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【時の織り糸】第3話(全6話)

(第1話はこちら)

(前回、第2話はこちら)


25(ハヤカワ)

 さて。まずは10周年イベント後の事件だな。

 これは、どちらかと言うと内輪揉めというか、自分達だけの話だから、自発的に何とか出来る唯一の事かも知れない。

 まずは、えっと…10周年イベントに向けて、社長が色々大きな改革をしてくれたんだったな。無駄な営業時間の短縮。無駄な役員の接待の禁止。福利厚生の改善。新店オープンに伴う出張経費の金額アップ。そして、応援スタッフへの待遇改善。誰も読まない報告書や提出書類の廃止。謎のお中元お歳暮文化の停止。過去からの付き合いだけのメリットのない取引先は一時凍結。コネが絡んだ業務委託の停止。怪しいコンサル契約の全面破棄。これで、一気に従業員にとっても働きやすくなって、お客様にも大きく還元出来たんだよな。何より、社員みんなの覚悟も出来た気がしている。

 で、その結果、会長の太鼓持ちしかしていなかった経営陣から、社長は強烈に攻撃される事になり、社長職を辞任する事になった…と、まあ、そのあたりの辞任なのか解任なのか、退任なのかの細かい部分は知らない。なんせ情報が、こちらには出てこないもんだから。解っている事は『社長は不当な理由で辞めさせられた』それだけだ。
 
 そして、社長退任がきっかけかどうか解らないが、それからすぐに会長も病気で退任。その後、また怪しいコンサルジジイが戻ってきて、あろうことか社長に。他の経営陣はそのまま変化なし。そしてそこから、ブランド創設からのメンバーは五月雨に退職していったし、給与が高めの一般社員も一気に退職に追い込まれていった。この辺りからは、もう情報がほとんどない。

 さらに、新経営陣は、本部にもの申すタイプの店長や、昔からいる店長を冷遇し始める。それにユカは全店長を代表し、反発して意見したものの、逆に一番経営から厳しく当たられる存在になってしまった。どんどんと出来る店長は、諦めか、冷遇への辛さか、転職し、またそれを、ユカのマネジメント不足と指摘される悪循環。その後は、ユカにとっては悲惨な退職に繋がる。この頃のユカの顔色や表情は…形容する事が出来ない。

 うーん。こうやって文字にすると、とんでもないな…。だから怪しいコンサルなんかの意見を、何も考えずに聞いちゃいけないんだよ。そもそもアイツは経歴詐称してるし…いや…あのコンサルの事は…今はどうでもいいか。よっぽど俺…アイツ嫌いなんだな。

 よし。2006年の出来事としては、こんな感じか。

 で、その後の3年で俺の残務処理があって、2009年に俺も退職。正直…この年に退職したのが一番ダメージとしては大きかったな…転職に相当苦労した…。そこからはこのブランドがどうなったのかは、知らない。知っているのは…ブランドが一応は存在している事と、店舗数が日に日に減っていっているという現象、事実のみだ。

「あとは…」

 記憶にあるものを、思いつくまま。起きていた出来毎をざっと書いていく。

26(ハヤカワ)

 個室スペースのドアを開けて、一般の客席の方を覗く。

 そこには、やたら美味しそうに、ただの冷たい水を飲み干すユカの姿があった。店内は少し騒がしいものの、もう他の客は少ない。

「お?ハヤカワ?もう出来たの?」
「ああ…ざっくりだけど、書いたよ。特盛カレーは…もう食べたのか?」
「あ、やっぱり大盛りにしといた。特盛カレーは、あたしには20年早い」

 店が何十年も大切に使っているであろう縁が彩られた白い皿を、表彰状の様に持ち上げるユカ。少しカレーの色は残っているが、ご飯粒など、下に落ちるようなものは皿には付いていない。

