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流れをつかむ日本史「明治時代 前編」

トモーロです。

本日は、流れをつかむ日本史、明治時代前編を紹介します。

ここ最近、本業の方に集中すべく日本史の記事をお休みしていましたが、本日から再開いたします。

前回は、とうとう260年続いた江戸幕府が終わりを迎えた話をしていきました。

様々な経済政策を行った江戸幕府でしたが、薩長同盟にかなわず。大政奉還で巻き返しを狙ったが、王政復古の大号令で幕府軍が破れてしまいます。

そこから、日本がどのように変わっていくのでしょうか。

さっそく見ていきましょう!


<明治時代の始まり>

王政復古の大号令により、新政府が発足した時期から明治時代に入っています。

戊辰戦争のころには、もうすでに明治時代になっていたということですね。このことからもいかに新政府軍がゴリ押しに進めてきたのかがわかりますね。

新政府軍になってからの政治の中心は、公家出身の岩倉具視(いわくらともみ)、薩摩出身の西郷隆盛(さいごうたかもり)及び大久保利通(おおくぼとしみち)、長州出身の木戸孝允(きどたかよし)であった。

このころには江戸は「東京」改称され、名実ともに日本の首都を東京にしようという動きが加速していきました。

また、元号を正式に「明治」とし、天皇一代の間はひとつの元号を用いて、その天皇の間は元号を変えない「一世一元」というルールに統一しました。

そして、新しい国づくりのコンセプトは中央集権化であった。これ何かの時代に似ていませんか?

そうです。中央集権化は、天智天皇が行った「ワントップ体制」以来の中央集権化の国づくりになります。

中央集権化を目指すためにまず新政府が行った江戸幕府のやり方を徹底的に解体することでした。

江戸幕府の政治制度、身分制度、経済政策では近代化は不可能だと考えていたためである。

日本が今後、世界と渡り合っていけるような国になるためには国民が1つのチームとしてまとまる「国民国家」にする必要あると考えていました。


<政府に良いように使われる武士>

江戸時代、武士は大名のためにのみ働くものであった。大名たちの考えもバラバラであり、藩ごとの方向性もバラバラでした。

小国家で分裂している中でしかも方向性がバラバラでは日本全体が大ピンチに陥ると思った新政府。

この幕藩体制を解体していきました。幕藩体制を解体し、公務員制度を導入し、政府からの命令を国の隅々までいきわたらせていく仕組みの整備を目指すことが新政府の目的でした。

この政策に中心に動いたのが大久保利通&木戸孝允であった。

この二人は薩摩、長州、土佐、肥前の4藩主に対して、土地と人民を天皇に率先して返上してもらうよう強く勧めていきました。

そして、この4藩にならって他の藩も返上してもらえるように促していくという政策を行った。これが「版籍奉還」です。

しかし、大名たちも進んで土地と人民を返上したくはありません。

そこで、大名を知藩事という役職に任命し給与を与えてその藩の運営を行わせました。このままでは土地と人民を返上しても実際は面倒見ている状態です。

ここから、武士(この時代には「士族」と呼ばれていた)を徐々に追い込んでいきます。版籍奉還から2年後明治政府は知藩事をクビにします。

藩を廃止し、大名ではなく中央から派遣した「公務員」が統括する「県」や「府」にする仕組みを作りました。これが「廃藩置県」です。

この政策は大名たちの失業を意味します。また、政府はこの政策を行う際、反乱が予想されたため薩摩、長州、土佐の3藩から1万の兵を集め守りを固めていました。


<武士の終焉>

まさに政府の武士の排除のやり方はうまいとしか言いようがない。過去の江戸の失敗例をうまく生かしながら時代を動かしている感じですね。

版籍奉還、廃藩置県が断行され武士はよりどころをなくしていきました。最後にとどめを刺したのが廃刀令徴兵令であった。

廃刀令によって武士たちは刀の所持を禁止され、武士、庶民関係なく満20歳に達した男性に3年間の兵役義務を課しました。

これまで武士による軍隊に頼っていたのが、国民が国を背負って戦う近代的な軍隊に移行していった。もう武士のプライドはズタボロ状態。

このような政策に対して、武士にチャンスを与えようとしたのが西郷隆盛であった。

武士たちが政府にどんどん追い込まれていくことで反乱が起きると予想した西郷隆盛は武士たちを討伐目的で朝鮮半島と戦争させ、欲求不満を解消させようとしました。(征韓論)

このころ、政府も「近代化のために内政を整えるべきだ」という意見と「海外へ活躍の場を増やすべきだ」という意見に分かれていました。

政府もこの2つの意見で激論していました。そして激論した挙句、征韓論は中止されてしまいます。

結局、あらゆる場所で武士による反乱が起きてしまいます。これが「西南戦争」です。隆盛も反乱を起こしてしまいます。

反乱は次第に大きくなっていきましたがこれを鎮圧したのが腐肉なことに徴兵令によって集められた平民を中心とした軍隊でした。

この事件によって武士の時代の終結が世間にも認められてしまいました。それを示す大きな事件でした。


<まとめ>

いかがだったでしょうか。今回は、明治時代の前編を見ていきました。

本当にこの時代の政府のやり方は、本当に見事な物でした。武士が氾濫しないように周りを固めて版籍奉還、廃藩置県、廃刀令、徴兵令で武士を排除する。

まさに江戸時代の失敗例をよく勉強しているといった感じでしたね。まさに良いように使われてしまった武士。

なんか今の時代にも当てはまりそうな話ですよね(笑)

武士が排除され、ここからだんだんと私たちが生きている時代に近づいていきます。次回もお楽しみに。

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