる事はない、俺がピークだった時、働いていたオフィスだ。

 視界の右斜め前には、試作段階…俺が依頼をしていたサンプルのワンピースが、ハンガーラックにぎゅうぎゅうに詰まっている。どれもこれも、この年売れまくった商品であり、その商品たちを見るだけで、これがいつ頃の時代なのか、見当がついた。

 恐らく…ここはさっきまで空想…妄想をしていた『俺が一番輝いていた時の…二十九歳の時の商品部オフィス』だ。

 夢?タイムスリップ?それとも妄想しすぎで、ついにおかしくなったか…
でも、目の前には、さっき話し掛けてきた…腐れ縁の店長…ユカがいる。

 まあ、夢でも空想でも妄想でも何でもいい。とりあえず、周りに当時の同僚もいるし、今は話を合わせて、自然に話をしておいた方が良さそうだ。とにかく俺は、よくわからないけど、2005年の商品部オフィスにいる。ユカにもいつも通り…を、思い出しながら話そう。

「ユカ…今は、来シーズンのコンセプトを考えてるんだよ」
「どうせ、怪しい謎の夜更かししてるからでしょ?せっかく月に一度のカイギにトップ店長の私が来てやってるのに、聞きたいこととか無いのかね?」
「先週末も店で会ったろ。慌てて聴くような事は特に無い」

 つまんない、と言いながらユカは足早に商品部のオフィスを離れていく。と思ったのも束の間、180度Uターンする。

「ホントに聞きたい事ない?」
「ああ、今聴く事はないよ。ありがとう」
「ふーん。ハヤカワ、何かいつもと違って、めっちゃオジサンぽいからさ。そんなんではブランド全体が困りますよ。ねえ?」
「俺はまだ、ぎりぎり二十代だよ。やめろ」

 あまりにも会話が成立しすぎているし、視界も良好。意識もハッキリしている。もっと言うと、目の前の表計算ソフトや、デスクにある帳票、壁に貼っている商品写真。まさしく2005年当時のものだ。今となっては古く感じる事すら、すべてが、細部が、夢にしてはリアル過ぎる。

 これは…本当に2005年に戻ってきたのかも知れない。

 五十歳の知識と経験、そして記憶を、そのまま引っさげて。

06(ハヤカワ)

 左右の手を繋げて上に引っ張って伸びてみる。目線を下に向けると、大した運動はしていないので腹筋はおそらくゼロに近いが、スマートな自分の腹がある。毎日のように感じている肩の重さも無い。視界もクリアで、どうやらそもそもメガネをしていない。でも、遠くにあるカレンダーはハッキリ見える。ああ…これはコンタクトが入っているな。そう言えば、当時はずっと2週間使い捨てのコンタクトを使っていたはずだ。ただ、左腕に付けている時計は、五十歳の今使っているものと同じ…というか買ったばかりの新品の状態で原型だ。懐かしさすら感じる。

 とにかく、絶対に、これは五十歳の俺ではない。それを強く認識した瞬間、俺の頭は完全に、この時代…2005年に順応し始めているように感じた。

「ちょっと待ってくれ!ユカ!」

 自分で発した声の質が、やはり五十歳の俺の声と違う事に気付くが、ただ、今感じている事と比べれば、それは些細な事だった。

「まだ、例の月イチ会議まで時間あるよな?」
「うん?まだ1時間くらいあるよ。どうしたの?急にそんな大声だして。珍しいねえ」
「ちょっとさ、ユカに聴いてほしい事がある」
「さっきは大丈夫って…うん、はいはい。聞きますよ。はいはい」

 この会社の人間が、環境を変えて、秘密裏に、ゆっくり話したい時に使うカフェ兼バーがちょうど同じオフィスのB1Fにある。マスターが立派な髭なので、通称ヒゲカフェと俺たちは呼んでいる。この店の特徴はなんと、店側が特別に『同じビルで働く、俺たちのような人種用の密室的ミーティングルーム』を用意してくれている。ある意味では商売上手でもある。特にカフェスタッフとは言葉を交わさずに、毎度のごとく顔パスで、俺たちの足はそこに向かっていた。

