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【時の織り糸】第6話(完)

(第1話はこちら)

(前回、第5話はこちら)

49(ユカ)

 明らかに、ハヤカワが混乱しているのが解る。

 といっても、混乱しているのは私もだ。

 ハヤカワが混乱を隠さずに切り込んでくる。

「え?えええ?ちょ、ちょっとユカ?今…もうすでに子ども…娘がいるのか?え?あ?初めてきいたぞ?そんな話?」
「いや、ちょっと待って。私が今混乱してる。私に子どもはいないよ…流石に知ってるでしょ…」
「いや?いやいや?何の話だ?これ」
「また解らなくなっちゃった…」

 ハヤカワは沈黙している。

 私も、なんでそんな事を話したのか、まったく解らない。

 数分の沈黙。

「ユカ!ちょっと腕時計見せてくれ」
「え?」
「いいから!!」
「うん?」

 私の腕時計、手のひら側をハヤカワに見せる。時刻は00時20分と表示されている。

「これ…明らかに、今の時刻じゃないぞ?」
「そう…だね…流石に深夜0時というには、外の明るさ的にも無理があるね」
「もしかしてさ、ユカ。ユカも俺みたいに2025年から来たんじゃないか?」
「え?でも、私はハヤカワみたいに、未来の記憶は全然ないよ?」

 ハヤカワが腕組みをして、少しして、紙に何かを書いている。

「もしも…」
「うん?」
「もしも、俺が知っている流れで言うと、ユカは退職して、その後すぐに彼氏さんと結婚して、出産…か。流れ的には、自然…という表現が正しいか解らないけど、想像は出来る流れだ」
「あー、前に言っていた話ね」

 困り顔のハヤカワが言う。

「ユカ。今俺の目の前にいるユカは、やっぱり俺と同じ2025年から来たユカなんじゃないのか?そうすれば色々と辻褄が合うんだ」
「え?でもそんな…嘘でしょ?」
「俺みたいに、未来の記憶を持ってきてはいないけど、断片的には…頭の片隅には残ってたりするんじゃないか?」
「……」
「……」

 沈黙。

 いや、これは、ハヤカワが私に自分の頭の中を整理しろ、と言っているんだ。

 私が何故か、未来への希望と絶望が漠然とあったり、明日売れる商品が先に解ったり、主婦パート、ベテランの社員さん、学生のアルバイトスタッフ、色々な経歴の社員とも、急に上手くやれるようになった。そういえば、それは、ある日突然だった。

 いや。

 違う。

 突然だったのは、急に能力が身についた事に対してじゃない。そして能力が身についたのではなくて…ある日突然に「やり直し」が始まったんだ。

 思い出した。いや。違う。思い出したという感覚ではなく、閉じ込めていた記憶、の方が近い気がする。

 私は、途切たものを、ほどけたものを繋げたかったんだ。

50(ハヤカワ)

 ユカの曇った表情が明らかに、朗らかになっていく。

 どうやら、何かを思い出した?もしくは、何かが繋がったようだ。

「ハヤカワ。私もハヤカワと同じで未来から、やり直しに来た存在だったよ」
「やっぱりそうなのか…どうして解った?」
「突然解った…というよりも、ずいぶん前からやり直しをしていて、そして未来から来た事を閉じ込めていた。それを…思い出した」
「て、ことは、俺と同じで、そして俺よりも先にこの時代に来たっていう事か」

 まさか、というのが正直な気持ちだ。

 正直、かなり驚いているのだが、驚きすぎて冷静になっている。不思議だ。

「でもさ、ハヤカワ。私…いつからここに居るのか、解らない」
「なるほど…未来の記憶がはっきりとは無い…は同じだと」
「なんで、戻ってきたんだろうね。私」
「それは、解らないよ…俺には」

 しかし、何なんだ?この感覚は。俺がこの時代に戻ってきた理由は間違い無く「未練」だ。これ以上に解りやすい理由はない。となると、ユカも何かの「未練」があるからこそ、この時代に戻ってきた…と考えるのが自然か?同じ理由であるという確証もないけれど。

