北方領土問題に関する私見(2、3年前のフェイスブック投稿より)

本件について、共産党の志位委員長は

『「2島先行返還」はありうることだが、その場合は中間的な友好条約で処理し、平和条約は領土問題の最終解決の段階で締結すべきだ。「2島で平和条約」は絶対やってはならない。戦後処理の不公正にメスを入れ、全千島列島返還を内容とする平和条約を締結すべきだ。』

と語っている。

何とも夢物語のようであるが、〝建前〟上はこの「全千島列島返還」こそ正論であると考えるものであり、そもそも「4島返還」時点で、ロシアによる完全なる実効支配進み(ロシア人島民が貧困にあえいでいた30年近く前[=冷戦終結~エリツィン時代の東京宣言・・・の気運]ならいざ知らず)、地政学上の軍事拠点と化した現状では「原則論」=建前以外の何ものでもないだろう。

その上での私のリツイート意見であるが・・・

『〝理想〟ではある。現実は・・・「帰属」と「統治権」を分けて着地点を探るのも一案だろう。

先のリツイートにあるように(それが全て真実とは思わないが)、対米従属が一番の障壁であることは間違いないだろう。』

上記の「統治権」とは、最近発されている関係者の表現に従えば「主権」に同じである。これに対してとある方(以下A氏とする)の反論がなされたので、以降一連やりとりをば・・・(^^;)

A『戦争終了後に国境を確定するのに、「固有の領土」という言語を使った条約はない。政府は欺瞞に満ちた世論誘導をしてきた。「ポツダム宣言」に本四九北の4島以外の領土帰属は戦勝国の判断に従うとの条文あり。その条文を含め受諾し、降伏した。憲法もサンフランシスコ講和条約もその条文は生きている。』

私『件の条約とは国際法上永久に効力をもつものなのか?(失効=戦争状態とみなされる?)2012年、中国国際問題研究所副所長は「日本の領土は北海道、本州、四国、九州4島に限られており、北方領土、竹島、尖閣諸島にくわえて沖縄も放棄すべきだ」と公式に演説した。戦勝国に盲従せざるを得ない状況で結んだ条約でも、国際法上永久に遵守しなければならないものならば、この論は「正論」ということになる。

一方、カイロ宣言やポツダム宣言に明記された、第2次世界大戦の戦後処理における「領土不拡大」の原則とは)“戦争に勝った国も領土を拡大しない”というのが大原則との論もあり、いわゆる「固有の領土」とは近代国家において平和裏に定められた国境に基づく概念とみなすべきであろう。

確かにロシアはこの論理は通用せず、「第二次世界大戦の結果」と言われれば、件の条約に基づけばそれが正しいし、中国に至っては(中華人民共和国ではない=別の国家である)2000年前の帝国による支配の歴史(その根拠すら疑わしいが)を持ち出して尖閣の領有権を主張しているわけで・・・要は、領土問題とは古今東西普遍的な基準でもってジャッジすることなど不可能(だから時には戦争になる)なわけで、近代以降の歴史を尊重しつつ現実主義で落としどころを探るしかないものと考える次第である。』

A『戦勝国に盲従せざるを得ない状況という条件をマイナスに捉えれば、現憲法もその状況で占領下憲法になる。憲法改正論者の持論である。あの戦争をどのように総括するかによってその後の姿勢が決まる。』

私『「占領下憲法」という一面は間違っていないし敗戦がなければ帝国憲法が持続したかもしれないのも事実だが、明治の「五日市憲法」草案や自由民権運動、その後の大正デモクラシー…日本国憲法の理念を受け容れる素地があり現に多くの人がその理念を慈しみ護ってきた戦後史は外ならぬ日本国民の選択だろう。

ちなみに、GHQによる日本国憲法第25条案には『健康で文化的な最低限度の生活』という文言は無く、この趣旨を改正草案として初めて盛り込んだのは、戦後すぐに立ち上がった民間団体「憲法研究会」だったというし、9条に「戦争放棄」条項を盛り込むよう提案したのは幣原喜重郎と言われている。』