 注文も適当に、俺のアイスコーヒーと、ユカのアイスティーがテーブルに置かれてから、ゆっくりと話を始めた。

「あのさ…何だかよくわからないけど、俺ホントは五十歳なんだよ。目を瞑っててお前に呼ばれたら、この時代に戻ってたんだ。こんな話してるのが自分でもよくわからないけど、ホントなんだ」
「ふーん?多分それ、ホントだと思う」

 …こういう話は、大抵理解されず、少しずつ証拠を出しながら信じてもらうものと思っていたが、ユカの理解力というか、受容する力に驚く。面倒だからと、ユカは適当に話を合わせるような人間ではないし、少なくともその眼は、真剣にじっと、ずっと、こっちを見ている。

「いや、何て言うか…そんなにあっさり信じてくれると、嬉しいような…拍子抜けするというか…」
「ハヤカワみたいな、ハッキリした記憶は無いけど。あたしも少し似た感覚があったりするから」

「え?じゃあ…、じゃあ、もしかして、ユカも2025年の…五十歳の記憶があったりするのか?俺と同じように戻ってきた人間なのか?」

07(ハヤカワ)

 ユカは、こちらを見ずに続ける。

「ううん、そういうのは無い。だからハヤカワが、ふざけてるだけなんだろうなって、ちょっとだけ思ってはいるよ。でも…」
「でも?」
「説明は出来ないんだけど、何かハヤカワの雰囲気が、いつもとはやっぱり違うし、そもそもハヤカワってそういう冗談言った事ないじゃん?冗談ならまったく面白くないけど」
「複雑な気持ちだけど…信じてくれて嬉しいよ」

 少し…間を置いて、ユカは笑顔でこう切り出す。今度はこちらをしっかり見ている。

「改めて…はじめまして、オジサンになったハヤカワちゃん」
「…そうなるのか。三十五歳くらいの時に、偶然、一度だけ顔を合わせているから、実際のところは15年振りってとこか?ちょうど小さい娘ちゃんを連れていて。元気か?旦那さんと娘ちゃんは?」
「いやいや、そんな認識は当然、私には無いのよね」

 まあ、そうか…というか、ついつい、同窓会的な気分で話題を出してしまったが、そんな話をして良かったのだろうか。と内心で焦る。

「結婚して、旦那がいて、娘がいる…。それが私の三十五歳の時の姿って事なの?まあ悪くないかな」

 どうやら話をしていくと、俺は『今までの記憶は全てそのまま持って、20年前に戻ってきた』ようだった。信じられない。ただ、頭はハッキリと冴え渡っている。

「んーと?えーと?つまり?ハヤカワは…未来の記憶も引っさげて、ココに戻ってきたって事?それ、ずるくない?」
「ああ、普通に見た目は二十九歳、中身が五十歳のハヤカワの出来上がりだ」

 (そっかそっか)という呟きがあったような気もするが、ユカは俺の話を茶化すことなく、ごく自然に受け入れて話を続けている。

「てかさ!五十歳のハヤカワって、どんな感じなの?教えて?」
「いやいや…普通にオジサンだよ…どちらかというと、冴えないオジサン」

 あまり、五十歳の自分の姿を、今のユカに見せたいとは思わないのだが、付き合いも長い相手だ。ありのままを見せようと、ポケットに入っているスマートフォンを取り出して、数少ない自撮り写真でも見せよう…と思ったが、ポケットから出し、手に持っていたのは、2005年当時使っていた折りたたみ式の携帯電話だった。

08(ハヤカワ)

「ちょっと待ってくれ、ユカ」
「何をもったいぶっているのだね、ハヤカワオジサン。早く写真くらい見せてよ?」
「……。いや、未来からスマホを持ってくるなんて、そんな都合の良い話は無かったみたいだ」
「何の話?スマホ?なに?よくわかんないや」

 えっと確か…iPhoneが日本での初発売は、2008年、だったか?スマホ何て知らないのも仕方ない。

「えっと…ユカは、スマホ…いやケータイは持ってるか?」
「もっちろん!これこれ!オキニイリですよ。…変なとこ見ないでよ?」

 これはまさしく、当時のケータイ。あの頃にしては珍しく折りたたみ式じゃないストレート式のケータイ。縦長で全体的にボタンなども紅白に彩られたもの…そして思ったよりもボロボロだ。どうせ地面にガンガン落としたりしているんだろう。確かにこの時代のケータイは丈夫だったような気もするけど…それにしたって扱いが悪すぎる気もするが。