「…いろいろ言いたい事はあるが、とりあえずこっちに来てくれ」
「いろいろ言いたいなら、それは、ぜひ聞きたいんだけどねー。全部」
「…ここのカレーは大盛りでも充分多い。俺はいつもご飯少なめだ。それに食べるのが速すぎるから、もっとよく噛め。20年早いを、巧いこと言ったみたいな顔するな。その皿、きっと大事なモノだから大切に扱え。ご飯をキレイに食べるのはユカの良い所だ。以上」

 ユカは、ニコニコとニヤニヤを混ぜたような表情で、満足そうだ。

「ほー。流石の早口ですねえ。最後に褒めて中和するテクニックもあるしね。まあ、言い方がちょっと気持ち悪いけど」
「…もういいか?とにかく、こっちに戻ってきてくれよ」
「はいはい。…あっ、すみません、ご馳走さまです。あっちに戻ります」

 カウンターにいるヒゲのマスターに一礼しながら、こちらの個室に向かってユカは歩き出す。

 ユカが個室に入って、ほんの数秒、おかわりの水とBLTサンドイッチがテーブルに置かれる。

「ユカ…!…まだ食べるのか…?」
「違うよ!ハヤカワの分だよ!サンドイッチは何かしながらでも食べやすいよ!」
「ああ…頼んでおいてくれたのか。ありがとう」
「えっと…皇帝?男爵?えっと、伯爵?だっけ」
「伯爵だな。サンドイッチ伯爵…ただ、ここのBLTは瑞々しい野菜を使っているから、手で食べると色々ビショビショになるけど。…良い意味で」
「…あたしが食べましょうか?」
「いや…ゴメン。いただきます」

 ハヤカワがサンドイッチを手に取りながら、ユカに、自分の隣に座るよう促す。

27(ハヤカワ)

「では、早速拝見しましょうかね…」
「ああ。見てくれ。左側から2005年。右に向かって2025年までの出来事を書いてみた」
「わあ…2005年あたりの文字数が多いねえ」
「何しろ、この年が、一番色々あったからな」

【2005年】
・10周年プロジェクトの開始
・社長、福利厚生の大幅な改善に着手
・社長、無駄な仕組みや謎ルールを徹底排除 
・社長、怪しいコンサルを契約解除
・社長、無能な経営陣に厳しく追及開始 無駄金の禁止
・現場の士気が大きく高まる 

【2006年】
・10周年プロジェクト大成功
・社長、太鼓持ち経営陣から退任に追い込まれる
・新社長に怪しいコンサル 直前、会長は病に倒れ引退(退任)
・ブランド創設メンバーは全員退職 当時のリーダー陣もほとんどが退職
・本部、会社にモノ申すタイプの店長を冷遇 営業時間の再延長による労働環境再悪化
・ユカ退職(結構追い詰められて)
・ハヤカワ、マニュアル作りを命令される

【2009年】
・ハヤカワ退職

「ほー。あれから社長頑張ったんだねー。それに未来委員会の動きも理想的だね」
「ああ、あの時の社長は、人格が変わったんじゃないかって噂されてた。鬼気迫る感じというか、一度絶望を知って、必死に希望を掴もうとしている感じというか…凄みが増していた…でも現場はみんな喜んでいたよ。私達にも三十代、四十代、五十代以降の未来が見えるって」
「へー?」
「これはユカが…まあこれからのユカ自身が作るんだけど、ユカそのものの事や、その他の何人かの社員をモデルケースにして、5年区切りのライフプラン…人生設計をイメージしたプレゼンをしたんだよ」

 この話は、しておきたい。

「ふむふむ」
「プレゼンも見事なモノだったように覚えているけど、ユカのライフプランイメージは、節目である三十歳から、全店長と全スタッフの教育チームを発足。そこから三十五歳までに、結婚出産…これはユカ自身が望んでいた形だったからで、他にも同じようなケースで結婚はするけど子供は持たないケース、結婚しないケース、なんかもプレゼンしてたよ。ただどんな道筋を通っても、三十歳でこんな感じ、三十五歳でこんな感じ、それぞれこう輝ける。四十歳の時、四十五歳の時…カムバック出来るような仕組みや、家族の都合に合わせて柔軟に働ける…みたいなストーリーとかもあって、あらゆるパターンを網羅しているような感じだった」

