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オルタナティブ(IB)で育んでいる力と受験学力をどう繋げるのか?

今私は国際バカロレアの認定校であるサニーサイドインターナショナルスクールで小学5/6年生の担任をしており、概念型探究の実践を日々迷いながら模索しています。これまでに1年間、PYPのカリキュラムで7ユニット、MYPのカリキュラム(数学)で4ユニットの実践をしてきました。
このnoteではIB教育が注目されている一方で、実際の受験学力と直接的に結びついていない現状をどのように乗り越えていくのかを現段階で考えていることをnoteでまとめていけたらと思います。


これについて考えるきっかけになったエピソードを2つ紹介します。

エピソード①DPを学んでいた学生の葛藤

私の友人の1人が、一条校であるDPで学んでいた際に、ある葛藤があったみたいです。一条校でもあるのでDPでの学びを行いながら、一条校で求められる知識ベースの定期テストも受けなければならず、意味を感じられない定期テストや模試を受けた話を聞きました。そもそも知識ベースで学んでいないので、知識量を問われる問題に対応できるわけがないのに、受けなければならない時間に疑問を感じていたみたいです。この背景には、DP(高校卒業資格)で求められている学力と大学入試の共通テストで求められている学力に大きな乖離があるそうです。DPの卒業試験の特徴については、以下のサイトに過去問の例が書かれています。

問題の例

「History」(科目グループ3の「個人と社会」の「歴史」の問題)
What were the most frequent causes of persecution of minorities? Support your answer with specific examples.
(少数民族の迫害の主な原因は何か?具体例を挙げて答えよ )
To what extent were Soviet policies responsible for the outbreak and development of the Cold War between 1945 and 1949?
(1945年から1949年の冷戦の発生と進展においてソビエトの政策はどの程度まで責任があるか?)
Compare and contrast the policies of two multiparty states for dealing with economic and social problems.
(経済・社会問題の取り扱いに関して2つの多党制国家の政策を比較対照しなさい)

(国際バカロレア公式サイトより 2005年問題 和訳はロジムラボ)

このDPの試験問題を見ると、今PYPのG5/6で行っているSharig the planetの戦争のユニットとの繋がりを感じました。IBのカリキュラムはかなり練られていて、PYPからMYP、そしてDPへと発達段階に合わせながらつながっているのを感じます。PYP段階では、幼児教育でも大事にされている非認知能力を育むことが大事にされ、MYPからDPに移行するについて、徐々に教科の専門的な知識やスキルも入ってきて、最終的には大学で研究するために必要な知識、スキル、学び方や考え方などの非認知能力もバランスよく育まれるようになっているように思えます。しかし、家の近くにPYPからMYP、DPまでが接続している学校を選べる環境にないひともいると思います。

エピソード② PYPで学んでいる児童の葛藤

PYPで学びを重ねてきて、通える範囲にMYP(中等部)がない場合の進路を考えた時に、IB以外の選択を迫られることがあります。もちろん、公立という選択肢もあるのですが、自分にとって学びやすい環境を選択することを考えると、受験というのは通らなければならない道になります。しかし、所謂一条校である私立の学校を受験するとなると、概念的理解をベースに非認知能力を育んできた児童の持っている力を評価できるシステムはなく、受験では認知スキルである、知識量や具体的な問題を解くスキルが求められます。中には、一条校でないオルタナティブな学びを選択することで、受験資格が与えられない学校もあります。

ミスマッチはなぜ起きるのか?

