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35年ぶりの月山(2-1)

35年ぶりに、山形県の月山(がっさん)へ行ってきた。

4月に食事をしたKさんが、山形市から月山へ行く途中の寒河江(さがえ)に住んでいると聞き、急に20歳の夏を過ごした山の旅館での日々が懐かしくなって、月山行きを決めた。

月山(1984M)は、湯殿山、羽黒山とともに出羽三山と呼ばれて古くから山岳信仰の山とされているが、登山好きを除けば首都圏に住んでいる一般の人には馴染みが薄いかもしれない。
山頂から姥ヶ岳への稜線から広がる広大なエリアに残る雪渓。80年代のスキーブームの頃は、他のスキー場が閉鎖になる時期から熱心なスキーヤーで賑わった。
懐かしい景色は靄(もや)の立つ雪渓、流れの速い雲、高山植物。
何より、35年前の僕を覚えてくれた人たちとの再会に感激した。
期せぬ再会のことの前にまず昔のことを書きたい。

1984年、僕は大学の弱小競技スキー部員だった。
腕前はからきしでも、「1日でも多く滑りたい」という欲求があって、5月までは長野のスキー宿を手伝いながら滑っていたし、10月になれば人工スキー場のアルバイトが始まるから、その間をなんとか埋めたいと思っていた。
7月の初め、僕は同期のアライを誘って上野から山形行夜行列車「蔵王」に乗った。
二人とも帰りの交通費にも足りない程度の持ち金しかなかったことは憶えている。
宿を一軒一軒お願いすれば何とかなるだろうと思った。
リフト乗り場近くの宿を訪ねて3軒目の「つたや山荘」で、ちゃんと話を聞いてくれた。
「つたや山荘」は、5㎞下った志津地区にある「つたや旅館」も経営していて、お盆の墓掃除もやることなど、スキー時期が終わっても働くならという条件で泊めさせてもらえることになった。
朝食や布団上げなどの午前仕事を終え、スキーをし、夕方から夕飯の片づけまでという毎日。
8月は登山客。白装束で歩く人もいる山なのだ。
知り合いになったレスラーのような身体の山岳パトロール員の、名前は忘れた彼に「スキーがしたいなら場所をここだ」と教えてもらった、山頂を越えて30分以上歩いた万年雪で滑ることにした。インナーブーツを肩に下げストックを突いて山を駆け上り、駆け下りた。
今思い出すとよくやったなと、20歳の自分に感心する。

寝床だった布団部屋に置いた2段ベッド上段で初めて霊体験。夜中“おばあさんが僕のお腹の上に座ってどいてくれない”ということが確かにあった。
アルバイトに来ていた地元女子高生の、ある打ち明け話を聞いた僕とアライが、その話が原因で殴り合いの喧嘩をしたこと。
宿の若奥さんには幼稚園ぐらいの元気の良い男の子と、もっと小さい妹がいて、よく妹のことをおんぶして食器洗いなどをしたこと。

あれから、月山に行ったことがない。
そして先月。
宿を予約しようとネット検索したら「つたや山荘」も「つたや旅館」も見つからなかった。
ところが地図で記憶の地点を調べたら「変若水(おちみず)の湯つたや」という旅館はあった。
もしかしたら経営が変わってしまったのかもしれないとも思いながら、ネット予約ではなく、予約の電話を入れたのだった。
(つづく)


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