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4歳息子に「テレビ&ゲーム」を制限しなくなった、私なりの理由。

もよ

わが家の父ちゃんは、ゲームが大好きだ。

どのくらい好きかというと、テレビゲームをしながらスマホゲームをするくらい好きだ。その様子をはじめて見たとき、あきれるのを通り越して感心してしまったのを覚えている。


付き合っていた3年間、私と一緒にいるときは決してゲームをしなかった父ちゃん。だから「ゲームが好き」というのはもちろん聞いていたけれど、「好きは好きでも、そこまで好きだったのか!」と結婚後に少しびっくりした。その人の本当の姿というのは、一緒に住んでみないとわからないものだな、と思う。

でも同じ屋根の下で、私は本を読み、父ちゃんはゲームをする。見たい映画やドラマがかぶったときは一緒にみる。気が向いたら外食したりお出かけしたりする。基本的にインドアな私たちにとって、そんなゆるりとした時間は心地よかったので、なんの問題もなかったのだけれど。



息子が生まれてからは、かなりモヤモヤした。


私はゲームやテレビを制限している家で育ち、父ちゃんはゲームやテレビを制限していない家で育ったから、ゲームやテレビに対する感覚が全くちがう。


私は中学生以降はほとんどゲームはしないようになったけれど、小学校のときはゲームボーイでポケモンをしていた。当時は「1時間したら電源をきる」というルールがあって、私も弟もそれを守っていた。テレビも「〇〇が終わったら消そうね」という感じで、「ずっとつけっぱなし」という感じではなかった。

私にとってはそれが当たり前で、ゲームやテレビを制限する理由を母に聞いた覚えはない。でも「親に制限されているということは、ゲームやテレビはダメなことなんだ」という感覚は根強く残っている。


一方父ちゃんは、テレビ見放題、ゲームやり放題の環境で育ったから、「テレビやゲームは自分を楽しませてくれるもの」という感覚を持っている。家族みんなでバイオハザードをやって楽しかったという話をよくしていたし、父ちゃんの実家に行くと「テレビを見ながらごはんを食べ、テレビの話題で盛り上がる」という感じなので、「テレビやゲームは家族をつないでくれるもの」という感覚も持っているような気がする。



私は、息子からゲームやテレビを遠ざけようとする。そして父ちゃんは、息子をゲームやテレビに近づけようとする。


すきあらばテレビを消す私。
すきあらばテレビをつける父ちゃん。

無言のバトルだった。


息子が生まれてから約5年間、テレビに関してはたくさんケンカして、たくさん話し合って、私は「テレビはダメなもの」という感覚をかなりゆるめ、父ちゃんは「テレビの見すぎは良くないこともある」という感覚を少し強めてきた。

私は、父ちゃんが家にいる土日はテレビを制限するのをやめて、平日も息子が「テレビを見たい」と言えば普通に見せるようになった。父ちゃんは自分から息子に「テレビ見る?」と聞く回数がすごく減った。


テレビに関しては

(極端にテレビを見せない母ちゃん+極端にテレビを見せる父ちゃん)÷2

という感じに落ち着いていった。




テレビ問題が落ちついたと思ったら、次はゲーム問題がチラツキはじめた最近。


父ちゃんが、もうすぐ5歳になる息子に少しずつゲームをやらせはじめているのだ。

私が夜勤明けで寝ている間に、2人でコソコソとテレビゲームをしている。土日、私がお風呂に入っている隙に、ポケモンGOをしている。


またモヤモヤしはじめたので、息子抜きでランチに行った時にいろいろ話してみた。


(私)「今さらだけどさ、ゲームのどんなところが楽しいの?人生もさ、ある意味ゲームみたいなものやんか?あんなにゲームに注ぐ力があるなら、人生というゲームに注いだらいいのにってどうしても思ってしまうんだけど。現実の方が立体的だし、音も澄んでいるし、さわれるし、匂いも味もあるし、楽しいと思うんだけどな。」


(夫)「現実はゲームみたいにうまくいかないやん。それにさ、もよが小説を読むのと一緒の感覚だと思う。たとえば戦国時代はもう戻ってこないし、スパイダーマンなんて現実にはいないやん?その時代に戻ってコントローラーで戦ったり、現実ではありえないストーリーを進みながらその世界に浸ったり。もよが物語の世界に浸って楽しむのと、俺がゲームをするのとはたぶん一緒。」


私の想像を超える答えが返ってきて、目からウロコだった。うっかり、ゲームがなんだか素敵なもののように感じてしまった。うっかり、ゲームをやりたくなってしまった。



それならば、本は良くて、ゲームはダメって決めたのは誰なんだろう。本は何時間読んでも怒られないのに、ゲームは時間を制限されるのは何でだっけ?


