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十代の終わり頃から、北海道と酪農に漠然とした憧れはあった。

僕は、大学4年生になっても本気で将来を考えることがほとんどなかった。卒業の年の正月が明けても会社訪問もせず部活を続けているような奴は、少なくとも周囲の同級生にはいなかった。

十代の終わり頃から、北海道と酪農に漠然とした憧れはあった。
前年の秋、勢いのままに帯広の牧場に内定を得て、しかし1週間足らずの研修で「このただただ広大な景色」に何故か気持ちが萎えて、萎えてというか正直言えば自信を失くして、憧れたはずの北海道を後にした。

結局僕は、千葉県の酪農協の新卒採用で働き始めた。
ヨーグルト製造は、早朝その日の出荷数から計算した量の生乳を受乳場から運び、脱脂粉乳と砂糖を倉庫から運び出してタンクで熱し攪拌するところから、発酵、パッケージ詰までが毎日の仕事。半年過ぎには1人でこなせるようになったと思う。
牛乳の出荷で何時間も冷蔵庫に入ってコンベアに載せる作業もこなした。屠殺場も手伝った。
80年代、まだ右だ左だの、保守、革新など言った時代。僕が新聞社で働きたい想いが強まったのは、協同組合の職場にあったちょっとした政治的な側面が影響したかもしれない。
社会を知りたい、そんな感じか。

24歳で某新聞社に転職したが、汗をかいて働くことこそが尊いという、牧場を考えていた頃の考えは忘れていなかった。比喩ではなくて身体を動かした対価で生きるのが格好良いのだと。
仕事が深夜になることも週末が潰れることもあったが、生き物を相手にする酪農業に比べればたいしたことないし、ルーチンワークではない業務はいつも新鮮だった。
原稿の締切に追われつつ、売上目標を抱えた広告営業といったぐちゃぐちゃの毎日でも、やりがいを失うことはなかった。
でも、マスコミで働いているとか新聞記者だと言う肩書きを誇りにするような一部の先輩、上司の存在は受け入れられず、自分の将来を逡巡してしまうことは増えた。

今の仕事をスタートして25年も過ぎているのだから、偉そうにこう書いても、もう汗をかいて云々、という人生とは遠く離れたところに来てしまっている。

でも肩書きをプライドにしている人間から漂う香りには、まだ敏感かな。

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