「うーん。色々わかんない」
「ユカさ。自分が何年から戻ってきた、とかそんな感覚はないか?俺が2025年から来たように」
「それも…よくわかんない」
「覚えている事とかは?」

 ユカはすっかり沈黙している。いや、必死に考えている、思い出そうとしているようだ。

「全然わかんない」
「うん、解った。まあ無理矢理に思い出せるような事でもないんだろうな。一旦、それはそれとして…で、話を戻そうか」

 思い出せないなら、それでいいのかも知れない。

 俺は、今、きっと大きな判断…決断を求められている。

51(ハヤカワ)

 俺は、今までのやり取りで、ユカに一つだけ、嘘をついていた。

 いや、一応ではあるが『傷口』という表現を使って、とても遠回しに伝えるようにした。

 偶然にも、街でユカに再会した日。ユカは旦那さんと小さな娘と一緒だった。絵に描いたような幸せそうな家族の姿。

 その後の出来事が、俺の『傷口』だ。

 そして、それが、俺が本当にやり直したい事だったのだ。

 躊躇している場合ではない。

52(ハヤカワ)

「ユカ」
「はい」
「さっきのメモ、まだ持ってるか?」
「もちろん…流石に持っているし、具体的に覚えているよ。明日にでも社長に話すつもりだし。それに、つい、さっきの話だし」

 といって、ユカはカバンをゴソゴソと確かめる。

「そのメモは、実はユカにとっても、スゴく大事な内容になるんだ」
「あれ?」
「どうした?」
「何処を探しても、ない」

 あり得ない。カバンのポケットに大事に入れたところは、俺の、この目で見ている。

「じゃ、じゃあ…流石にまだ記憶には残っているよな?」
「当たり前でしょ…いや…何だっけ?何にも覚えていないよ…なんで…」

 なるほど。いや、なるほどではなく、具体的で直接的な回避方法は、結局伝える事が出来ないのかも知れない。

…だとすれば、俺が伝えている事、やっている事って、何の意味があるんだ?…自分の猶予時間らしきモノを減らして、具体的に伝えた事は、結局何も残っていないじゃないか。

 何の意味もない。

 何の意味もないのか。

「ユカ」
「はい」
「とりあえず、これだけ…これだけを、これから、忘れないでいてくれるか?」
「うん。なに?」

 果たして、どうなるか。伝えるしかない。

「これからずっと、どんなに忙しくても、お金に苦労する時でも、辛い事があった時でも、ずっとファッションを好きでいてくれ。コーディネートを楽しんでくれ。洋服に拘ってくれ。すぐボタンが取れるような服を着ないと約束してくれ。そしてそれを娘ちゃんにも。旦那さんにも」
「うん。大丈夫。解った。そんなの忘れるわけがないよ。昔から…今だってそうしてる」
「すぐに糸がほころぶような服は絶対に着ないでくれ。強く引っ張っても破れないような、丈夫な服を着てくれ」
「うん。わかった」

「そうすれば、ユカ。次は、大丈夫だ」

 大丈夫だ。きっと。

 きっと、あの幸せそうな家族が、落ちそうになったり、流されそうになったり、何かにぶつかりそうになっても、互いにきっと手繰り寄せ合える。きっと流されない。あの濁流には。

 腕時計は、00時00分

53(ユカ)

 ハヤカワの姿が、輪郭が、ぼやけているように見える。

「もしかして、猶予…使い切った…の?」
「ああ、そうみたいだ」

 左腕を握りしめて自分の胸に当てるようなポーズで、腕時計を見せてくる。

「え、そんなのイヤだよ。まだ話したい事がいっぱいあるのに!」
「大丈夫だ。次は、俺か…誰かが…はなさないから、いつでも話せる」
「ハヤカワが何を言ってるか、意味がわかんないよ!」
「大丈夫、繋がるよ、簡単に」

 さっきよりも、ハヤカワの姿は薄く見えるし、声も小さい。

「意味わかんない事ばっかり言わないで!」
「とりあえず…何となく、だけど、やっぱり俺は、これで元の時代に戻るみたいだ。誰かに汚い声で呼ばれている。ありがとうユカ、ほんの少しだけど、一刻だけ青春だった」
「…もう…戻るんだね…わかった。ありがとうハヤカワ」
「ああ…こちらこそ、ありがとうユカ」

