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HSPママがもらった「かみさまからのおくりもの」は時に幸せを、時に苦しみを。

金曜日。

家族3人で朝ごはんを食べていると、息子が言った。

「ぼく風邪ひいちゃったみたい。」

「そうなの?熱はかってみようか。」


体温計を取りに行って、息子の脇にはさむ。結果は37度ジャスト。ふだんは36度7分とかが多い。微妙な微熱?


「しんどい?」と私がきくと「しんどい。幼稚園休まないといけないね。」と演技に見えるほどにしんどそうな様子で答える息子。


そんな息子の様子をみて、父ちゃんが口をはさむ。


「今日は母ちゃん、ドンキホーテの日だから幼稚園行ってあげて。」


私は毎週金曜日は自転車に乗ってドンキホーテに行く。1週間分の食料を買いだめすると、大きなリュックと大きなマイバッグ2つがパンパンになる。自転車なんだし、1週間に2回くらいに分けて買い物に行けよ、と自分で自分にツッコミを入れたくなるけれど、平日昼間の貴重な自分時間を、少しも無駄にしたくない。買い物に費やしたくない。そのためなら私は、肩に食い込むほどに重いリュックと、手のひらに食い込むほどに重いマイバッグを両手に下げることなんて屁でもない。

普段ならそれくらい「自分のやりたいことをやる時間」を工夫して捻出して大切にしている私。

いつもなら「幼稚園に行きたくない」と言う息子をなんとか盛り上げて、その時間を確保しようとしている私。


そんな私の気持ちを知っている父ちゃんは、父ちゃんなりに息子を説得しようとしてくれているようだった。




でもなんだかその日は、その必死な気持ちがいつもよりゆるんでいた。今にも雨が降りそうなどんより曇り空だったからかもしれないし、懇談期間中でどうせ午前中で帰ってくる日だったからかもしれない。


「今日は幼稚園休む?」


私がそう聞くと「うん!休むー!」と急に元気になった。ソファの背中に股がって、「今日は特別♪今日は特別♪」と体をバウンドさせている。元気じゃないか。






そこからの息子はというと、普段では考えられないくらいの「ザ・いい子」になった。


普段なら家事をする私のそばで、エンドレスでおしゃべりしているのに、今日は1人でお絵かきをしている。なんだか逆に気になってしまって「めずらしいね。絵かいてるの?」と私から質問してしまった。「僕1人で絵かいてるよ。母ちゃんお仕事あるもんね」と絵を書き続ける。

そのあとは1人で絵本を読んでいた。またまた気になってしまって「1人で絵本読んでるの?」と私から質問してしまった。「僕1人で絵本よんでたの。あ、そろそろドンキ行く?ぼくお手伝いするし。」となんだか大人びた表情で言うから、思わず笑ってしまった。

冷蔵庫の中が空っぽだったので、お言葉に甘えて一緒にドンキホーテに行った。「今日は2階のおもちゃ売り場には行かないよ?おもちゃは買わないからね。」と念を押すと「おもちゃいらないよ。ぼく母ちゃんのお手伝いしにきただけだから。」と言う息子。そして本当に私の横にぴったりとくっついて離れず、私が指定したものをカゴに入れてくれた。「お昼ごはんはコレを食べたい。おやつはコレを食べたい。」と唯一ほしがったアンパンマンヌードルとラムネを買ってあげた。


ふだんドンキホーテに行くと、私から離れて動き回り、勝手にいろんなものをカゴに入れる。時々迷子になって、「母ちゃぁ〜ん!どこ〜!!??」という泣き声の方向にカートを走らせる。そしてカートを自分で押したがって、私が少しでもハンドルをにぎると怒る。でも1人で押してもらうと、いろんなところにぶつかってしまうし、よそ見して人にだってぶつかりそうになる。毎回「もう2度と息子とドンキホーテには行かない」と誓うほどにイライラする。



今日の息子はいい子すぎて、
私の調子がくるう。


そんな金曜日の午前中だった。



いっしょにのんびりお昼ごはんを食べて、いっしょにのんびりと夜ごはんの準備をしていると2時半をすぎていた。




「絵本でも読む?」

私が聞くと、息子は「いいの?よむよむ!」とうれしそうに笑った。


息子が本棚から選んできた本は「かみさまからのおくりもの」という絵本だった。(いとうさんのnoteでオススメされていて図書館でかりました♪




「あかちゃんが うまれるとき
かみさまは ひとりひとりのあかちゃんに
おくりものを くださいます」

そんな言葉からはじまる絵本を読んでいると、私の心はじんわり温まっていった。



「りんりんは、かみさまからどんなおくりものをもらったの?」


私は息子に聞いてみた。


「オレは、かみさまから"つよい"をもらったねん!」

息子は左ひじを曲げて、こぶしをにぎって、筋肉ムキムキポーズをしながら、ちょっとかっこつけてそう言った。"オレ"という響きと、"もらったねん"というちょっと変な関西弁が可愛くて、心の中でクスッと笑った。


