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はじめてのアメリカ・ロサンゼルス

はじめてのアメリカで撮った写真はレンズが汚れていたせいか、
どれもぼやけていた。
ここはルート66の最終地点、
サンタモニカ。
広い空と広い海、白い砂浜。

砂浜の方へ行くと汗だくになりながら
スーツを着たアジア人が木陰で休んでいたり、
ドラマに出てくるようなサーファーガールやサーファーボーイが
サーフボードを持って歩いていた。
野外のジムでは屈強な男たちが炎天下の中、上半身を裸にして、
体を鍛え、小麦色に肌が焼け、筋肉で張りつめて美しい皮膚の上には
きらきら汗が光った。

信じられないくらい広い砂浜、
海にたどり着くためには
かなり歩いていかなければならない。
その昔、
ジム・モリソン(60年代アメリカのロックバンド「ドアーズ」のボーカリスト)が学生の頃にキーボード担当者のレイ・マンザレックに歌って聞かせたという曲ムーンライト・ドライブは、サンタモニカにある砂浜ここベニスビーチで歌われたらしい。
60年前、確かにここでドアーズが結成され、ジム・モリソンは実在していたのだ。

カラカラした空気の中を少し冷えた風が通り過ぎていく。

夜、ドアーズやほか有名バンドが人気爆発前に出演していたというハリウッドにあるウィスキー・ア・ゴーゴーというライブハウスに行くと、
博物館のように静まり返り、冷たくなっていた。

2階席に行き、バンドの演奏が始まったのでぼんやりビールを飲んで聞いていると長身の女性が僕のところにやってきて
一緒に踊りませんか?
と言ってきた。
その女性は僕が入場チケットを買っていたときに後ろに並んでいた人だった。
フィアンセらしい男性やご家族が一緒だったのを僕は覚えていたので彼女と踊って良いものかわからなかったが、
結局、踊った。
その女性は時々、困ったなという表情をしながら、「ねえ、私と踊りたいんでしょう?楽しいの?」と呟いていた。

彼女は200センチくらいの身長があった。
ヒールを履いていたせいかもしれなかった。
僕は誘われているのにまるで僕が誘っているような気がしていたし、
僕は彼女のことを昔から知っていたような気もしていた。
3曲ほど踊ると彼女はもう行かないといけないと言い、
僕から離れていく。
彼女の手は冷たかった。
顔には多くのそばかすがあった。
顔立ちは素敵で、
LAが舞台のドラマに出てきそうな人だった。

出てくるバンドは僕の好きな60年代のロックの熱さは欠片もなく、
匂いや痕跡すらもない。
本当にこのステージでジム・モリソンは60年前、歌ったのだろうか。
こんなに小さな空間で、もし僕がその夜、曲を聴いていたなら、
きっと、一晩中、興奮して寝れずにいただろう。

ライブハウスから出ると、
道路は大きく
空は大きく
どこまでも広がる無垢な夜空、
昔、ジム・モリソンも見ていたであろうロサンゼルスの夜空があった。
と思っても実感は沸かない。
僕が本や音楽、映画を通して夢見ていたアメリカは、
僕の心の中にしかなかったのだろうか。
あのロックの熱いビートは、聴こえない。

だけどアメリカは、
アメリカとして普通に、ここにあるだけだ、
僕の想いとは関係なく、
そう思ってみた。

ホテルまで帰るため、
携帯電話でウーバーを呼んだ。
そのウーバーの運転手は、
情緒不安定そうで睡眠不足気味の女性だった。
常に何かにおびえているようだった、
そして、
陽気になったかと思えばブツブツ呟き始めたり、
飴を差し出してくれたり、落ち着かない。
ちょうどジム・ジャームッシュの映画に出てくるような女性だと思った。
スピードは100キロを超え、
猛スピードでハリウッドをくだってダウンタウンへ向かっていく。
ロサンゼルスの夜は静かで暗い。僕はドキドキしながら、
猛スピードで突っ走るタクシーに、初めて僕の知っていたアメリカを見ていた。

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