見出し画像

枝葉が揺れるのは、強くて太い幹があるからだ

今日から新学期!

「新しいクラスちょっと楽しみ〜」と言いながら出かけていく娘を、頼もしく思いながら送り出しました。

本人が心地よいのであれば、それが一番だ。その人にとって、何が幸せなのかということを、いくら家族といえども他者が決めつけることは、やっぱりできない。

春先はいつも心がブレブレに揺れますが、今年は旅行に行ったり、新しいことやってみたりと、うまく自分の心と距離をとりつつ向き合いつつ、乗りこなせた感じがあります。

不安は消えるものでもないですし、消す必要があるわけでもない。不安とどうお付き合いしていくかということを、日々の出来事が教えてくれているような気がします。

先日、最近お気に入りの近所の神社で榎の大樹を眺めておりましたら、ふと思い出したことがありました。

ちょうどその日は風の強い日で、はるか遠くに空に向かって伸びる枝葉が、強風に煽られゆらゆらと時折バサバサと揺れている。見上げていると、なんだか不穏な気持ちが押し寄せました。

けれども、か細い枝葉が風に抵抗することなく、ぶんぶんと揺さぶられているのを心もとなく思う一方で、

眼前にあるのは、ただ黙って風をうけ、みじんも揺れ動かない大樹の幹なのでした。太くて丈夫な強い幹は、そこだけ時間が止まっているような存在感でただある。


”枝葉が揺れることができるのは、太くて丈夫な幹があるからだ”


いつかどこかで(確か有名なシスターの本?)心に残ったこの趣旨の言葉のことを思い出しました。

枝葉が揺れるのは、しっかりと育った幹があるから。
幹がなければ、枝葉が伸びることも、揺れることもありません。
また、丈夫でしっかりした幹が育つのは、枝葉があるからです。
しなやかに太陽に向かって伸びる枝葉がなければ、幹はただ、そこで倒れてしまう。

(※私の解釈です。どこかで読んだこのような趣旨の言葉が、同じような解釈であったかどうか、、はて)

そして人もきっと、同じですね。

不安になったり、こわくなったり、ブルブル震えることをついつい責めがちですが、そういう状態になれるということは、揺れ動かない自分もいるからです。

そんな自分、見たことない、と思うかもしれないけれど、そんな自分がいることを「知って」いるから、揺れている自分を感じることができるとも言える。

自分が在るからこそ、揺れることができる。
揺れるからこそ、自分が存在している。

バッサバッサと揺れる自分は怖いが、そんな時は、大樹を思い出してみるのがいい、と思いました。

がっしりと地球に根を張る自分がいるから、今私は揺れることができるのだ、と。そうすると、あれですね、不安も恐怖も、みんな「お陰様」って感じがしてきますね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?