ゲームをしすぎると他のことがおろそかになるから?他のことって勉強のこと?うん。確かに父ちゃんは勉強が嫌いだ。勉強が嫌いだったら、何か困ったことが起こる?私の知っている父ちゃんは、いつものんびり幸せそうだ。父ちゃんは今、会社で働きながら、私と息子と過ごしたり、ゲームを楽しむ毎日を送っている。息子が幼稚園に行きはじめて、私に余裕ができてケンカが減った今、「今が人生で1番幸せ」だと言う父ちゃん。父ちゃんは何も困っていない。


ゲームやテレビが関係しているかはわからないけれど、私は勉強をしてきた。だから勉強ができた。いい大学に入った。でも私はなぜかいつも「このままじゃダメだ」という焦りやイライラを感じる日々を送ってきた。いつも何かを探していて、むさぼるように本を読んできた。いろんな経験を経て、今やっと幸せを感じることができているけれど。


勉強ができる私と、勉強ができない夫。でも、勉強ができるから幸せになれる、勉強ができないから幸せになれない、というわけではなさそうだ。

だから、テレビやゲームを制限する理由が「息子の将来の幸せのため」なのであれば、それはちがうと感じた。




そして、父ちゃんにいろいろ話を聞いているうちに、父ちゃんとゲームは切っても切れない関係なんだということにも気づいた。私が人生の中でいつも本に助けられてきたのと同じように、父ちゃんも人生の中でいつもゲームに助けられてきた。


私がゲームを好きじゃないからといって、私が父ちゃんからゲームを奪うことはできない。父ちゃんだって、私から本を奪うことはできない。もし父ちゃんが私に「ゲームをしなさい!」と言ったとしても、私は隠れて本を読む。同じように、もし私が父ちゃんに「本を読みなさい!」と言ったとしても父ちゃんは隠れてゲームをする。


「好き」は湧いてくるものだからどうしようもない。もちろん、育った環境が「好き」に影響することはあると思うけれど、それも含めて私たちは親を選んで生まれてきているような気がする。その人の人生にとって、それを「好き」である必要がきっとあるんだと思うのだ。極端な話、ゲームが好きすぎてプロゲーマーになって生計を立てている人もいる。私の幼馴染なんて、ゲームの実況中継をしてYou Tubeだけで生計を立てているという話も聞いた。



そんなことを考えているうちに、1番大切なのことにハッ!と気づいてしまった。


息子はすでに、父ちゃんが毎日スマホゲームをしている姿を目に焼きつけている。

私がもしゲームを制限したとしたら。

「制限される=ゲームはダメなこと=ダメなことを毎日している父ちゃんはダメな人」という感覚がきっと根付いてしまう。

ゲームをたくさんやること以上に、そのことの方が致命的なんじゃないかと思うし、父ちゃんをダメだって思うなんて悲しすぎる。

それに、ゲームが大好きでゲームばかりしている人なんてこの世にたくさんいる。その人たちのことを意識していないとしても心の奥底で「ダメな人」と思ってしまうことも悲しい。


私自身、「ゲームばかりしている人はダメな人」という感覚がきっとあって、だからゲームばかりしている父ちゃんにモヤモヤすることがあった。そして、息子がそうなってしまうことを心の奥で恐れていたからモヤモヤしていたのかもしれないなと思った。



ゲームやテレビに限らず、どんなことも「親が子供に制限する」というのは、子供に何かしらの「ダメ」を刻むことになる。子供が「自分」と「誰か」にダメを刻まなければならないほどに、その制限が本当の本当に必要なことなのかどうかを、1度立ち止まって考えたいなと思った。制限が多くなればなるほど、息子の世界に「ダメ」が増えていく。そして、息子の世界に「その制限を破っているダメな人」が増えていく。