 ユカはじっくり、話を理解…記憶しようと手帳にメモをする。

「なるほどー。とにかく三十歳以降も、どんな形であれ、私達がずっと活躍したい姿、活躍出来る姿を書いたんだね。流石あたしだ」
「そう。それで、社長はそれを叶えるために、会社の仕組みをどんどん変えていったって感じだ。見事に未来委員会としての機能が働いていたと思ったよ」
「なるほどねー」

 俺は、水を一口、間を空けて。

「正直な所、その全社に向けたユカのプレゼンで一番しびれたのが、最後に言った言葉だった。言っても店長から本部スタッフまで…150人はいる貸会議室での話なのに、何故かマイクをおいて、自分の声だけで…大きな声でこう言ったんだ。ただ、それは元々は予定には無かった事で、何を言い出すのか社長と俺はヒヤヒヤしたぞ」
「あたし…何て言ったの?暴言とかじゃないよね…」

 もう一度、水を一口。

「ユカは最後に、こう言ったんだ」

あたしは…私は洋服が好きだ。ずっと好きな洋服に関わる仕事をしていたい。でも自分が三十歳になってからの生活が成りたつかどうかの不安。人生設計が組めない不安。スキルに対しての不安。自分は特別な存在だと思っていたけど、普通の人間だと思い知らされている不安。自分だけで何かやろうと言えるほどの自信も力もない。今、この瞬間だけキラキラしていればいいなんて誰が言ったの。私は『好きを仕事にするべきか?』が毎日揺れ動いているよ。

「ってさ」

28(ユカ)

 正直、驚いた。

 私が今、一番悩みに悩んでいる内容そのものだ。

 そして、それをみんなの前で発言している。…もしかすると未来委員会の中では、社長とハヤカワには言った事があるのかも知れないけれど…その不安を解消するような仕組みを社長は作ってくれたんだ。

 実際に、私は今『好きを仕事にするべきか?』が揺れ動いている。毎晩寝る前に…なんてもんじゃない。ふとした瞬間で、一日の中で何度も何度も変化する。それくらい二十九歳と三十歳には、私が思うに特別な節目がある。

「さっすがーあたし。良いこと言うもんだ」
「そう。あまりにも良いことを言うもんだから、その内容が正式に文字起こしされてさ。俺も何度もこの文章を、目でなぞって読んだよ。だから、もう内容を何も見ずに言える」

 解りやすく、オーバーに驚くユカ。

「え?文字になったの?」
「私の未来年表手帳?とか、だっけか。なんか全社員に、自分で書き込めるような手帳を配布して、そこに自分のありたい姿を1年単位で書くんだ。別にそれは誰にも見せなくて良いし、見せても良い。その手帳の表紙を一枚捲ると、そのユカ様の有り難いお言葉が書いてある」
「それは、あたし、少しだけ…恥ずかしいですねえ…」
「ともかく、そのプレゼンや手帳のおかげで、社員の結束はめちゃくちゃ強くなったよ。その頃から、この会社やブランドが『自分達のもの』だって思えるようになったって。みんな言ってた。でも…」

 木の床がきしむ音がする。

「………」
「でも…それが、2006年の最悪な出来事へのきっかけでもあったんだよ。ユカ」

29(ユカ)

「それって」
「ああ、未来委員会やユカが悪い訳じゃない。むしろ正しい事をした。ただ結果は社長が退任し、俺たちの仲間はみんな居なくなった。ユカもそうだ」
「そんなの…」
「そう、そんなのおかしいんだよ。ただ『楽に甘い蜜を吸えなくなった』奴らには、面白くない事態だった訳だ」