 もう、ほとんどハヤカワの姿は見えない。

「あ!ハヤカワ!」
「ん?」
「…ハヤカワってさ?下の名前なんだっけ?」
「オサムだよ。理科の理で…オサム。まさか…今まで知らなかったのか?それは、ひどいな……ユカ…」

 ハヤカワが居たという感覚そのものが薄れていく。

「ずっと一緒に働いてきたから、知ってるに決まってる…オサム…ありがとう…」
「―――――――――――」

もう何も聞こえない。




EX01

「―――――――――――」

「ハヤカワぁあ!ハヤカワぁさぁん!!」
「ん?」

 いつもの汚い声だ。…どうやら2025年に戻ってきたようだ。

 うん?俺の事を『さん』付けで呼んでいる気がするのは、何だ?

「あ…大丈夫ですか?ハヤカワさん、最近無理しすぎなんじゃないですか?意識が完全に、何処か遠くにいってましたよ」
「あ、すみません。本部長。ちょっと疲れていたみたいです」
「…ハヤカワさん…やっぱり変ですよ…本部長はハヤカワさんで、おれは主任ですよ…」
「え?」

 何だか、いよいよ良くわからなくなってきたが、ほんの少し、俺の2025年は変化しているのかも知れない。…まだ何も確証も無いが。

「ハヤカワさん、ちょっと相談があって、ですね…」
「ああ。いや、ちょっと待ってくれ…今、西暦何年だ?」
「…病院、やっぱり行きますか?今は2025年ですよ、ハヤカワさん。次のシーズン…26年の春夏企画に追われまくっている最中じゃないですか…」
「お、あ…解った。病院も大丈夫だ…ちょっと記憶がごちゃごちゃしていただけだ」

 本部長?今は主任?の汚い声のアイツは、少し愛嬌のある男として、今は俺の部下のようだ。…部下にしたら…結構憎めないヤツなんだな。

「で、大丈夫なんだったら、相談…いいですか?」
「ああ。大丈夫だ。どうしたんだ?」
「実は…先月の新店舗、売上は絶好調なんですが、また例の流行病の派生なのか…スタッフの体調不良が続出してて、他店からヘルプ回すのもちょっと厳しいんですよ…店長は誰でも良いから、本部から、人を回してほしいと泣いて頼んできていて」
「ああ。助けてやろう」

 現…主任は続ける。何だか俺自身の記憶が、書き換わっている気がする。自分が本部長である認識がハッキリとあるし、この時代の…昨日、先週、先月の記憶もある。

「はじめは…じゃあ、おれ行くよ!って言ったんですよ?そしたら【主任はホント、何にも出来ないし、邪魔なだけなので、主任以外の誰でも大丈夫、に変更します】って、店長言うんですよ…おれが泣きたいですよ…」
「まあまあ、とりあえず早めに、レジと品だし、最低限の笑顔、お客様とスタッフの邪魔にならないように…あ、あと店内でデカい声で、本部スタッフ丸出しの電話するのも止めてくれ…あれ、クレーム来てたからな」
「う…電話の件はもう許してください…あれから気を付けてますから…おれ…分析とか、WEBやEC系は得意なつもり何ですけど、どうしてもお店に立つと緊張しちゃって…恥ずかしくて…」
「ああ、知ってるよ。俺は逆にWEBとか、そっちは苦手だから…解った。俺が行ってくるよ」

 主任の喜びが溢れんばかりだ。

「ハヤカワ本部長!ありがとうございます!実は…店長からは、本部長ご指名でした」
「それは、光栄だ。もう五十歳なんだがな…」
「でも、ハヤカワさんがヘルプに入ると、絶対にその日の予算達成しますよね…」
「あー、それは俺に変なプレッシャーがあるから、今後は封印してくれ…」

 まあ、とにかく。

 またこの時代に戻ってきたんだ。肩慣らしには店頭ヘルプの方が性にはあっている。

「それでですね…実は…今日の17時以降のシフトも、すでに厳しいらしく…」
「解った。今から行ってくるよ。店に連絡だけしておいてくれ。今は…何時だ?」
「14時です。今から本部を出れば、15時には着きますね」
「ああ、そう伝えておいてくれ」

