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ASD、ADHD、適応障害が診断され、休学してから1年で感じたこと

昨年2023年5月、私はASD、ADHD、適応障害が診断され、やむなく大学を休学することになりました。

元々通っていた大学は隣県で距離もあり、車も持ち合わせていないので交通手段は電車かバスのみで、実家近くに一人暮らしをしていたため、バイトはほとんど毎日入って友達と遊ぶこともできなかった。
テスト前でもお金の問題でバイトに勤しんだり家事で忙しく、テスト勉強は電車かバスの移動時間がほとんどでした。
そんなストレスもあり、休みの日は布団から動けなくなったり、食欲がなく痩せ続けていく日々が続きました。
バイト先や大学の授業中でもよく気分が悪くなったり、過呼吸になりかけて保健室へ行って授業やバイトに集中ができなかったりと日常にもいろんな影響が出始めていました。

そこでいろんな病院にかかったところ起立性調節障害、ASD、ADHD、適応障害と診断されました。
通院費のお金や体調面の関係で、当時まで行っていた1人暮らしもやめて実家に移ることとなり、休学もやむを得えなくすることになりました。

診断が下るまではそのまま大学やバイトを続けるべきだと信じて思っていたのですが、
今思えばバイト先も休職したりして完全な「何もしない状態」を作り上げて正解だったと思いました。
突然の休学や通院、引っ越しが決まってもちろん色々と大変でしたが、
全て「私のため」と動いてくれた方々には感謝しかありません。

そこから体調を回復し、短期のバイトや支援員さん達と話を重ねて、自分が興味のあるA型事業所に行き着きました。それが私が今しているTANOSHIKAでのライターのお仕事です。

短期のバイトでも人間関係などのストレスがあったにも関わらず、ここTANOSHIKAでは本当に何のストレスもなく、自分のペースに合わせて仕事でき、説明や支援員の制度が整っている環境で仕事できるので本当に良いなと思いました。
もちろん友達や進学への道のりなど、休学してから今までの道のりで沢山失うところもあったのですが、
それでも1年前に比べれば自分の成長を感じられますし、そこは良かったなと思います。

そんな私には今後計画していることがあります。
最大休学が今から約1年半とることができるのですが、ここのA型事業所で就職に向けて訓練しながら半年~1年後を目安にここを離れ、障害者枠の一般企業に就いてお金を稼ぎ、そしてそのまた1年後を目安にある程度独り立ちできるようになったら同棲を計画したりと、今度は応援してくれた家族に恩返しをすることが目標です。
もちろんそんなに淡々とうまくいくことはないと思いますが、こんな良い環境を持たせてくれた人たちのためにも、どんなことがあっても乗り越えていけるように頑張ろうと思います!
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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