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じゃない方ゲー人による、平成ゲーム業界回顧録 #10

アシスタントの現場でプロとしての技術や心構えを体感していると、スクールの学生達がのんびりと授業を受けている姿勢が目に付くようになった。

いや、実際は真面目に授業を受けている生徒が大半なのだが、卒業までのペースで考えると受け身に感じられる生徒が多く、美大の予備校時代と比べると「自ら望んで魔の巣窟に飛び込んできました」といったギラギラした熱量に乏しく、何となく物寂しい思いに駆られていた。

そんな中、企画には熱い男、K太君とはその後もゲーム談義を交わしていたが、他にも1人で勝手に3DダンジョンRPGを作り始めたり、アニメーションの課題で皆が3~4枚の絵で動きを付けている中、10枚以上の絵を描いて無駄に滑らかなアニメーションを作る奴など、特定ジャンルで才能を発揮していた生徒たちと交流しながらゲーム制作のモチベーションを維持していた。

また、スクールでは通常の授業とは別に臨時講師として外部の人を読んで、特別授業を行うこともあった。

僕が入学していた時には、日本ファルコムの名作RPG「イース」のサウンドを手掛けたK代さんや、ナムコのアーケードゲーム「源平討魔伝」などの企画・サウンドを手掛けたN潟さんなどが講演に来てくれた。

K代さんからは、当時のパソコンに多く搭載されていたFM音源に対する熱い思いを、N潟さんからは名作「ゼビウス」のゲームデザイナーE藤さんから「こんなの売れると思ってんの~?」とネチネチ嫌味を言われながら、怒りをエンジンに変えて担当ゲームを作り上げたといった意外な裏話など、いろいろと興味深い話を聞かせてくれた。

K代さんは、僕がプログラム投稿をしていた「マイコンBASICマガジン」でゲーム音楽の連載を持っていてなじみがあったし、ナムコにしても当時提供していたラジオ番組をCMや新作情報目当てで聴いていたくらいだったので、そんな自身のヒーローともいえるクリエイター達の話を聴けたことは、自身の将来に向けてまた一つ焦点が定まったように感じていた。

── 夏休み直前、スクールからこれまでの授業と趣の異なる、一つの課題が出された。
それは、休みの期間中に「自分が作りたいゲームの企画を一つ考えて提出する」こと。

さらに、優秀な企画はスクールの卒業制作として他の生徒とともに商品化を目指す「学生プロジェクト」の参加と、希望によりスクール本体のゲーム会社への入社も確約されるという特典もアナウンスされた。

課題の参加は任意で、専科も問わない内容だったが、プランナー志望の自分が参加しない手はないし、単純に自分の企画がどのように評価されるのかにも興味があった。

夏休みに入り、コミケの準備に気を向けて”まだ本気を出していないだけ”と課題の参加を躊躇する生徒が多い中、僕はアシスタントの仕事と並行して、休みの期間を目いっぱい使い、規模やスピード感といった自作のプログラムでは実現できなかった制限を外してアイデアを膨らませ、思いつくままのゲーム企画をノートに書き広げていった。

#創作大賞2023

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