絵本を読みながら息子とおしゃべりする時間が私は好きだ。



ぜんぶ読み終えると「もう1回よんで!」と言う息子。もう1回読む私。2回目を読み終えると「もう1回よんで!」と言う息子。もう1回読む私。

絵本を読むのは好きだし、ステキなお話だったから特に苦にはならなかったけれど、だんだんと眠気がやってきてしまった。


4回目を読みはじめようとした頃には、うつらうつらしていて、



「あかちゃんが うまれるとき・・・はっ!」

「あかちゃんが うまれるとき・・・はっ!」

「あかちゃんが うまれるとき・・・はっ!」

というのを何度も繰り返していると、息子は私に言った。


「母ちゃん、ねむたいの?ねてもいいんだよ。ぼくテレビ見とくから。」

「ほんと?ありがとう。」


私がそのまま横たわると、息子がブランケットをもってきてくれた。私がいつも息子にそうするような手つきで、フワッと私にブランケットをかけてくれた。


あぁ、あったかいな。
しあわせだな。

そう思いながら、すぐに寝落ちてしまった。






はっ!と目を覚ますと1時間くらいたっていた。

「りんりん、ごめんね。母ちゃんめっちゃ寝ちゃった。」

「いいよ。母ちゃん、幼稚園休ませてくれてありがとう。



まだ寝起きでボンヤリしていたけれど、

「幼稚園休ませてくれてありがとう」という言葉が、異様にせつなく耳に残った。

あぁ、本当は「幼稚園行きたくなかったら行かなくていいんだよ。」って胸を張って言ってあげたいな。

「幼稚園行くか行かないかは、母ちゃんが決めることなんじゃなくて、りんりんが決めることなんだよ。今日何をして過ごすのかは、本当は自分で決めていいんだよ。」って胸を張って言ってあげたいな。

でも母ちゃん、どうしても一人きりで過ごす時間が必要なの。その時間がなくなってしまったら、きっとすごくイライラして、りんりんに優しくできなくなっちゃうかもしれないの。

母ちゃんはりんりんが平日の昼間に家で堂々と過ごす環境を作ってあげたいのに、母ちゃんは家で1人きりになりたいと思ってしまうの。


母ちゃんはりんりんの気持ちを大切にしてあげたいのに、母ちゃんは自分の気持ちも大切にしてあげたいの。というよりも、大切にしてあげなかった期間が長くて、ある日突然パンクしてしまう自分を何度も経験しているから、それはもうコリゴリだし、りんりんにはそんな姿をできるだけ見せたくないの。


母ちゃんは、 どうしたらいいんだろう。

母ちゃんは32年も生きているのに、どうしたらいいのかわからないことだらけなんだ。





息子の横に座って、まだ寝ぼけている頭で、そんなような答えのないことをぐるぐる考えていると、あんなに幸せだった寝落ちの瞬間をすごく遠くに遠くに感じてしまった。



息子が何気なく言った「幼稚園を休ませてくれて」という言葉。

息子には隠しているつもりだったのに、私が「幼稚園に行ってほしい」と思っていることが息子に伝わっていたことがショックだった。「幼稚園を休ませてくれてありがとう」と言わせてしまうほどに、「休ませてくれたのだから、今日は母ちゃんに迷惑をかけないようにしよう」と思うほどに、バッチリ伝わっていたのだ。


もしただ「幼稚園を休んだ」だけだったのなら、息子は今日みたいに「ザ・いい子」ではなかったのだろう。

1人で絵を書いたり、1人で絵本を読んだりして遊んではいなかっただろう。

ドンキホーテで大人しくしてはいなかっただろう。

あんなにこころよく、寝落ちを許してくれてはなかっただろう。

わがままで、甘えっこで、かまってちゃんの息子にいつも手を焼いているのに、そうじゃなかったらなかったで「いつもとちがう。息子の中で何が起こっているの?」と息子の心の中に意識を向ける。必要以上に。


