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文字が読めない書けない6才が、はじめて手紙を書いた人。

ある日の朝、キッチンで朝ごはんの準備をしていると、息子がヨロヨロと起きてきて、リビングのソファにドカッと座った。

息子に「おはよー」と声をかけようと思った瞬間、息子がつぶやくように言った。


「あーあ。ぼくっていつか本当に、文字読めるようになるんかなぁ。」


息子の予想外の朝の第一声に、
思わず笑ってしまった。


「練習すれば、読めるようになると思うよ。りんりん文字読みたくなってきたん?母ちゃんと1個ずつ覚えていこうよ。」

「うん!覚える!」


半年ほど前だっただろうか。

それをきっかけに、夜ご飯を食べたあとの10分くらいを使って、まずは"名前"から覚えていくことにした。


「これが"う"だよ。」

紙に文字を書いて、そのあと息子に書いてもらおうとする。

1つ2つは、ちゃんと「う」を書く息子。

でもだんだん、「う」という文字をのばして迷路が書き加えられたり、「う」を一部にして絵を描き始めたり。

私もその迷路をやってみたり、へんてこりんな絵をみてウフフと笑っていたら、あっというまに時間はたって、「今日はもういいか!」となってしまう。

そんなふうに遊びながらやっていけば、いつのまにか読めるようになっているかな?と思っていたのだけれど。

幼稚園の懇談で「りんりん、自分の名前がまだ読めないみたいで。ちがう子の物とよくまちがえてしまうんです。」と先生からやんわり伝えられた。話をきいていると、年長さんの中盤ともなると、文字を書けなくても読める子は多くなってきてるようで、読めなくても「自分の名前はわかる子」はほとんどのようだった。

来年には小学校だし、自分の名前くらいは読めた方がいいよね・・・なんなら書けた方が・・・

そこからちょっぴり「焦り」のような気持ちが湧いてきて、「うんこドリル」を買ってきて一緒にやろうとしたけれど、息子はチョケるチョケる。そもそも「うんこドリル」というチョイス自体がよくなかったのかもしれないけれど、どうして「ただなぞる」ということをしないんだろう。

友達の家にあそびにいったとき、こどもチャレンジのタブレットに興味津々だったので、試しに入会してみたりもした。はじめの1週間ほどはウキウキでやっていたけれど、すぐにやらなくなってしまった。


母、お手上げ。

無理やり「お勉強」させることもできるのかもしれない。でも、息子がやりたくなるのを待ってあげたい。

どうせ小学校に入れば、習うんだし。

小学校で習うと決まっているということは、「小学校で習うのがちょうどいい」ということなのかもしれない。もしそのとき覚えられなかったら、そのとき考えればいい。

しばらく様子をみることにしよう!

そう決めた。



12月に入って、クリスマスな雰囲気がただよってきた。

わが家には猫がいるので、クリスマスツリーは飾らない。クリスマスツリー柄のタペストリーを飾る。そしてそこに、セロハンテープで何でもかんでも貼り付けてしまうのが、わが家流。

今年も、世界で1つだけのクリスマスツリーができあがった。


「りんりんはサンタさんに何たのむの?ほしいもの教えてくれたら、母ちゃん代わりに書くよ。」

「自分で書く!"サンタさん"ってどう書くの?」


息子のやる気スイッチがポチッと入る音がしたので、私は急いでらくがき帳を持ってきて、真っ白なページを開く。「さんたさんへ」という文字を丁寧に丁寧に書いた。

それを見ながら、一生懸命マネをして文字を書く息子。

チョケてない。
ふと息子の横顔が目に入る。
口がとがっていた。
息子が真剣なときにする口の形だ。

そして、私の文字をマネしながら、サンタさんへの手紙を最後まで1人で書き上げた。

おお!「伝えたい」という気持ちがあれば、ちゃんと書けるんだ。真面目に書いている。これをきっかけに、どんどん文字に興味を持っていくような気がするぞ。

そんな予想をしていたのだけれど。


今日もまた、文字から迷路が生まれる。
今日もまた、文字から絵が生まれる。

しばらく様子をみることにしよう。

一瞬期待してしまったけれど、
また、そう決めた。



息子がはじめて手紙を書いた相手は、
サンタさん。

来年のクリスマスは、自分でサラッと手紙を書いていたりするのだろうか。

今はそんなことちっとも想像できないけれど、今までだってそうだった。

なかなか寝返りしなかった息子
なかなか歩きはじめなかった息子
なかなか食べなかった息子

口だけは誰よりも達者だったけれど
歯が抜けるのは誰よりも早かったけれど

それ以外は誰よりも全部全部ワンテンポ、いや、スリーテンポくらい遅れてできるようになってきた。


でもよく考えたら
「誰よりも」って、誰のことだろう。


子供だったとき、母や父に説得するときや、言い訳するときに、

「みんなそう言ってるよ」
「みんなそうやってるよ」

とよく言っていた。

「みんなって誰ちゃんと誰ちゃんと誰ちゃん?」って意地悪を言われる。

負けじとムキになって、浮かぶ限りの友達の名前をあげていったけれど、親だってきっとそんなことを知りたいわけじゃない。

「私はこう思う!」
「私はこうしたい!」

ほんとはシンプルに、そう言えばよかった。今ならそう思う。


それと同じように、

「私は今○○ができる。」
「私は今○○ができない。」

ただそれだけでいいのにな、と思った。息子が今できていること・できていないことを、ほとんど無意識に、「みんな」と比べている自分に気づく。


ある日。

「あーあ。ぼくっていつか本当に、自転車乗れるようになるんかなぁ。」

またまたそんなことをつぶやく息子。

「りんりんさ、何事も練習しないとできるようにならないよ?何事も練習すればできるようになるよ?」

「練習ってどうやるの?」

「たくさん自転車に乗ればいいんだよ。母ちゃん手伝うよ?練習する?」

「そうか。また今度乗ろっと。」

練習する気ないよね、と心の中でツッコむ。5歳の誕生日に「かっこいい!ほしい!」と言われて買った自転車には、うっすらと砂ぼこりがかぶっている。

近所の子はスイスイとコマなし自転車を乗っていて、またまた焦りのような気持ちが湧いてくる。

またまた無意識に、
「みんな」と比べている自分に気づく。



息子のリズムは、チルアウト。

のんびり、ゆったり、フリーダム。

なんでも早くできればいいってわけじゃない。

そのリズムはきっと
"息子らしさ"を作る大切なリズムだから

そのリズムを大切にしてあげられるお母さんでありたいといつも思っているけれど。


「息子のリズムを大切にしたい。」
という気持ちと

「いつできるようになるの?」という
ちょっぴり焦る気持ち。

そのハザマでユラユラと、

頭の中では「"みんな"となんて、比べなくていいよ」と言いながら、

心の中では「"みんな"できてるよ。」と焦りながら。


「みんな」の呪縛を、
頭でなんとか解きながら、

もっともっと目の前にいる「わが子」を、
ただシンプルに見つめられるようになれたらいいなと思う。



メリークリスマス♪

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