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モスクワを写真で振り返る ロシアもヨーロッパだった

3か月前に初めてモスクワに行った。その頃は

「ロシアにはコロナウイルスないから」

とみんなが思っていた時期だ。まさか35万人になるとは夢にも思わなかった。2月末の当時は既に20人ほどの感染者がモスクワで見つかっていたらしいが、都市閉鎖されたのはそれから1か月後という遅さだった。

モスクワへ行く飛行機でもマスクをしていたのは日本人とモンゴル人だけ。空港で「マスクをするのはロシアではよくないことだ」などとふざけたことを言われるほどに、まだコロナウイルスは他人事だったのだ。

ゴールデンマスク賞

ロシアでは舞台芸術のオスカー的な存在である「ゴールデンマスク賞」というものがある。そこにノミネートされるだけでも大変名誉なことだ。

今回、アレクサンドル・ミシューチン氏が振付け、100年ぶりに全幕が蘇演された「タリスマン」がベストバレリーナと振付でノミネートされた。

これをうけモスクワでタリスマンを上演することになった。しかし事情でオーケストラは弦と打楽器だけ行くことになった。さんざんリハーサルしてブリヤートで本番をした後にそうなってしまったのはとても残念だった。

しかし飛行機も往復で2万円だから自分も妻についてモスクワに行くことにしたのだった。

ちなみにタリスマンについてはこのブログで詳しい解説を書いてある。

モスクワはヨーロッパ

オーケストラと同じホテルをとったのだが、ロシアとは思えないほどきれいだし英語も通じて感動した。何よりホテルのレストランと朝食のビュッフェがおいしかったのはうれしかった。ロシアはドイツに比べて食に関心があると感じることが多い。

モスクワにはバーガーキングやマクドナルド、スターバックスもあり

まるでヨーロッパの大きな都市にいるみたいだ

と感じた。ブリヤートにいるとロシアがヨーロッパという実感があまりにもないのだ。

汚いに決まっていると思い込んでいた街は思いの外きれいで、ゴミだらけということはなかった。街もきれいに舗装されており、ブリヤートと同じ国とはいいがたいほどだった。

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道もとんでもなく広く、ドイツの都市よりもよほど都会だった。東京の雰囲気に近い。東欧の街で感じたようなさびれて貧しい感じもしないし物価も高い。

全ての富がモスクワに集中している

ということが強く感じられた。国が大きい分その格差は日本とは比較にならない。

モスクワの観光地は一か所に集中

モスクワの観光名所は赤の広場に集中しており、時間がなければこの辺りだけみれば十分に満喫できるだろう。

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ロシアの代名詞「クレムリン」の実物も見ることができた。玉ねぎ型の不思議な屋根、パイナップルのように重なる曲線は非常にユニークでやはり他のヨーロッパのは全く価値観があることがよくわかる。この色合いも西欧では考えられない組み合わせだ。赤緑青黄色といった原色ばかりが使われていて目がちかちかする。

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クレムリンの前は新しく舗装されたようなモダンな空間になっており、大道芸人がいた。棒に乗って棒を振るという指揮者。なんとも物悲しい音楽とともにブランブランとただただ揺れていて不思議な空間だった。

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クレムリンの内部も中々おもしろい造りと装飾がなされていた。

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内部の土産屋からみる赤の広場。マトリョーシカが見える。

ロシア正教の教会

教会の数は多く、玉ねぎ型の独特な形の屋根が目立つ。ロシア正教の教会に入ったのは初めてだった。

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ドイツとはかなり雰囲気が違い、かなり敬虔な信者が祈りにきている重い空気だった。全くキリスト教徒ではない自分でも、神のような存在を感じさせるような空間には圧倒される。

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グム百貨店

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赤の広場にはグム百貨店という老舗のデパートがあり、建物自体がディズニーランドの中のような雰囲気だ。

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三階建ての吹き抜けで贅沢に空間を使っている。中に入っているのは主に高級なブティックや超高級なレストランばかりなので特に買うようなものはなかった。歩き回っている人は大勢いたが買い物している人は少なかった。

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街のようになっていて真ん中にはアイス屋がある。メイド服をきたおばちゃんがアイスを冷蔵庫からだしてほいっとくれるのだが、服装には似合わずやはり接客はロシアクオリティだった。笑顔は0だ。

ボリショイ劇場

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子どもの頃からビデオで見ていたボリショイ劇場はとてもシンプルな建物だった。威厳はあるが必要以上に豪華な装飾はなく、ドイツの価値観に近いと思った。残念ながら中には入れなかったが見られてよかった。

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劇場前にはティアラのイルミネーションがありかわいらしかった。

モスクワの地下鉄

モスクワの地下鉄はどこもきれいだった。有名な駅はいかなかったがそれでもとても美しい天井画。

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やはり労働者のための国を作るにあたって労働者の生活基盤である地下鉄に力を入れたのかもしれない。

モスクワ音楽院とモスクワ放送響

モスクワ放送響の演奏会がちょうどあり、聴くことができた。ラフマニノフなどみんなが通ったモスクワ音楽院。

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中々に立派な建物で、大学の中にあるホールもとても大きかった。

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指揮者はマクシム・ベンゲロフというヴァイオリニストでプログラムはモーツァルト交響曲第41番とチャイコフスキーの交響曲第6番。

モーツァルトは最初あまりにも遅いテンポでとコンサートの先行きに不安が生じたが、ただ遅いテンポで演奏していたわけではなく全体として聴くと説得力のあるものだった。モーツァルトでありがちな、とりあえず軽くいこう的に流す中身の無い演奏よりも丁寧で印象だった。

抒情楽章はあり得ないくらい重いテンポだったが、今まで知らなかったモーツァルトの一面を見せてくれたように思えた。じっくり聴くことでわかる、地の底から湧き上がるような深い感情。

しかしトランペットが1番はピストンなのに2番がロータリーなのは謎だった。

チャイコフスキーも勢いに任せてガンガンいってしまうわけではなく、あくまでも冷静さを保った中ですさまじい情熱をみせていました。音楽家がヒートアップしそうなのを、冷めない程度に落ち着かせながら上手に導いていく指揮者に見えた。

トランペットの2番はもはやトロンボーンみたいな音してる時もあり、トロンボーンの音量は本当に未だかつて聴いたことのないくらいに大きかった。

本当に一切の妥協なくffffと書いてあれば自分の限界もしくはそれ以上の音量で吹いていた。二階席からも金管奏者たちが息を吸って上半身がグワっと膨らむのが見えるほどだった。

「命がけで演奏する」

とはまさにこのことだと初めて思った。限界で演奏しているからやはり音が荒れることもあるわけだが、ロシア魂はがんがんに伝わってくる。

トランペットの1番は本当にかなりぎりぎりまで攻めていて、どこがしんどい場面かよくわかる分少し心配になったがそれでも一切の妥協なく最後まで命を削って吹ききっていた。

終わった時に同僚と安堵の表情を浮かべていたのも見えてよかった。これがライブの良さだ。

ホームでないとああいった熱演はなかなか聴けないから良い機会だった。









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