「10分」の積み重ねは、1年後の私に花束をくれた。
人と人とは、どのくらいの時間をかけて仲良くなるんだろう。
会ってその日に意気投合して距離が一気に縮まる場合もあれば、ひんぱんに関わるうちに気づけばじわりじわりと仲良くなっている場合もある。
この間、アルバイト先の大学生Kくんが
「うめかわさん、ぼくヒゲ剃ったんッスよ」
と言いながら、マスクをチラッとずらした。
そのとき私は、なんだかすごくKくんと仲良くなったな、と思った。
Kくんは夕方からの勤務で、私は夜勤で、その入れ替わりの10分くらいしか会わない関係だけれど、
10分✕週2回✕1年
という時間の中で、小さな会話を積み重ねてきた。
たった10分だけれど、たった週に2回だけれど、たった1年だけれど、計算すると約16時間は会話したことになる。
今やなんとなく「Kくんという人」のキャラクターや人トナリや、どんな人生を送ってきたのかや、どんな生活を送っているのかや、何に興味があるのかを、ざっくり知っている。
もちろん、まだ知らないことの方が多いと思うけれど、親近感をもつには十分な「Kくん情報」が私の頭の中に入っている。
10分の会話だけでも、1年たてばこんなにその人のことを知ることができるんだなって、自分の中では新しい発見だった。
となれば、会話ではないけれど、「文章」でも同じことかもしれないな、と思った。
たとえば私は、ほぼ毎日少なくとも10分以上はフォローしている方の「文章」を読む。
「文章」は会話以上に、その人が考えていることや感じていることがギュッとまとめられている。同じ時間であっても、その人トナリの濃ゆい情報がたくさん入ってくる気がする。
noteをはじめて約1年。
タイムラインに流れてくるアイコンを見るだけで、その人が何をしている人なのかや、どんな考え方の人なのかや、どんな雰囲気の文章を書く人なのかが、フワッと心に浮かんでくる。
その感じがすごく心地いい。
その感じは、「教室」に入るときとちょっと似ている。
新学年の4月に教室に入るときは、廊下と教室の境目を意識する。ちょっぴりドキドキしながらその境目に足を踏み入れる。教室の中に入った瞬間、そのなれないニオイとなれない眺めとなれないメンバーに対して、新しい空気にワクワクしながらもよそよそしい感じがする。
でもそのクラスが終わる3月頃に教室に入るときは、廊下と教室の境目を意識したりしない。なれたニオイとなれた眺めとなれたメンバー。その場所に自分がなじんでいる感じ。1年もそこで過ごしていると、それなりに「自分の居場所」を見つけているものだ。
noteという場所の雰囲気や
noteという場所にいる方たち。
毎日たった10分の関わりだとしても、1年たった今、noteという場所が私にとってすごく大切になっている。
10分という1本の花を、毎日毎日コツコツ花瓶に入れて。1年後には365本の花が花瓶に入っていて。それらをギュッとリボンで結んで自分から自分へプレゼントする。
もちろん、1本の花それ自体だけでもキレイだけれど、365本を束ねた花束は、自分が思っていたよりも大きくて華やかで素敵だった。
10分を積み重ねることは、そんなようなことなのかもしれない。
息子が幼稚園に入ってからの約1年。平日はある程度「まとまった時間」を作れるようになった。
でもふりかえってみると、息子が幼稚園に入るまでは「まとまった時間」がびっくりするほどなかった。
今でも息子と過ごす土日は、自分の意思でやりたいことをやる「まとまった時間」はほとんどない。
でも、10分なら。
10分だったら、1日に何回かは作れる。
10分だけ、調べものをしよう。
10分だけ、読みたい本を読もう。
10分だけ、文章を書こう。
10分だけ、だれかと電話しよう。
10分だけ、運動しよう。
10分だけ、旦那さんとおしゃべりしよう。
10分だけ、snsを見てみよう。
10分だけ、散歩しよう。
10分だけ、ボーッとしてみよう。
10分だけ、音楽を聞こう。
10分だけ、You Tubeを見よう。
10分だけ、そうじをしよう。
10分だけなら、できるような気がする。
その10分だけは、自分の意思でその時やろうと思ったことだけを全力でやる。
短い時間でも、自分のやりたいことをやっているという実感は、思いのほか自分のエネルギーを充電してくれる。
そして、
その10分を「自分の目標のため」に使えば
1年後には自分が思っている以上に、その目標に近づいている。
その10分を「あそぶため」に使えば
1年後には自分が思っている以上に、今より豊かな私になっている。
その10分を「人のため」に使えば
1年後には自分が思っている以上に、今よりその人と仲よくなっている。
その10分を「自分の体のため」に使えば
1年後には自分が思っている以上に、今より快適な体なっている。
たかが10分。されど10分。
10分を甘くみてはいけない。
そしてこの10分はきっと、子供が大きくなるにつれて長くなっていくんだと思う。
現実に息子が4歳の今、私は数時間のまとまった時間を作れている。
10分が20分になり、30分になり、1時間になり、3時間になり、そして半日になり、そして1日になるときだって必ず来る。
だから今は、「小さな時間」の積み重ねを大切にしたいなと思う。
でも忘れてはいけないなと思うのは、
私は「子育て」という「大きな時間」を毎日毎日積み重ねているんだということ。
その積み重ねは、1年後、3年後、10年後、私にどんな花束をくれるんだろう。
たった10分でも1年後を変える力があるんだから、大好きな息子と過ごす膨大な時間は、1年後の私をどれだけ変える力があるんだろう。
「大きな時間」を丁寧に積み重ねながら
「小さな時間」を丁寧に積み重ねて
私がじわじわ変化していく。
現実がじわじわ変化していく。
やりたいことがなかなか思うように進まなくて焦ってしまうこともあるけれど、
足踏みしているように思えても、一見後ろに下がっているように思えても、毎日少しでも積み重ねていれば、本当はじわじわと前に進んでいるんだと私は思う。
自分の手で花瓶に入れた花が、なくなってしまうことはないと思うから。
焦る気持ちが湧いてきたときは、その気持ちにどっぷりハマってしまう前に、まず次の瞬間の10分を丁寧に丁寧に積み重ねてみよう。
その10分には、
1年後の自分を変える力がある。
それはkくんとnoteに、
1年かけて教えてもらったこと。
1年かけて感じさせてもらったこと。
おかげさまで今は、毎日小さな時間を丁寧に積み重ねていれば大丈夫、という安心感の中にいる。
1本の花を丁寧に楽しみながら、
花束のできあがりをたのしみにしながら、
今日もむりせずに、1本1本やっていこう。