A『日本国民の選択だと良いのだが、国家総動員法で、戦争体制作りに最高の効率的国家。それはまるで蟻や蜂のような高度に分業洗脳された体験は横へ並べ精神、町内会での自主防災組織などどんどん総動員時代の精神心理に戻っているように感じる。維新政府がやったように今、公教育現場が洗脳機関に。恐怖。』

私(ここからA氏に返信)『昨今の風潮ですね。同意します。

「総動員」的風土は戦後も一貫して学校教育や多くの企業経営の場で生き続けてきたわけで、おそらくはほぼすべての日本人の精神に同調圧力として作用してると思う。』

A(私の「ちなみに~」リツイートを受けて)『25条を含む「基本的人権の尊重」はポツダム宣言第10条末尾の「基本的人権の尊重は確立せらるべし」に寄るところが大きいと思う。9条は一億総懺悔と言って自殺した近衛文麿に似た感覚で、毎日の空爆、原爆で疲れ切った心情を指導層の責任回避の策として彼が言った可能性があると思う。責任放棄。』

私(返信)『内情はどうあれ、普遍的な究極の価値観であり、〝押し付け〟だろうとなかろうと、理念としては捨ててはならない…多くの日本人がそう認識していると信じます。』

以上であるが、A氏の言うサンフランシスコ講和条約の有効性はもちろん、そもそも戦後体制の基礎となったヤルタ会談(「United Nations」は日本では「国際連合」とされ、現代の国際社会における平和と秩序の要のように思われているが、そもそも第二次大戦中の連合国が母体となった機関で、名称も直訳すれば「連合国」そのものであり、戦勝国であった五大国を拒否権を持つ安全保障理事会常任理事国としている一方で、「敗戦国」日本に対する敵国条項が持続しているわけで・・・上記の拒否権の付与をはじめ設立に向けた大枠が定まった。=ヤルタ体制)において、樺太(サハリン)南部をソ連に返還すること、千島列島をソ連に引き渡すこと、満州国の港湾と南満州鉄道における、ソ連の権益を確保することなどを条件に、ドイツ降伏後2ヶ月または3ヶ月を経て、ソ連が対日参戦する密約がなされたわけで、当のロシアはもちろん、数多くの国々が「United Nationsの権威」と同等に、4島を含む「千島列島がロシア領である」根拠としてヤルタ体制を挙げるのは無理もないことかもしれない。

つまるところ、多くの日本人が〝世界市民の良心〟と信じる国連を拠り所とする国際秩序の本来の(戦勝国の論理に根ざした)姿に対して(沖縄返還も米国の〝温情〟などではなく、政治的な思惑のもとに密約を介してなされ、今の諸問題に至るとされる)、戦後70年余りを経て〝世界市民の良心〟の多くが国連を地盤に成熟してきたのも事実であろう(ここ数年、〝揺り戻し〟が激しいが…)。ツイッターで「条約が国際法上、云々」と申し上げたが、そもそも〝国際法〟とは条約と(不文の)慣習国際法、法の一般原則(=「文明諸国が認めた」 共通の国内法原則)であり、その条約についても定義がいろいろ。

・・・ならば、(日露二国間のみならず)〝世界市民の良心〟に訴えて、「領土不拡大」の原則に合致した「近代国家において平和裏に定められた国境」をあくまで「原則論」として主張することを重視すべきではなかろうか(コメントに転記するが、ツイッターで「先のリツイート~」としているとおり、間違っても米国に泣きつくことではない)。