 ハヤカワが見た事のない表情をしている。長い付き合いだと思っていたけど。

「想像するに、まずは…『おじいさま達』は、楽しい楽しい謎の出張は出来なくなった。あとは癒着?…というか、俺からすれば何でこんな値段が高くて。縫製も汚い、ボタンもすぐ取れる、質の悪いメーカーに発注しないといけないんだと思っていた所…どうやら常務と繋がりがあったらしく…そのキックバックを受け取れなくなった。…他にも山のようにそんな話があるんだろうが、とにかくそんな良くないモノを、全部流しきった」

 何だろう。怒り…じゃない。身体が冷たい。寒い。押しつぶされるよう。

「会社の利益の行き先が、従業員とお客様に還元されていくんだ…良い事だろう?普通。でも今まで、その利益を自分の手にしていた側からすれば…後はさっき書いた流れだよ」
「…て、ことは、私が毎月会社の事を想ってわざわざ来ているカイギで、いろいろ言って『おお、その意見は素晴らしい!すぐやろう』とか言ってた、あのジジイ達は、裏では私の事を笑っていたって事?…いっぱい俺らのために稼いでくれてありがとうって?!はああ?!ムカツク!」
「ユカ…落ち着け。全役員がそうではないと思う。思うけど、だから社長は退任に追い込まれたと考える方が自然で、そこに噛みつく煩い社員を排除するのも、理解はできないけど、理屈は解る」
「で、でも…そんな事してたら、数年で会社やブランドは一気に駄目になっちゃうでしょ?流石にベテラン社員まで居なくなったら…キツいよ」

 そうだよ。そんなの、おかしい。

「五年…五年だけ、維持出来ればよかったんだよ、役員のジジイ達は、その時点でほとんどは六十歳を超えていた。元々の創業事業からのメンバーで、今の事業であるアパレル小売りなんて、まったく解っちゃいなかった。そもそも興味も無ければ未練もなし。いよいよ厳しくなったら、もらえるモノをもらって、はいサヨナラってね」

 何だろう…ハヤカワは悪くないのに、淡々と話しているハヤカワに対しての嫌悪感が生まれる。いや、ハヤカワは冷静に事実とその推測を話してくれているだけだ。当たりやすいものに当たろうとしちゃダメだ。

「…だいたい解った。じゃあそれを、先回りして防げばいいんだよね?」
「そうしたい…と思ってる」
「じゃあ、方法を考えようよ!」
「って、言ってもなあ…難しいよなあ」

 これだから…理屈が先行する男は嫌いだ。いや、違う。そもそもハヤカワは理屈っぽい所あるけど、それだけじゃない柔らかい頭を持っていたはず…そうか…ここにいるハヤカワは中身は、やっぱり五十歳のオジサンで、どうやら、あれから年月を重ねて理屈だけが先に行って頭がカチコチになっているように感じる。正直に、そのまま思った事をハヤカワにぶつけた。

「あたしの知っているハヤカワは、そこでこそアイデアを出せる男だったよ?」
「ああ…俺の頭は、いつの間にか凝り固まっているらしい。年のせいか」
「年は関係ないよ。多分、ここからの二十年がそうさせただけでしょ。違う二十年を過ごしていたら、それは違うはず」
「…ユカの言う通りだ」

 ハヤカワは、すっと立ち上がった。

「ちょっと?何処行くの?」
「メロンソーダを注文してくる」

 見た目は二十代後半、身にまとった空気感は中年男性。でも、さっきまでの『それ』に、何かが加わった気がした。

30(ハヤカワ)

 確かに、ユカの言う通りだ。この後の二十年は、とにかく筋の良さそうな、理論や理屈としての考え方を求められ、勝つためよりも『負けにくいかどうか』と『いつでも軽傷で済ませる』事のみを、ずっと求められ続けた。結果がどうなるか解らない、不確実なチャレンジが出来る環境はひとつも無かった。もちろん上長達だけが悪いのではない、市場の厳しさと会社が生きのこるために必要なマネジメントだった。

