見出し画像

流れをつかむ日本史「江戸時代 中編」

トモーロです。

今回の流れをつかむ日本史は、江戸時代の中編を見ていきます。

前回、大坂夏の陣で真田幸村の大軍にギリのところで勝利した徳川家康。

幕府では武断政治が行われ庶民や大名に対して厳しく取り締まっていきます。

そして、あまりの厳しさに庶民や大名の不満が爆発し、由井正雪の乱がおきてしまいます。

さあ、不満が高まってしまった世の中に対して、幕府はどのように対処していくのでしょうか。

さっそく見ていきましょう!


<文治政治>

江戸幕府3代将軍徳川家光まではガッチガチの武断政治であった。その反省も踏まえ、4代将軍徳川家綱(とくがわいえつな)文治政治を行いました。

就任した時にはすでに100を超える大名が取りつぶしや領地削減の被害にあっており、幕府に対しては恨みまくりでした。

その将軍たちも、このころはあまり争いが起きなかったため、武芸をアピールして再就職することも厳しい時代でした。

そもそもなぜ取りつぶしが多かったのか。一番の理由が、大名家の後継ぎが途絶えてしまうことが問題であった。

当時、大名が死にそうになったときに駆け込みで養子をとって後継ぎにすることも禁止されていました。

家綱は、文治政治によってこれを緩和し、大名が50歳未満で死ぬときは末期養子をとって良いという形に変えていきました。

文治政治によって大名の価値も変化していきます。

以前、市場価値的に高い大名は「戦いに強い大名」であったのに対し、この時代から「政治力に高い大名」というように変化していった。

5代将軍徳川綱吉(とくがわつなよし)の時代には、武家諸法度の一部が書き直され「武芸を磨く➝忠義を尽くし、礼儀正しくしなさい」という内容に書き直された。

このころ、朱子学者である新井白石(あらいはくせき)が儒学を重視し、将軍の権威向上のため上下関係による秩序を重んじる政策を展開した。

朝廷との関係を深め、儀式を重んじ、服装などの決まりを作り、将軍の権威づけをした。

今となっては息苦しさを感じるが、武断政治を行った後の新しい政治の形であったため反対するものは少なかった。


<享保の改革>

これまで武断政治からの反省から少し柔らかくなったのですが、8代将軍徳川吉宗(とくがわよしむね)享保の改革によって締め上げられます。

吉宗は、家柄にこだわらず優秀な人材は積極的に採用していきました。政策の中心は財政の再建。

まずは支出が抑制させるため、倹約令を出して贅沢の禁止と節約するようにルールを決めました。

その上で、幕府の収入(当時は年貢米がメイン)を増やすために、諸大名たちに領地1万石につき米100石を献上するように義務づけました。

この政策によって一定の成果を上げることができたが人々は欲しがるものが増え、物価が上昇。

米の増産によって米の価値が下がり、支給される米が収入源の武士たちの経済状況は厳しくなる。

そんな中で庶民の倹約を緩和させたのが田沼意次(たぬまおきつぐ)であった。このころは田沼時代とも呼ばれ、カネが動いた時代でもあった。

カネに目を付けた田沼は、これまで厳しく取り締まっていた倹約ムードを緩和させ、逆に商人に対してお金をガンガン稼がせました。

そこから税をとることで財源にしようとする「カネ」社会を積極的に利用していきました。

株仲間の公認や貿易の規制も緩和し、金銀の輸入も積極的に行いました。しかし、田沼意次はカネに汚いと徐々に言われはじめ失脚します。


<寛政の改革と大御所時代>

11代将軍の徳川家斉(とくがわいえなり)はものすごい男であった。この人なんと40人の奥さんを持ち55人の子供がいます。

また将軍職を50年もやり続けました。その前半部分の政策は寛政の改革であり、後半は大御所時代と呼ばれています。

まず前半は、松平定信(まつだいらさだのぶ)の寛政の改革でまたも締め上げられます。

米による年貢の確保を重視するため、倹約令で引き締めを行い、農村の復興を目指しました。

とにかく緩んだ風紀を正したかった定信、上下関係の秩序をこれまで以上に重視するため朱子学以外の学問を禁止させます。

さらに、幕府の批判や、風紀の乱れにつながる書物の出版を禁止しました。改革によって幕府の権威は向上したが庶民の息苦しさは日に日に増していきました。

次第に家斉とも意見が合わなくなり対立しはじめ、クビにされてしまいます。そこで、実権を握ったのが大本命、徳川家斉である。

超クレイジーパリピ将軍の家斉は、寛政の改革からの反動も受け贅沢にふけり、社会全体にも蔓延しています。それが大御所時代と呼ばれます。

そして社会全体にも緩んだ雰囲気が伝わります。結果的に財政は悪化した。

しかし、このころ小判の金の含有量の引き下げ、小判の枚数を増やして差額を稼いでいました。このような動きもあり、物価の上昇とカネ社会が一気に進んでいきました。

商人の生活は豊かになっていきましたが、米社会を基盤とする武士や農民は没落していきました。


<まとめ>

いかがだったでしょうか、今回は、江戸時代の中編をお送りしました。

江戸に入ると争いはあまり起きない時代ではありましたが、その反面政策をどのように行えばうまくいくのかという問題に直面します。

記事を見ていただいたと通り、みな試行錯誤しながら政策を行っているように感じますね。

さてここから幕府の力が徐々に弱体化していきます。そうなったら幕府はどんな手を使って生き残っていくのか。

次回もお楽しみに!




この記事が参加している募集

もし読んで面白いと思っていただけたらサポートしていただけると嬉しいです。 サポートしていただいたお金につきましては、質の高いアウトプットのために本の購入や費用に使い、よりよい情報発信をしたいと思います。