この「原則論」について、4島を〝固有の領土〟とするのは、江戸末期の日露和親条約に基づくものとされているが、この時点では樺太(サハリン)の帰属が決められず、要は、事実上(どの国でもない)アイヌの居住地に過ぎなかった千島列島、樺太において、日露両国がどの程度〝実効支配〟できていたかによる線引きであり(その点で北海道[当時の蝦夷地]は〝実効支配〟が確立できていたのだろう=そもそも近代国家ではない江戸幕府の〝幕藩体制〟において、「日本国の国権」に基づく明確な「国境」という概念はなく、「日の本」とは幕府による直轄地及び各藩領の〝実効支配の集合体〟であったものと思われる。)、となると、一応同一の天皇制が持続していたとはいえ同一の「国家」とは言い難い江戸幕府と明治維新以降の政府では、後者が結んだ条約のほうを正当とみなすべきであろう(しかも江戸期の和親条約は、国際法を理解しない時点で結んだ不平等な安政五カ国条約[修好通商条約]より前のもの。一方、明治政府における「日本国の国権」上、その北限確定に関する権限は、榎本武揚のいわゆる〝蝦夷共和国〟を[主権国家と認めるか否かは別として]〝滅ぼした〟[解体させた]ことによって名実ともに確定したものといえよう。)。

A氏が言うように、「固有の領土」という言語を使った条約などない=世界史上、「国家」について、特定の民族が普遍的に特定の地域に安住し、その民族のみによって持続することが保障される、という概念などあり得ないわけで(仮にあり得ても大和朝廷以来の〝国体〟としての「日本」が〝アイヌの居住地〟についてその概念を主張するのは困難だろう)、「固有」がロシア語その他外国語でどう訳され、どのように認識されているのか・・・気になるところではあるが、少なくとも明確な論拠として「近代国家において平和裏に定められた国境」を示すほうが〝世界市民の良心〟に対して説得力を持ちうるのではなかろうか。かつては日本側に「4島は北海道の一部で千島列島ではない」などという詭弁でもって大まじめに返還論が語られたが(サンフランシスコ講和条約の有効性に縛られてのことだろうが、無論[繰り返しになるが]この論理では沖縄も小笠原諸島も、解釈次第では伊豆諸島その他近隣の島々も放棄の対象とみなされかねない[事実、1946年、一時的に日本の施政権が停止されたらしい]。)、「原則論」には明解かつ強固な理論武装が必要なのである。

なお、ここで初めてロシア側の出方について考察するが、彼等の理屈は極めてシンプル。戦勝国の密約だろうが何だろうが「ヤルタ体制」の論理が彼等の正義であり、当時のソ連が認めなかった「サンフランシスコ講和条約」さえ千島列島についての日本の領有権を認めていないわけだから、4島を含めた全千島の領有について彼等の自らの〝正当性〟についての認識は一点の曇りもないだろう。従って、歯舞・色丹の2島であっても主権(統治権・施政権)については手放す気はさらさらないだろうし、万に一つ主権を含めた返還に(割譲として)応じるとしても「米軍基地を置かない」という確約を得ることが条件で、日本側は日米地位協定における「全土基地方式」の見直しを迫られる(個人的にはこれこそチャンスだが…米側に圧力如何ばかりか…)。いずれにせよ主権に関しては間違いなく2島返還(←日本側の呼称として)までで幕引きとなり、そうなれば日本側としては「平和条約締結」に踏み切れない(この点でロシア側としては「平和条約締結」→2島の主権引き渡し→領土問題終結が最大の譲歩だろうから平行線となるはず)。

「主権」にこだわるならメンツを捨てて、決死の覚悟で米国に抗して2島返還→領土問題終結を〝勝ち取る〟ことを目指すのもいいだろう(ただし、国際的には日本の〝主権回復〟などではなくロシアの〝温情〟の結果と評されるだろうが・・・)。ちなみに、こうした想定されるロシアの対応は、合理主義的な駆け引きであって、おそらく彼等の価値観に「原則論」はない。そもそもロシア連邦は(4島の帰属問題に言及したエリツィンの東京宣言を除くかつての各条約、協定に関係した)「ソ連」でもなければ「帝政ロシア」でもない。「原則論」に則れば、クリル諸島(千島)、サハリンはおろかクリミアも、シベリアさえも彼の国(22の共和国で構成され1つの「国」とは呼ばないらしい・・・この点からしても)〝固有の領土〟などではないのである。