「マスター、すみませんメロンソーダを追加でお願いします」

 すぐお持ちします…という声を聞いて、せっかくだからと、トイレも済ませ、ユカの待つ個室のテーブルに戻ると、すでにメロンソーダはそこにあった。何故か二つ。

「あれ、一つだけ注文したつもりだったんだけどな」
「あ、ハヤカワ。ひとつはヒゲマスターからのサービスだってさ。甘いものは適度に、時には過度に摂取した方が良いとか何とか」
「なんだそれ?」

 個室のドアを開けて、マスターのいるカウンターに向かって、一礼し、椅子に腰掛けた。マスターはニコニコとしている。ひとまず、メロンソーダを半分ほど一気に飲み干し、さっき時系列を書き連ねたA3用紙を目の間に、赤のペンを持つ。

「で、どうかね?ハヤカワくん。いいアイデアは浮かびましたかな?」
「ああ…ただ、整理しながら話すから、とりあえず聴いてくれるか?」
「もちろん」

 一呼吸をして、ユカにこう切り出す。

「ものすごく簡単に考えると…社長が辞めない、辞めさせられない未来。そっちに導く必要があると思う。社長が社長として居てくれれば、この問題は起きないはずだ。この会社…というよりもブランドと社員達を、一番大事に思ってくれているのは、間違い無く社長だから」
「うん」
「少なからず、俺は社長と仲間のために頑張れていた、というのがあると思っている。そして、それに対して実務には特別細かい指示をしない…本当は出来ないだけ…の…他経営陣。もしかすると、実はそれが一番バランス良かったんじゃないかって思う。まあ俺は、常務のお知り合いだか何だか、訳わからんメーカーで商品作らされたりもしたけど、まあ、そんなのは適当にやっておけばいいからな」
「うん、そうだね」

 ユカの眼は、新規出店の初めて朝礼のように真剣だ。このまま話を続けるべきだろう。

「社長が辞めさせられ…退任に追い込まれた要素の中で、最も大きいのは『その何も出来ない…他経営陣に対する、圧力をかけ始めた事に対する反発』な訳だ。それは、金に関わる事や今までの安定した地位を揺るがし、あらゆるプレッシャーをかけた事を入り口としている」
「うん」
「つまり…さ、それを社長に、やらせなきゃいい」
「えーっと…?」

 とりあえず、思いついた事はどんどん言語にしてみる。

「さっき、ユカと社長と俺、3人で話した時、すでにハッキリと『年寄り』や『いらない』って表現していただろ?元々ブランドの10周年に向けて、そういう構想はあったし、今の状態を面白くは思っていなかった訳だ。社長は言っても三十三歳。他経営陣は基本還暦。実の親父である会長は別として、沢山の叔父的存在と1人の息子の戦いって事だ」
「…うん。あの時の社長は…いつもと様子が少し違ってた」
「ああ、そうだ…あの怪しいコンサルもいたな。次期社長になってしまうというハチャメチャな展開。まあ、ここでは関係ないか…とにかく『会長が社長の仲間』であれば、退任になるはずがないんだ。経緯も不明だし、細かい持ち株の配分は知らないけど『会長は社長を守らず、退任させる側』に立った。そうで無ければ…」

「ちょっと、ストップストップ!」とユカが切り出す。

「何となくあたしにも、話はわかるんだけど…でも、会長が社長の味方じゃない、なんて事ありうる?確かに、会長が社長に厳しくしている姿は何回も見てきたけど、アレってホント、親子間のお説教だと感じたし、修行っていうか…実際には誰よりも社長に味方をしていたじゃない?で、去年くらいから全てを息子に…社長に任せ始めた…その頃から、陰ながら見守っている…そんな感じがしたんだけど」
「ユカ、いい線いってると思うよ。俺も同意見だ。会長はなんだかんだ、社長であり、息子である彼に、時に厳しくとも無条件な愛情…みたいなモノを持って接していたはずなんだ。社長はさ…俺たちが見ている前で会長にボコボコに叱られた後でも、そのままの勢いで部下に接したりしない。だからこそ、俺だけでなく多くのメンバーは社長のためにも頑張ろう、ってなっていたんだよ」