 ユカは、わーわー、ごちゃごちゃずっと言っているが、すでに俺に順応し始めている。でも、その方が都合が良いのかも知れない。『未来から来た』を信じる人間など、きっとそう簡単にはいない。ただ…何かしらの感覚や確信のようなモノが一応ユカにはあるから、俺の話を信じるし…信じてみようとするし、会話が通じるのかもしれない。

「よくわかんないけどさ、未来の記憶があるなら、いっぱいお金稼げるんじゃないの?大金持ちになれるよ」
「ん…。なんかそれはやっちゃいけない気がする。ペナルティがありそう」
「何それ?ペナルティ?…はい?」
「よく解らないし、確信も無いんだけど…俺は何かを為すために、この時代に戻って来たんじゃ無いか、って思うんだよ。忘れてしまったモノを取り戻すのが目的とか…なんとか」

(ハヤカワちょっとキモいな…)というユカの声が聞こえてきたような気がするが…多分、果たすべき目的に関係の無い行動や、私利私欲に任せた行動をした時点で、俺は五十歳のオジサンへと瞬時に逆戻りしてしまうような気がする。なぜそう思っているのかはよく解らないが、せっかく戻って来られたのだから、俺は自分のピークだった二十代を、もう一度、出来る限り満喫したいと正直な所思うし、ここからの選択も間違えずに進む事ができれば、もしかしたら五十歳の俺は、少し違う形、マシな形になるんじゃないか?…とはいえ、何をどうしていくべきか…。

「あっ?ハヤカワ!もうカイギの時間だ!あたし行ってくる!」
「おお…悪い。じゃあまた後で」
「ハヤカワとは、社長に深夜に呼ばれる、超ブラックなカイギで合流だからね!?ちゃんと来てよ?」
「はいはい」

 月1回の経営陣が、ユカを招集しての会議の事はよく覚えている。ただ、社長とユカと俺で…深夜に会議?それはあまり想像がつかない。

 しかし…なんで、あんな高いヒールで走れるのか、ずっと不思議なのだが、あっという間に後ろ姿は見えなくなった。なんとなく腕時計に目をやった。この時計が真新しい事が、やけに2005年に戻った事を感じさせる。

09(ユカ)

 会議室までの床は固い。コツコツとした音が鳴り響く。

 とりあえず、大事な会議に遅刻は出来ないからと、全力でダッシュしている。いつもより身体が軽い気がする。

 あのオジサンハヤカワの存在、そして、さっきハヤカワが話していた事は、すべて信用出来る気がしてる。理屈じゃなく直感的に。アイツはそういう冗談がめっちゃ下手だし、長い付き合いで、そういう事を一度も言った事もない。

 少し走るペースを落とし、さっきハヤカワが言った事を、もう一度ゆっくり思い浮かべながら、ゆっくりと歩く。

 ただ、すぐに会議室に到着し、会議が始まる。社長達のいる前で、禄に採用活動を進めてくれない人事部長をボロカスに言っておいた。気分が良いモノではないけど、全店長の為には仕方が無いから。あたしが言わないと、この会社は動かない。何故か最近、少し面倒に思うような事への行動遅くなってきたように思う。

 実際、人手不足に苦しんでいる店長達の相談は、毎日のようにある。それは、どんどん増えてすらいる。競合店とのスタッフの奪い合いは、売上やお客様だけではなく、そこで『働く人達』を含めて、になって来ている。

 最近は、商品の魅力や夢を語るだけでは、ウチのブランドに人は集まらない。もちろん数年前は、何もしなくても人がドンドンと採用出来た…それに、今の人事はまったく気付いていないし、その上の経営陣もそうだ。もしくは気付いていないフリをしている。誰が、朝八時半から夜二十三時半まで、ぶっ続けで働きたいと思う?もちろん店舗スタッフの人数が揃っていれば、上手くシフトが組めるのかも知れない。でもスタッフの急な欠勤、病欠や、突然の退職…毎日、食事どころか、トイレにもマトモに行けない店長達が悲鳴を上げている。