EX02

 確かに、2025年に戻ってきたようだ。

 目の前にあるパソコン、スマホ、WEB会議をしている風景。鏡に映った自分の姿。町並み。歩く人々。地下鉄。聞こえてくるおしゃべり。歩く人々の洋服。走っている車。

 挙げればキリが無いが、間違い無く2025年に戻ってきたようだ。ほんの少しの変化を伴いながら。

 色々と思考しているうちに、店に到着した。左腕にある時計を見ると、ちょうど15時00分だ。もちろんこれはスマホで見ても15時00分であり、まさしく正しい時刻だ。スマホと連動しているスマートウォッチだから、当たり前だ。昔と違って便利だけど、充電が面倒なんだよな。20年前のデジタル時計が懐かしい。あれ、復刻モデルとかあるんなら買おうか…。

 この新店舗は、俺たちのブランドの中では超大型店舗に位置づけており、必要なスタッフ数も数十名単位。店が暇なら、別に少数でも店は回るが、オープン景気なのか、店内はお客様で賑わっている。

 さて、店が忙しいとはいえ、店長には挨拶しとかないとな…俺の事を知らないアルバイトさんもいるだろうし、いきなり五十歳のオジサンがレジに入ったら、スタッフもお客様もみんな驚いてしまう。まあ…流石にヘルプに来る事くらいは、店内スタッフには周知されていると思うが。

「ハヤカワさん!ありがとうございます!助かります!」
「!」

 元気いっぱいの店長が、後ろから…死角から挨拶してきた。心臓に悪い…。

「すみません!驚かせちゃいましたか?!15時にいらっしゃるという話だったんで、ちょうどお迎え出来るように休憩に出ていました!!」
「おお…それはそれは…びっくりした…」
「お久しぶりですね!前の新店準備以来ですかね?店でお会いするのは!」
「いやいや、ホント…相変わらず元気だなあ…」

 何となく嬉しそうな店長の横に、最近、見慣れない姿がある。

「で!ですね!昨日からアルバイトで採用した…まだ学生なんですけど、超期待の新人がこちらです!なんか…身のこなし、とか話す内容?接客販売の力?が、初めてとは思えないんですよ!すごい人懐っこいんで、もう店内スタッフ、みんな彼女のファンになっちゃいました。元気で、面白いし!」

見慣れない姿…の女性が、こちらに挨拶をする。

EX03

「はじめまして!…………ユカリと言います!」

「結ぶの結に、加えるの加、理科の理で『結加理』です。って、スゴイややこしいんですけど、ママ…母の名前に…自分の名前の漢字とは、ちょっと変えたみたいですが…昔…大切だった人の名前を一文字足したんだそうです」

「でも、普通は父親の名前を使ったりしません?父の名前には『理』は無いんですよ。ちょっと変ですよね…で、あたしのカンですが、コレは何かあるなあ…なんて面白がってますが…ただどっちにしても、この名前…私の名前、すごく好きなんです」

「母にもドラマがあったんだなーって。ちなみに母も昔アパレルで働いていたみたいで、今でもよくお洋服の話をします。母は生涯現役でいたいって言ってるんですけど」

「でも母は今…ちょっと昔、怪我をしちゃって、今も大変みたいで…。母が言うには…昔…母と私が水に流されそうになった時に、思い切り着ていたジャケットの袖?を引っ張り上げられて、何とか助かったらしいんですけど、その時に一緒に流れてきたガラスみたいなもので怪我を…と言っても、私は記憶にないし…どんな事故か災害だとかは、解んないんですけど…とにかくその分、私が頑張るんです!」

「…って…て、ててて、店長!?スタッフの皆さんに好評だった自己紹介を、そのまま…本部の偉い人にして良かったんですか!?…店長が、この自己紹介はいい話だからって…店長に言われた通りにやりましたけど…えっ、え?店長、なんで笑ってるんですか?…あの…その…ハヤカワ?さん?…怒って…ますか…?」

それは凜とした、聞き覚えのある声。

強く優しい。

そして昔、よく聴いた声だった。


【時の織り糸】(完)


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