 頷きながら、ユカは少し怯えたように続ける。

「うん…会長の指導…激しいもんね…社長以外を叱っている姿はみた事ないけど。あたしだったら震え上がっちゃう…あたし、会長にはいつも誉められてばかりだから、だからこそ余計に怖かったりする」
「あれ?ユカは、会長にボコボコにされた事ないの?俺は何回かやられているけど…?」
「え、そうなの?」
「社長だけは、よく知っているよ。会長室でのお説教の後は、必ず社長が、30分以内にフォローに来るから。多分、それは会長の指示なんだろうと思う。叱ったから後は頼むわ、って。あと会長は、絶対、俺に対してみんなの前で叱る事はしないんだよな。絶対に会長室。密室だからこそ逃げられない怖さもあるには…あるけど」

 あの社長もすごいが、やっぱり会長もすごいな、と思い出?に浸りつつ。

「あー、ユカごめん、ちょっと脱線したわ。話を戻すよ。とにかく『そんな強固な社長と会長の関係』に、何らかのヒビ…が、2人の関係性が崩れている状況で無いと、社長がクビになるなんて事は、普通あり得ないんだ」
「あの2人が?本気でケンカって事?…そんなの想像出来ない」
「そうなんだよ…意見の食い違いとか、経営方針で揉めたりするのはしょっちゅうあったけど、それは必要な議論であって、ケンカじゃないよな。それに…いつも終わった後はケロッとしてるし」
「…誰かが本気のケンカ…揉めるように仕向けたって事?」

 あまりにもユカの想像力や察する力に、少しの違和感を覚えたが、全店長のトップだ。人の事においては、日々スキルを磨いているのだろう。

31(ハヤカワ)

「恐らく、誰かが会長と社長が断裂するように、動いたとしか考えられない」
「…普通に考えれば、他のジジイ経営陣?それとも怪しいコンサル?合ってるかな?あたしの考え…」
「俺も、そのどちらかだと思う。あるいは両方」
「あのコンサルは社長とは関係が良く無さそうだけど、会長とは古い付き合いだって聞いたことあるよ」

 そうなのだ。社長はともかく、会長とあのコンサルはアパレル事業が始まったタイミングからずっと9年間一緒にやってきたはずなのだ。社員に対して、無意味や理不尽にキレたりするから、あいつを好きな従業員は1人もいなかったけど、社長以外の経営幹部はあのジジイを、やたらひいきにしていたのだ。

「じゃあ、全部予定通り…なのかな、あのコンサルジジイの。さっきの…ハヤカワの話だと、その後、社長になってるんだよね…?しかも会長は病気で経営から退いて。でも他の経営陣はそのままで」
「ああ、少なくとも経営幹部とコンサルの利害は一致していたと考える事も出来る」
「利害って?」
「経営幹部の思惑は、今までの様に、特に何もせず美味しい思いをしたい。いざとなれば、多額の金を得てからバイバイ。コンサルは社長が実権を握ったら自分が契約を打ち切られるのが解っていた。結構高い金払っていたらしいから」

 ユカは、天井を見上げる。そこには丸いペンダントライトがあるだけ。

「あーあ。何か馬鹿らしくなってきた。必死に店で働いて、お客様から貰ったお金がそんな風に使われているなんて」
「俺も同じ気持ちだよ。直接お金を受け取っている訳じゃないけど、俺が企画した商品を気に入ってお金を出して買ってくれたと思っている。そして現場はそれを頑張っておすすめして販売してくれている。なんなんだよ…って思っているよ」
「社長…それを全部解ってくれていたからこその、さっきの話なのかな?年寄りがどうとか」
「毎週末、どこかの店には、短い時間でも必ず顔を出して、店が混んだらレジ業務とか品だしを自ら率先してやるような社長だからな。全部お見通しなんだと思うし、感じる所もあると思う」

