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Tomopiiaナースのひとりごと『傾聴』とはなにか~心の声に耳を傾けて~

私が腎臓内科に勤めていた時の出来事です。
山田さん(仮名)は60代の女性、糖尿病性腎症で入院して来られました。

入院時の山田さんは腎不全が進行し、全身の浮腫と尿毒症(腎不全の末期で老廃物が排せつできないことで老廃物が身体に残ってしまう状態)による吐き気、食欲不振がある上に、数年前に糖尿病性網膜症で両眼とも失明していたため、一人で歩くこともままならない状況でした。ご自身の腎臓はほとんど機能しておらず、早々に人工透析をしなければ命にかかわる状況であることはすぐにわかりました。

主治医が、一緒に付き添われていた親戚と山田さんご本人に、透析の必要性を説明しましたが、親戚の方は透析なんてとんでもないといった様子で、『この子は目が見えなくなった時も本当につらい辛いと毎日言っていて、これ以上つらい治療をするのはかわいそうだからやめてください』と言いました。

そして、ご本人も『これ以上生きていても仕方がない、生き地獄だから、透析なんて絶対に嫌』と言います。

その後も、何度も医師や看護師が透析の必要性や、このまま何もしなければ死んでしまうことを話しましたが、山田さんは頑なに拒否し続けました。

ある日、山田さんの今後についてカンファレンスを行いました。カンファレンスでは、看護師と医師、理学療法士など、その患者さんにかかわるスタッフで、治療方針や退院後の生活などについて話し合う機会です。

『いつも早く死にたいと言っている』
『目が見えなくなったことで絶望的になったと言っていた』
『透析はやらないと言っていた』
『ご本人の同意が無ければ透析は出来ないのだから仕方がない』
『透析を受けない権利もある』

看護師の口からは、透析を拒否しているという、山田さんの日々の言葉が次々と出てきました。主治医も、本人が拒絶しているなら仕方が無いかといった様子でした。
カンファレンスでは透析はやらず、今の症状に対して出来るだけ緩和をはかるという方向で話がまとまりかけていました。私は『本当にそれでいいのか』と思いながら、看護師たちの話を聴いていた時、カンファレンスに参加していた新人看護師の意見も聞いてみたくなりました。

『Aさんはどう思う?山田さんのこと受け持ったことあるよね、やっぱり透析は難しいかな?』

すると新人看護師のAは少し困ったような顔をして、『山田さん・・本当に死にたいと思っているんでしょうか?』と言い、続けて、『この間も“私お刺身が大好きなのよ、大間のマグロ食べたいな”って言っていて、死にたいって思っているのに、お刺身食べたいなんて話すかなぁと思ったんです』。

新人看護師が時々こんなミラクル発言をするので、私はついついカンファレンスで新人に話をふってしまうのですが、この言葉で看護師たちの意見が一気に変わりました。

『尿毒症で食欲もないから、透析したら食欲が戻ることをもっと説明しよう』、『通院ヘルパーもつけられるから通院は目が見えなくても出来るし外出の機会にもなるからと話してみようか』など、先ほどまでの、透析導入は無理といっていたのがうそのようでした。

再び、看護師たちの山田さんへの説得が始まりました。

『カテーテルをいれて、お試しでもいいからやってみましょう、どうしても嫌だったら、もう一回考えましょう』という言葉にしぶしぶ応じ、数日後、カテーテルを入れて透析に向かう山田さん。回数を重ねるごとに浮腫は軽減し尿毒症も改善していきました。

『思っていたのとは全然違ったわ、早くやってもらえば良かった。もっと辛いものだと思っていたのよ』と笑顔で話す山田さんに、新人看護師が言っていたことを伝えました。

すると山田さんは、『私はね、本当に死んでしまった方が良いと思っていたのよ、でも死にたいのにお刺身食べたいなんて話すのは変よね(笑)やっぱり生きたかったのかしら?看護師さんが気づいてくれなかったら、こんなに楽になることも知らず、お刺身も食べられないまま死んでいたのかもしれないのね』と言いました。

新人看護師のAさんは患者さん本人も気づかない、心の声に耳を傾けたのだと思います。患者さんには言葉として発せられない思いがあること、『傾聴する』という意味について改めて考えさせられる出来事でした。

山田さんは今も元気に透析に通っています。


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