「ザ・いい子」だった日は、「ラッキー♪今日はなんか楽な1日だったなぁ」って気楽に喜んでいればいいのに。


「幼稚園休ませてくれて」と「幼稚園を休んで」のほんの微妙な言葉のちがいに、微妙なニュアンスのちがいに、こんなにショックを受けている自分がしんどい。


息子のささいな一言を
息子の一挙一動を

深読みしすぎて、心がゆれて、いつもしんどすぎるのだ。

私にとって「人といる」というのは、そういうことなのだ。大切な人であればあるほどに。

「1人の時間」と「人といる」のバランスがとれていれば「人といること」は一気に楽しくなる。でもそのバランスが崩れてしまうと「人といること」は一気にしんどいことに変わってしまう。

自分で自分のことを決められる大人になって、そのバランスをうまくとれるようになったと思っていたけれど、「わが子」に対してはまだまだそのバランスをうまくつかめていないのかもしれない。






「ねえねえ。今日はさ、ドンキホーテに行ったりさ、絵本よんでも寝ちゃったしさ、ぜんぜんあそんであげられなかったやんか?それなら、幼稚園行ってた方がたのしかったんちゃう?」

どんどん思考が泥沼にハマっていきそうになっていたので、私はそれを振り払うかのようにわざと明るい声で息子に聞いてみた。そしてちょっとだけ「うん!こんなことなら幼稚園行ったらよかった!」という言葉を期待して。

でも息子は、すぐに首を横にふって答えた。


「幼稚園も楽しいときはあるけどさ・・・ぼくはお休みの方がたのしい。」


高い高い可愛い声で、まっすぐに私の目をみてそう答える息子の迷いのない目が、今の私にはまぶしすぎた。


「1人の時間がほしいから、熱が出ない限りは幼稚園に行ってね」とも「幼稚園がしんどいなら、いつでも休んでいいからね」とも言えない自分がしんどいな、とまたちょっぴり沈んだ。

息子だって私と同じように、1人になる時間が必要なのかもしれないのに。




息子のひとことでスイッチが入って考えだすと、もう止まらない。


そんな金曜日だった。


たくさん考えたけれど、もちろん答えは出なかった。



でも

幼稚園を休ませてもらったり、
寝落ちさせてもらったり、
幼稚園に行ってもらったり、
全力であそんであげたり。

息子の気持ちを1番に考えたり、自分を1番に考えてもらった息子にやさしくされたり、
自分の気持ちを1番に考えたり、自分の気持ちを1番に考えた私が息子にやさしくできたり。


そんなふうにバランスをとりながらやっていく、というのが「答え」なのかもしれない。



ついつい「どちらかを選ぶべきだ!」「決めたことを貫くべきだ!」と白黒はっきりさせようとするのは私の癖で、白と黒の真ん中あたりの「グレイ」くらいで生きていければいいなと思っているのに、また今日は自分なりに白黒はっきりさせようとぐるぐる考えてしまったな。





夜ふとんに入って、またうつらうつらしていると、昼間に読んだ絵本の天使の顔がフワッと浮かんできた。


「もよもよは、かみさまからどんなおくりものをもらったの?」

という質問をだれかから投げかけられているような気がした。




「私はね、かみさまから"ふかくかんがえる"をもらったねん!」



昼間の息子のマネをして心の中でつぶやいてみると、心にやわらかさが戻ってくるような気がした。




「幼稚園休ませてくれてありがとう」という息子の何気ない一言で、ここまでショックを受けてしまうママはいるのだろうか。

めんどくさいな。

私はかみさまから、めんどくさい"おくりもの"をもらってしまったのかもしれない。

でももらったからには大切に使いたいとも思う。


"ふかくかんがえる"のおかげで
私はこうやって文章をつづれて
それを"楽しい"と思う。


"ふかくかんがえる"のおかげで
いろんなことの「本質」を深く見つめようとすることができて、それを見つけたときに喜びを感じる。


かみさまからのおくりものは私に、

時に苦しみをくれる。
時に幸せをくれる。


それは"ふかくかんがえる"というおくりものをもらった私だけではなくて

どんなおくりものをもらってもきっと
苦しみと幸せの両方を感じられるようになっているのだと思うし、私はそう思いたい。

自分がもらったおくりものが「ハズレ」なんて思いたくないのだ。





そんなことを思いながらまた寝落ちて、
土曜日の朝めざめると息子の熱が上がっていた。


ん?昨日はもしかしたらズル休みじゃなかったのかもしれないな。息子は自分の体が戦っているのをちゃんと察知してたのかも。やっぱり息子の言葉を信じて、幼稚園休みたい日は休ませてあげたほうが・・・


・・・・


・・・・


そうやってまた"ふかくかんがえる"を起動して。

土曜日がはじまった。



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