 つまりだ。社長は今の経営幹部や怪しいコンサルを、どうにかして、どこかのタイミングで排除し、健全な体制にしたかった。そして逆に社長にとっての敵達は、それに気がついていた。となると、会長をどちらが自分達に引き込むか…その争いになるはずだ。そして普通に考えれば、そもそも血が繋がっている、会長と社長を引き裂くには、工作活動が必要。そしてそれが反社長軍団からすれば、見事に上手くいった。そして社長はクビになった。そういうストーリーなのだろう。

 自分なりに頭の中の整理がある程度ついたタイミングで、突然ユカは言った。

「あのさ…さっきは会長と社長が本気でケンカするのは難しい、って思ったけど、そんな事ないのかも知れない…」
「え?……ユカ、続けてくれ」
「多分だけど…簡単だよ。例えば周りが、口を合わせて『年寄り排除、と言っている対象を会長まで含めて』社長が社内に言い回っている、とか。会長のごひいきのコンサルを、社長が社内に批判しまくっていて、コンサル自体が会長に泣きつく、とか。常務とかも同じ。いきなりぶっ壊すのは無理でも、さっき言ってた『ヒビ』みたいなモノは、工夫すれば、入れられるんじゃないかな」
「なるほど…少しずつ会長と社長の間に、ヒビを入れていって…つまり確執の始まりってやつか…そして。幹部排除や改革が事実上動きはじめたタイミングが、崩壊のXデー、って事か」

 となると、やる事が見えてきた。社長と会長の間に『ヒビ』が入ったなら、すぐ埋めてやる。ちょっとや、そっとじゃ『ヒビ』が入らないほど、2人の関係性を強めてもらう。ただ問題なのは…。

 ユカが言った。

「問題はさ…どうやって、社長と会長に『何があっても、変な噂があっても、お互いを信じて!』って伝えるか、だね」

 ユカの想像力や察する力が、レベルアップしている。違和感を、覚えるほどに。

32(ユカ)

 だいたいの事は解った気がする。やるべき事は解る。でもやり方が解らない。

 もどかしい。

 自分の経営層との距離は、今まで近いと思い込んでいた。ただそれはチヤホヤされていただけだったのだ。何にもあのジジイ達の事を解っていなかった。会長もニコニコしてる姿しか見た事が無いし、今思えば『いつも何考えているんだか、よく解らない存在』だ。社長相手だけかな、何となくでも『正しく解っていた』ような気がするのは。

 いったい、あたしなんかに、何が出来るっていうのか。部下の育成とお客様への対応はずっと磨き続けてきて、自分は日本中で見ても店長として3本の指には入っていると思っていたけど。もちろん自称。そして今回、それは何の役にも立たない。

 ただ、ハヤカワが話してくれた年表からすれば、何もしなければ、あたしは2006年に退職する。その後、おそらくずっと働く事なく時が過ぎていく。

「…ハヤカワさあ…あのさ…」
「ん?なんだ?」
「何をすれば良いのか解ったけど。何をすれば良いのか解らない」
「そりゃ、いきなりそんな良い方法が思いつく訳ない。俺もノープランだよ…」

 気がつけばテーブルが、何処から落ちるしずくで、黒くなっていた。頬がぬるい。私の瞳からだった事には、すぐには気づけなかった。

「その特殊な…涙の流し方を見るのは2回目?だな。声も出さない、表情も変えない。目から、ただこぼれ落ちる…そんな泣き方」
「言うな…ハヤカワ…自分が泣いている事を認めたくない…」
「1回目にその場面に遭遇した時も、そう言ってたよ。ユカは。確かあの時は」
「それもお願いだから言わないで、ハヤカワ」
「解った」

 ただ、黙ってこちらを見ているハヤカワが、困ったような、怒っているような、悲しいような、そんな顔をしている事だけが、頭にあった。


(次回、第4話はこちら)


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