さて、今回のnoteの本題に入りますが、一条校でない所謂オルタナティブスクールのPYP校において、IBで学んでいることをどのように受験学力(社会で評価される学力)と繋げていくのかについて考察をしていけたらと思います。これについては、IBに限らず今日本で増えているオルタナティブスクールを選択した子どもにとって、その先の進路について考えていくきっかけになればと思います。

「なぜ、オルタナティブな学びが今の受験学力とミスマッチに感じてしまうのか?」

私なりの今の捉え方として、認知スキル/非認知スキルという軸と知識(量)ベース/概念的(理解)ベースという軸で考えてみました。私の中で、知識の量をベースにした学びと認知スキルには相関関係があり、これらは定量的に評価することができるので、公平は判断をベースとする受験において明確な評価をすることが可能になります。
その一方で、概念的理解をベースにした学びと非認知能力には相関関係があると考えています。具体的には、概念的理解を構築していく社会構成主義的な学びのプロセスにおいて学習者は非認知能力を高めていくことになります。しかし、これらの力は定性的なもので、数値で測ることが難しく、受験などで求められる学力の指標としては難しいものになっています。

しかし、この変化の激しい社会の中で子どもたちが「生きる力」を育むために必要なのはどちらの力になるでしょうか?もちろん、生きていくために教科の知識やスキルが必要でないといっているのではなく、教科の知識やスキルの先にある、社会で生きて働く「転移できる知識」にまで学校教育の中で育む必要性を感じています。

ここにIB教育を受けさせる家庭には葛藤が生まれると思います。子どもたちの未来を考えると、PYPでの学びを受けさせたい。でも、PYPでの学びだけでは、卒業後の選択肢が限られてしまい、塾に通うことで、受験に必要な学力をつけるための学習が別で必要になってくる。

参考となる記事はこちらです!

この状況をどのように乗り越えるのか?

もし、PYPでの学びが「子どもたちが学びに向かう力や学ぶ力(非認知能力)」を育み、さらにユニットの中で本質的な学び(概念的理解を育む)ことが実現することができているとしたら、、、、。めちゃくちゃ理想論かもしれないけれど。

参考「思考する教室をつくる-概念型探究の実践(pg.36 図2.2)」

子どもたちは、学校で様々な事例をリサーチして、パターンや繋がりを探して情報から知識に一般化していく学びを行っています。もし、子どもたちが本当に知識を自分たちで構築していくことができているとしたら、普段の学校での学びは帰納的アプローチで、受験勉強は演繹的なアプローチができることで、効率的に学べるのではないかなと思います。
具体的には、一般的な歴史の授業では、時代ごとに学習を進めていくと思います。この学びのプロセスでは、歴史は暗記科目になっており、1つ1つの単語やなぜこの争いが起きたのかを覚えていくプロセスが必要になります。
一方で、概念的理解を育む学びにおいては、学校の授業で様々な戦争の事例からなぜ戦争が起きてしまうのか(原因)を複数の戦争の事例からパターンを見つけ出し、一般化をしていきます。すると、ある一定の戦争や争いが起きる構造が理解できることで、時代を超えても人々が争いが起きるパターンを理解しているので、暗記ではなく構造で学習を進めることができます。図にするとこのような感じです。

思考する教室(pg.11)概念を基盤とした3次元のカリキュラムと指導

結論として、IBで育まれている学力と受験で求められている学力には(何もアプローチをしなければ)乖離があるということです。もっというと、IBで育まれている学力と日本の社会における受験システムで求められている学力には乖離があります。
しかし、私の仮説ですがIBでしっかり学んでいる生徒は、評価システムが変わったとして、そのシステムを理解して、そのシステムに合わせて自分で学ぶ環境を調整することができれば、道を切り開いていくことができるのではないかと思います。かなり、ハードな着地点になってしまいましたが、自分に合った学び方ができる環境とは何か、何に興味があり、何を学びたいのか?を理解し、更に学ぶ力などの非認知能力を育めていれば、環境が変わってもよりよく生きられるのではないかと思います。

このnoteのタイトルでもある「オルタナティブ(IB)で育んでいる力と受験学力をどう繋げるのか?」という問いはかなり大きな命題なので、これからの日本の社会での評価軸が増えていくといいなと自分自身も思っているので、一緒に考えていけたらと思います。

いつも読んでいただきありがとうございます。


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