 穴の空いた人員、欠員を埋めるために…その店舗にヘルプ…応援で入った時に、辞めたスタッフが、実は下のフロアの別のお洋服屋さんで働いている姿を見た時は、思わず泣いた。目が合ったような気がするけど、こちらからさっと逸らした。怒りで、顔も見たくないから…ではない。前よりもキラキラと輝いているように見えたから。同時に、もはや私達のブランド、この会社には陰りがある。そんな気もしていた。

 正直な気持ちとして、私は今、二十九歳であり、本当は自分の未来が見えなくなりつつある。アパレル販売員としてのスキル、店長としてのスキルは磨ききった気がしている。それは自信過剰な部分から来るのではなく「もはや伸び代が無い、何をやっても今よりは、もう上手くはならない…」ような、そんな気持ちだ。

 店長以外の仕事…商品を企画する力や、ブランドを統制するような力は、あたしには無い。自信も無い。

 今日明日に売れる商品は、誰よりも解る気がするのだが、半年後売れる物が当たった試しが無い。どんな状況でも、今日売る力…それは社内で一番、誰よりもあるつもりだが、1年後もこのブランドを絶好調にする方法が、あたしには解らない。これがあたしの限界だと毎日思い知らされている。

でも、未練には、したくないな。

10(ユカ)

 お洋服は小さい時…小学校の頃…いやママが言うには、すでに幼稚園の頃から大好きだったらしい。デザイナーの仕事というよりも、私はやっぱり「お洋服屋さん」になりたかったし、ずっと「販売員さん」でいたかった。

 でも、段々と何かが少しずつずれていく。どんどん入る新しいスタッフ達は若い感性を持っているし、お客様も私より若くなってきて、年齢差が大きくなっている。二十九歳なんて、世間で言えばまだまだ小娘何だろうけど、この業界、そして店舗の仕事ではベテラン側なんだなあと、改めて感じる。

 そして。私は明日三十歳になる。そんな時に、どうしても誰かと比較したり、相談したりしたくもなるけど…地元の友だちは様々だし、この不安感を100%理解してくれる存在はいない。好きな仕事で一生暮らす人生が描けない。他の店長たちよりは…少しは多くの給料を貰っているが、それでも、今の働き方を合わせれば、まともには人生設計が出来ない。

 たぶん…どこかのタイミングで転職をするか、学生の頃から連れ添っている彼と結婚して、なんとなく時短勤務みたいな形に変化していくんだろうと思っていたりもする。結婚してくれなかったら、それはそれで。割り切って、別の業界に転職して、家でも、車でも、宝石でも、売るモノを変えれば、年を重ねてもやっていける気はしている。

 そのために、あたしはずっと、人懐っこい自身のキャラクターを研究し尽くしたのだ。八方美人を極める。結果的にこのスキルで今の会社では、優秀な成績を収めているのだと思う。でも、せっかくのスキルを活かすならば「大好きなお洋服屋さん」で発揮したいのだ。好きを仕事にしていたい。そこだけはワガママを言いたい。

 …ちょっと違う事を考えすぎていたみたいだけれど、今の時刻は22時20分。会議の開始が19時って、始まるのが遅すぎない?もちろん私の店舗勤務シフトに合わせているから、かもだけど…。

 でもようやく…いつも以上に、人事部長いじめちゃった会議は終わり。悪気はないんだけどな。今日は、いつもほど時間は掛からなかったように思うけど、すでに腹ペコだ。

 だけど…この後はハヤカワと私と、社長と3人で会議だ。さっき社長からメールが来て『トイレ休憩してから22時30分開始』だってさ。晩ご飯くらい食べさせてよ、って。

 この後、何が飛び出すのか、期待ちょっとの不安だらけというのが、正直な気持ちだけど、一息だけ入れ直して、社長室の少し手前で、頭を真っ白にしながら、ハヤカワの到着を待った。


(次回、第2話はこちら)

(第3話~第6話はこちら。完結済)


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