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相続手続き完結 半年間の振り返り

24年も早いもの、あと僅かで上半期が終わろうとしています。
とにかくこの半年間は、相続手続きを軸にした生活を過ごしておりました。
 
相続手続き・・・いわゆる未知の分野での繰り返し、ひたすら戸惑いの日々…。

毎日の隙間時間は、人に聞くなり、ネットで調べるなりで何かとやること多し。もちろん本業も疎かにはできません。

これ言い訳にもなってしまいますが、noteに取り組める余裕という名の気力と情熱は、とても残されておらず…。

どうにかこの6月半ばに、無事に一連の手続きに完了に至ったことで、終わってしまえば全て良し。
(受験や資格試験にも似た感覚、嫌な思いも試験が終わればキレイさっぱり)

ちょっとばかり箸休めも意味も込めながら、自分の軌跡を少々振り返ってみようかと思います。

✅遺書無し相続手続きは しんどい

親の遺産を相続する上で、かなり重要な鍵となる「遺産協議分割書」作成。

 作成するにあたって、まず親の残した資産は○○円、負債は△△円とを具体的項目と数字(金額)を弾きださないことには、スタートラインにも立てないのです。

 世間では終活だの、身辺整理だのが叫ばれている昨今ですが、うちの親は生前中も何処吹く風でした。

更に病院ではなく、自宅でバッタリと亡くなってしまったことも事態をさらに酷くさせることになり、結果的に残された子供たちが右往左往するハメとなるのでした。

 後悔先に立たず!

法的効力は無いにしても、親が元気なうちに、簡単な遺書作成や資産整理ぐらいだけでも、やっておいて損は無いと心底感じました。

自分の場合は、親族間で何となく資産の棲み分けができていた為、まだ大きなトラブルには至りませんでしたが。

それでも土地の権利書紛失しているとか、次々と隠れ銀行口座が判明するとか、不測の事態が随時勃発しておりました。

現在は終活を専門家に扱う人だけでなく、各地で終活説明会なども行われている訳で…。

年配の方にこそ「転ばぬ先の杖」という格言を深く噛みしめてもらいたいと、強く強く感じました。

✅専門家への問いかけが、相続解決への最短ルート   

よっぽどの専門家でなければ、相続手続きの道筋をしっかり理解している一般人の割合はかなり少ないのが現状ではないでしょうか。

かくいう私も親の生前中に、相続手続きの本を購入して勉強しようとするも、あっさり挫折…。
結局、逝去後にようやく学び始めるという、これぞぶっつけ本番スタイル。

 最初は、司法書士と行政書士の違いすら分かりませんでした。


今はネットが発達したおかげで、情報収集が大変容易になりました。

専門家(司法書士や行政書士など)によっては、無料相談(初回のみ)を受け付けておられる方も多くて本当に助かりました。

世の中において、家族の様式は千差万別。

親族がたくさんいるお家、親兄弟の仲が良くないお家、資産が土地しかないお家等々…。

例を挙げれるとキリがありませんが、自分と状況が全く同じである家庭は世の中に一件も無いのです。

友人の意見はあまり参考になりませんし、本やネット情報を頼ろうにも、該当しない情報も多く閲覧する羽目になります。

極端に言い換えるならば、ジャンク情報過多状態となり、大いなる混乱を招くのです!

専門家に直接聞くことは、自分にとっても勉強になりますし、何より根付いた情報も忘れにくいのです。(真剣なので)

 昔ながらのアナログスタイルも、いざという時には大事なのです。


✅人の心の奥底は 分かる筈も無し

以前、葬儀によって親族が集まる時には、人の本性が出やすいと聞いたことがありました。

葬儀時に噴出した不満が発端となって、互いの親族が不仲になった事例も、実際に目や耳にしたことがあります。

それでも己の深いところでは「対岸の火事」の他人事として捉えていたのでしょう。


ところが今回、父親が生前中には言えなかった不満や鬱憤を、親族から至近距離でまともに発泡されて、自身が火だるまとなる事態に…。

禅の言葉「冷暖自知」の意味をまじまじと体感致しました。


冷暖自知:湯飲みに入ったお茶が熱いか冷たいかは、実際に手に取り飲んでみないと分からない。
何事も体験してみることが大切という教え】

今回は下手に反撃すると、相手の怒りにさらなる燃料を注ぎ、大火事になる危険性があるため、ぐっと堪えて。正に「忍耐」の二文字。


相続騒動内で、一番メンタルが落ち込んだ瞬間でもありました。


身内同士、普段はうまく取り繕っていても、人の深淵とは本当に分からぬもの。

以前読んだ本に、このような下りがありました。

人間の心がいかにわからないかを骨身にしみてわかっている者が、「心の専門家」である、と私は思っている。(中略)
これに反して素人は「わかった」と単純に思いこみすぎる。というよりは、「わかった」気になることによって、心という怪物と対峙するのを避けるのだと言っていいだろう。

引用:河合 隼雄「人の心はどこまで分かるか」


相手を理解しているという概念は、身内でも通用せず、それは幻想やただの驕りでしかありません。

相手のことが分からないからこそ、相手のことを少しでも理解しようとする謙虚さが大切である。

相続騒動の最もしんどかった状況を乗り越えた代償として、人として大切な哲学を教えて頂いたのでした。

人の人生とは、「塞翁が馬」の如しなのです。

☑️さいごに

相続手続き、以前から相当大変とは聞いておりました。

今回初めて自分で汗をかいたことで、物事の本質に触れることで、多少なりとも自身も成長できたように感じます。

世の理(ことわり)は、いと難し。

そんなことを大いに感じさせてくれた、24年上半期でした。

下半期はもう少しゆっくり過ごしたいです。(切実)

ここまでご愛読ありがとうございました







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