そのことが、息子の将来の「幸せ」につながるとは、私にはどうしても思えない。


私はテレビやゲームを含め、「制限すること」をできるだけやめようと決めた。





さて。現在。

制限するのをやめても、息子はテレビばかり見るわけではないとわかった。ゲームばかりするわけではないとわかった。


制限するのはやめたけれど、私は私の感覚に正直に、父ちゃんは父ちゃんの感覚に正直に暮らしていれば、いい具合にバランスがとれることがわかった。



たとえば、休日に父ちゃんと息子が、戦い系のテレビを見ていて、その激しさやその音を「しんどいな」と思ってしまうことがある。そんなとき、前までは「そろそろテレビ消したら?テレビ見すぎ!」なんて言っていたけれど、今ではそっとリビングを離れて、別の部屋に行ってのんびりするようになった。しばらくすると息子が私のいる部屋に来て、「母ちゃん、ここにいたのか!なんでこっちの部屋にいるの?」と聞く。私は「母ちゃんさ、テレビの音が疲れちゃったから静かな部屋に移動してん。それに、戦ってるテレビは母ちゃん怖いねん。りんりんは怖くないんー?」と答える。するとそのままその部屋でおしゃべりしたり、おもちゃを持ってきて遊びはじめたり、「テレビ消しといたよー!母ちゃん一緒にあそぼーよー!」と遊びに誘われたりする。


たとえばショッピングモールでゲームセンターの前を通りかかって、息子がゲームをしたいと駄々をこねるときがある。そんなときは「母ちゃんゲーム下手でさ、やり方よくわからへんねん。父ちゃんがいるときに教えてもらいながらやろうよ。」と言うと、すんなりあきらめてくれる。父ちゃんも一緒のときは本当にやらせてあげる。


たとえば「母ちゃんのスマホでポケモンゴーやりたい!」と言われたとする。そんなときは、「母ちゃん、ポケモンゴーやったことないわ。父ちゃんがいるときに父ちゃんのスマホでやってね」というと、「そうなのー?父ちゃんはゲーム上手だよね!」とか言って、納得してくれる。



「テレビの見すぎはダメ!」「ゲームなんて5歳にはまだ早い!」「スマホゲーム禁止!」みたいに咄嗟に無意識に制限したくなるのをグッとこらえて

「私はそれが苦手。」「私はそれが好きじゃない。」「私はそれができない。」というように、主語を「私」にして息子にただ自分の正直な感覚を伝えればいいんだと気づいた。


ゲームやテレビは「ダメ」じゃない。でも母ちゃんは、ゲームやテレビがあまり好きじゃない。でも父ちゃんはゲームやテレビが大好き。りんりんはどっちを選んでもいいよ。

そんな感じのスタンスが、今は1番しっくりきている。


"なんでなんで小僧"の息子に、「ダメ!」というと、必ず「なんで?」と返ってくる。ゲームやテレビがダメな理由を「目が悪くなるから」と苦し紛れに伝えていたとき「大人は目が悪くならないの?」と聞かれてドキッとした。私も父ちゃんも目が悪いからなんの説得力もない。でも「私はそれができない」「私はそれが苦手」「私はそれが好きじゃない」に理由はないので、息子から「なんで?」は返ってこないのもいい。





私は「ゲームやテレビの平らな世界以上に、素敵なものがこの世にはたくさんあるよ!」ということを息子に知ってほしいし、伝えたい。


父ちゃんは「人間の頭の中で作り出したファンタジーの面白さを一緒に味わおうよ!」と息子と楽しみたい。


どっちでも良い。どっちも素敵。どっちも楽しい。


そして息子はどっちを素敵と思うのか、どっちを楽しいと思うのか、もしくは両方素敵と思うのか、両方楽しいと思うのか。

それは息子にしかわからない。

それでいい。




そんなふうに考えてみると、テレビやゲームへのモヤモヤも薄く薄くなっていくような気がした。

これが今の時点での、私の答えなんだと思う。

その答えだって、これから息子が大きくなるにつれて、その時々で変わっていくのかもしれない。

それもそれでいい。

正解なんてないから、その時々で自分なりの答えを出して、試してみて、失敗したならしたでそれでいい。


そしてなにより、テレビやゲームばかりしてきた父ちゃんがニコニコ笑って幸せそうに生きているのを見ると、「もうなんでもいいか」とフッと肩の力が抜ける、その感覚を大事にしようと思っている。




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