人は本当に変われるのか?_「658km, 陽子の旅」鑑賞
いやあ、また名作に出会いました。素晴らしい、旅の追体験でした。
この映画、すばらしく単調です。もちろん、いい意味で、です。
父の死をきっかけに、ヒッチハイクを通じて、陽子という人間が体験したこと。見てきた人、現象。
人って、そんな美しいものじゃないよね、という諦めと、だけど、自分で選ぶことはできるよなっていう、
なんというか、人間社会をいきる自分が、スクリーンから跳ね返って見せられているような気持ちになりました。
40代の女性、という同世代が主人公ですから、共感しやすかったのもあるかもしれません。
冒頭から映し出される陽子のダメさが、すごく刺さりました。わかるよわかる、こういうだらしなさが、私にもある、と。
(以下、鑑賞前にあまり情報を入れたくない方はネタバレ注意で。)
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だからこそ、私は最後まで旅の追体験ができたと思います。
その意味では、この映画はとても、出来事も情報量もたくさんあるのに、変化が少なく、とても淡々として曖昧です。
現実と虚構の境界線がはっきりせず、だけどそれが陽子の捉えている世界そのまんまになっています。
これ、もう少し若い世代がみるとどうなんだろう? もしかしたら、中年女性のつまんない人生のひとときを見せられてるけ、みたいに思うんだろうか? と思いました。
少なくとも私には、陽子が、人や社会を避けて、怖がって生きている感覚がよくわかります。世代的なものもありますね。
だからなのか、見終わった時に感じたのは、よかったね、とか、達成感、といった前向きなものともぜんぜん違うものでした。ハッピーエンドであるような、そうでもないような、一体これはなんなのか? また別の入り口(迷路?)に入っていくような感覚です。
たとえばそれは、
旅をすれば、人生が変わる?
それがヒッチハイクだったら、もっと劇的に?
そんな問いとも同じだったかもしれません。
人がやりそうもないことには、過剰な幻想を抱いて、「すごい!」「やっぱちがうよね」「ドラマチック!!」などと思いがちですが、
だからって、人は変われるのか?
永遠に、私は、わたしの内側と会話しているだけではないのか?
なんだか、そういう途方もなさも襲ってきました。
私には、父の死をきっかけにヒッチハイクすることになった、そのドラマから、
だから陽子が変わるとも、変わらないとも思えなかったことが、この映画を見終わった後の最大の収穫であるように感じました。
そして、そこにこそ、希望があると思ったのです。
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私たちは、きっとまた、コミュ障になる。社会から隠れてくらしてもいい。人の陰口を叩いたり、誰のなんの役に立っていなくても、生きていける。
一つ一つの出会いは劇的だし、感情的にもひきこもごも、いろいろあったはずなのに、そこは描かれていない、ただひたすら陽子の内面が映し出されたような映像が、この映画の最大の魅力です。
ダメの極みみたいな40代中年女性が、そんな自分を引き連れて、いいことも悪いことも、全部味わっている。
だからこそ、陽子が絞り出すような声で、訛りのある言葉を紡いでいくあの独白を、
私も、陽子を乗せた陽子にとっては<知らない誰か>となって、深く耳を傾けることができたと思っています。
全てを肯定する、というのは、いいことばかりを見るのとも違う。いいことも悪いことも損得も善意も全部認めきった瞬間、陽子のダメさでなければこうはならなかったというこの物語に、涙が止まりませんでした。
まだ間に合うなら、ぜひ劇場で見てほしいです。