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生まれ持った障害~発達障害と向き合う物語~

今日は、『生まれ持った障害~発達障害と向き合う物語~』について書こうと思う。

私が、「軽度発達障害の疑いあり」と診断されたのは、6年くらい前である。

それまでは、統合失調症と診断されていたのだが、病院を変えたところ、診断書にそう書かれていた。

医師からの詳しい説明はなかったが、「やっぱりな」と感じた。

前回、統合失調症と診断された時の記事を書いたが、どちらかというと、発達障害の方で生きづらさを感じている。

この記事を書いた理由は、最近、大人になってから発達障害と診断された人が多いと感じていて、そういう人たちと共感できるのではないかと思ったからである。

拙い文章ながら、私の経験を参考にしてくれたら幸いである。

それでは書いていこうと思う。


1.はじめに

20代の後半に初めて精神科を受診し、統合失調症と診断された。

その病院には10年通院したが、発達障害の本などを目にするたびに、自分もそうなのではないかと感じるようになった。

ネットで問診を受けたことがあり、医師に発達障害の検査をしてほしいと伝えたところ。「そういう傾向があるだけでしょ」と言われた。

それよりも、酒を止めるように言われた。金銭的にゆとりができ、酒以外に楽しみを見出すことができたため、断酒していた時期もあったが、長くは続かなかった。

節酒をすることはできたが、完全に止めることができなかったため、断酒会に行くように言われたが、一度行ったものの、宗教臭くていやだと行かなくなった。

また、過去のトラウマのことで苦しんでいたため、カウンセリングを受けたいと言ったところ、「昔のことだからね」で片づけられたり、しつこく断酒会に行くように言われた。

そんなやりとりのあと、どういう展開だったかは忘れたが、WEIS-Ⅲを受けた。

結果は忘れてしまったが、この時はまだ発達障害だとは言われていない。

「発達障害の疑いあり」と診断書に書かれていたのは、3つ目の病院でのことである。

数か月前に、今通っているB型事業所と提携している病院に変えた。

そこでは、「発達障害もあると思いますよ」と言われた。

私としては、言葉を濁せることなく、はっきりとしてほしいと思っている。

おそらく、グレーゾーンだと考えられる。

2.私が抱える発達障害の生きづらさ


①コミュニケーション

これが私を一番苦しめている。どこに行っても輪に入れないし、友だちもできずにいる。

「自分から行かなきゃ友だちはできない」とよく言われるが、話題が乏しかったり、共通の話題が見つからなかったりしている。

私は釣りが好きなため、釣り会に入れば共通の話題に困ることがないと言われたことがあるが、朝が早く、例会場所まで車で行かないといけないため、今は行動に移せずにいる。

中学生くらいまでは、自分の思ったことをヅケヅケと言っていたような気もするが、逆に今は気を使いすぎてしまい、言葉が出てこないことが多い。

今のB型事業所では、発達障害の人と知的障害の人が目立っているが、よくもまぁこんなに話すことがあるなと感じている。

二人とも私よりもはるかに若く、黙っててほしいと感じる時もあるが、自分から話しに行っているところは見習うべきだと思っている。

前回の記事、『統合失調症の発病から。回復に至るまで、』にも書いたが私は相手に常識とか思いやりといったものを求めすぎてしまう癖がある。

また、ブラックジョークが苦手で、そういった人とは縁を切ってきた。

「あんたは無人島に行け」と言われたことがあるが、それはそれで寂しいのである。

②こだわりが強い

長くは続かなかったものの、書籍やチラシなどを印刷するオフセット印刷にこだわって就活していた時がある。

機械も、1色、2色刷りではなく、カラー印刷にこだわっていた。

③ルーティーンが決まっている

起きる時間と洗濯を回す時間などが決まっていて、それが崩れると対応に困ってしまう。


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