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4歳の息子に教えてもらった「こわい」との向き合い方のコツ。

もよ

「きゃっほーい!」

息子がストライダーにのって、両足を浮かして、なだらかな坂をくだっている。

私はのんびり歩いて、息子を追いかけていた。

ストライダーを乗り始めた頃は、あんなにヨロヨロしていたのに、今やあんなに早く走って、あんなに上手にバランスをとっている。すごいなぁ。

そんなことをぼんやり思いながら。




「母ちゃん!母ちゃん!母ちゃーん!」

大声で叫ぶ息子の声。ストライダーを急に降り捨てて、こっちに走ってくる。


「こわいのがいるー!!!!!」


こわがる息子を抱っこして見に行ってみると、そこには大きな大きなミミズがいた。息子は虫が好きだけれど、案外ミミズを見るのははじめてかもしれない。巨大ミミズは道のはしっこでウニョウニョしていた。


「これ、ミミズだよ。」

「こわいこわいこわーい!!!にげなきゃ〜!!!こっちきちゃう〜!!!ぎゃ〜!!!」


こっちがその様子にびっくりしてしまうほどに大騒ぎする息子。その横で私は妙に冷静になってしまって、冷めた口調で淡々と説明した。

「ミミズは足がないからさ、ダンゴムシよりも動くのおそいねんで。そんなすぐに近づいてこないから大丈夫やって。それにさ、ミミズは何にも痛いことしてこないヤツやで。母ちゃん、それやったらアリの方がこわいわ。たまに噛んでくるからさ。」


「そうなの?でもぼくミミズこわい。大キライ。」

「でもさ、ミミズってそんなに道端にいないもんだよ。ふだんは土の中にいるもん。太陽にあたりすぎたら乾いて死んじゃうからさ。母ちゃんが土に戻してあげようーっと。」


近くに落ちていた棒をひろって、ミミズをすくい上げて、日陰のしめった土の上に移動させた。


「もうミミズいない?」

「いないと思うよ。大丈夫やって。」


それ以降、息子はまるでストライダーを乗り始めた頃のようにノロノロと、そしてキョロキョロと、地面ばかりをみながら歩いていた。

けっきょく、道端には合計4匹のミミズがいて、そのたびにギャーと叫び、私が棒で移動させる、というのを繰り返した。

挙げ句のはてには、小さな枝までもがミミズに見えてしまい、そのたびに大騒ぎ。


お昼ごはんの時間になる頃には、息子はぐったり疲れていた。いつもペチャクチャうるさいくらいにおしゃべりの息子が、公園から帰る自転車の上ではほとんど何もしゃべらなかった。

そして、家に帰るとすぐに「昆虫図鑑」のページを1枚1枚めくり、真剣にミミズを探していた。

「ミミズ、図鑑にのってない・・・」

「ミミズは昆虫じゃないからね・・・」





小さな頭はきっと今、ミミズでいっぱいだ。小さな頭はきっと今、「こわい」で染まっている。

息子にとっては得体のしれない「ミミズ」という生き物。

まずは全力で逃げて、全力で嫌って、
でも知りたくて調べちゃったりして。


公園では正直めんどくさかったけれど、その全力さと必死さにだんだん笑けてきてしまった。愛おしくなってきてしまった。



なんせ相手は、ミミズ。

これからミミズのことを知れば知るほど
きっとこわくなくなるから大丈夫だよ。

私がいくら言葉で伝えても伝わらないだろうから、心の中でそうつぶやいておいた。




知らないものって、こわい。

わからないものって、こわい。


「こわい」をなくすためには、それについてたくさん調べて「知る」ことが第一歩なんだと思う。

ある程度それについて知っていけば、「こわい」はふわっとゆるんでいく。ゆるんだら、ちょっとずつちょっとずつ近づいて仲良くなれる。


息子の場合なら、ミミズのことをたくさん調べて、ある程度の特徴や生態を知る。どうやら危険ではなさそうだと頭で理解する。そのあとミミズに出会ったら、まずは長い棒でつついてみる。次は短い棒で。その次は人差し指でチョンっとさわってみる。その次は人差し指と親指でミミズをもちあげてみる。

どうやら本当に危険ではなかったと体でも理解して、そこでやっとミミズをこわいと思わなくなっているのだろう。




もう32年ほど生きている私にも「こわい」と感じるものがまだまだたくさんある。


たとえば、

高いところや、おばけや、癌。ジェットコースターや、目つきの鋭いおじちゃんや、車の運転や、飛行機や、海。

どこか「命の危険」を感じさせる、私にとっての「こわいもの」たち。


そして、

新しいことに挑戦することや、はじめましての場所に行くこと。人前で話すことや、自分の本音を相手に伝えること。かっこわるい自分を見せることや、だれかに頼ることなど。

直接「命の危険」はないけれど、私にとっての「こわいもの」たち。


そんな私の「こわいもの」たちだって、
だれかにとってはミミズレベルの「なんてことないもの」なのかもしれない。


息子がミミズを怖がっている様子を「かわいいなぁ」と見守っていた私のように、遠くから私のことを見て「そんなものを怖がるなんてかわいいなぁ」って見守ってくれている人がいるような気がしてきた。


そんな視点で「自分がこわいと感じるもの」を見つめてみると、なんだか本当に全部全部たいしたことじゃないような気がしてくるから不思議だ。



さて。

息子はこれからミミズへの恐怖を克服することができるのだろうか。

その過程を見届けるのがたのしみだ。



そして私だって、日々自分にとっての「こわい」を1つ1つ「大丈夫」にしていく過程の中にいる。



「こわい」からついつい逃げっぱなしになりがちな私。



「ミミズレベルだから大丈夫!」


今度「こわい」に出会ったとき、私は私にその言葉をかけてあげよう。

きっとその言葉を聞いた私は、ミミズから全力で逃げる息子の泣き顔を思い出す。そして、昆虫図鑑のページをめくる息子の真剣な顔を思い出す。


1度全力で逃げてもいいけれど、1度全力で嫌ってもいいけれど、そのあとちゃんと戻って向き合えばいい。

息子への愛おしさとともに、「こわい」と向き合う「勇気」がきっと湧いてくる。

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もよ

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