それよりも、主権の有無にこだわらず(ロシアの統治、ロシア軍の駐留・・・すべて現状維持を認める代わりに)千島列島の帰属を認めさせる(期限定めない「租借」でも…落としどころの名目はなんでもよい)。ここで最終的に妥協して4島の帰属としてもよい(高い条件の「原則」主張は、駆け引きのカードになり得る)。この結果として、EU並みの(名目上「海外」ではなくなるので語弊があるが)〝渡航〟の自由と活発な経済協力が実現すれば、旧島民の自由な里帰りと墓参も可能となり、両国の人的交流、観光開発も進んでウィンウィンの関係が築けるのではないだろうか。

繰り返すが、強かなロシア連邦政府(ましてさらに強権的なプーチン)にいくら歴史の「正当性」を説いたところで、向こうは歴史の「事実と結果」こそ正義なのだから、どこまで行っても平行線である(初めに「30年近く前なら~」と述べたが、それも決して「正当性」への理解ではなかったはずである)。歴史の「正当性」=「原則論」をもって国際社会を味方につけ(←前提として米国との関係性も見直しを迫られるだろうが)、ロシアが一切損しないカタチで落としどころを探る・・・それしかない、そう確信する次第である。

 

 

以前も似た投稿をしているが、他の方の

「沖縄を日本がアメリカから買った様に 北方領土を日本に買って欲しいんでしょ

日本は『絶対買わない』とは 言えないから・・・」

という 投稿にコメントしたので転記させていただく(その方の「買う」とは何らかの権益を提供する[=見返りを与える]ことと解した)。

『ロシアの国内向け事情として、建前上「返還」ではないこと、現島民の居住とロシア国民としての自治権を保証することで、事実上「引き渡し」とはならないこと…この二点が担保されれば展望が開けるかも…と。

我が国としても、「返せ」という言い方はもはや逆効果で、歴史の検証、ポツダム宣言受諾後の「力による現状変更」の国際法的正当性(第二次大戦後に〝賠償〟としての領土割譲は許容されるべきか)の評価という見地から、二国間ではなく国際社会全体に向けて発信、主張していくことが必要と考えます。

そのためには、「原理上」本来の領土の帰属は、平和裡に締結された千島樺太交換条約に基づき、全千島列島が「日本領」である、と主張したうえで、うち、江戸時代からの実効支配地である四島を〝買う〟⇨投資と援助を前提に四島(ロシア島民行政府)と本土はEU的な提携関係を構築する、という選択肢は非常に現実的ではないでしょうか。』



コメント転記

『30年前の千載一遇の機会をみすみす逃したのが悔やまれます(対中も然り)。

まずは米国追従路線を脱して自主外交、自主防衛の道筋を確立してからでないと何事も始まりませんね。ロシア側から見れば、自分たちは北の離島、アメリカさんは地政学的なアジアの要たる沖縄と日本の首都の空を手にしている。どっちが余計に儲かってるか、って話ですよね。

2島返還とかって、なし崩し的にそれで手打ちにされるのがオチ。本来ならば千島樺太交換条約に立ち返って全千島列島の返還を主張するべきで、その上で、江戸以前に事実上日本(幕府)の施政権下にあった4島(「固有」などという論理は彼等には理解できないはずなので…それを言ったら彼等はシベリアも放棄せざるを得なくなるので)の帰属のみ認めさせ(施政権はそのまま)、両国の国境を開放して共に生活、経済活動を行う〝自由都市〟的な地域に…というのが、我が国的にはいわゆる「引き分け」に値するか、と思います。もちろん、その際に4島にはロシア軍駐留を認めなければ、在日米軍とのバランスがとれません。

なお、その前段階として、飴として根室を特区指定、大規模な都市開発と国際化(門戸開放)で、北方領土のロシア市民が頻繁に訪れ、自由と豊かさを享受する。鞭としてイージスアショアを計画どおりに配備、その他日本海沿岸にミサイル防衛網を整備し(自衛隊の増強ではなく、独立行政法人を設立、文民によって運営[基地警備のみ自衛隊]する、というのが持論です)、空母戦力の充実に加えてミサイル原潜を数隻建造…以上にて大陸向けの敵基地攻撃能力の確立というのが急務だと考えています。

拙案、失礼しました(^_^;)』


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