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はじまりの合図を、離島の海の端で聞いた【沖縄県・渡嘉敷島】

飛行機の窓の向こう。遠くの空と海の境に、愛しい島が見えた。青い空、青い海。この深さ、知っている。肩の力がふっと抜けて、少しだけ軽くなった気がした。

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ヨガをするときは、まず目を閉じて、呼吸を整え、それから身体を伸ばしていく。そして、すかさずインストラクターは言うのだ。「できたら、奥歯の噛み締めを、ゆっくりとほどいて」。

言われるまで、奥歯に力が入っていたことに気づいてすらいなくて、それに驚いたことがある。沖縄が見えた時、それに少し似ている気持ちがした。無意識のあいだで、私は身体中や思考回路に、きっとちょっぴりだけ力が入っていた。

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世界や日本をたくさん旅をしたけど、結局つまるところ、私にとって沖縄は、なぜだか知らないが、本当に特別であるようだ。

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底抜けに明るい、日差し。「生きることが楽しい」と笑うように育つ、鮮やかな植物たち。四方からやってきては頬をなぜる海風に、身軽でいられるワンピース、サンダル、カラフル。

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小さいけれど、こだわりを持つ店々、発見していく楽しみ、私のことをそんなに誰も、気にしていない雰囲気。とても美しいけれど、殊更に誰かにシェアせねば、とどうしてだか思わせない、毎日の朝焼けに、夕焼け。

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とにかくすべてのかけらに、「肌に合う」感じがある。私にとって、息をするだけで、幸せになれる場所。歩くだけで、幸せが増えていく。今日も海風に、ハイビスカスが静かに揺れる。

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コロナ前後で、私はほんとうに困っていた。私が見つからなくて、誰かに助けてほしくて。心も多分、多少は疲れてしまっていた。数年間「わからなくて」。それについては、またいつか話せたらと思うけれど、まだ向き合う勇気はないから、そっとしておく。やっと、立ち上がれそうなのだから。

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あぁけど、とにかく。沖縄に越す、越さない前後、沖縄で呼吸をした時間、そしてそれをすべての季節を通して経験した今とで、私が得たものは数え切れないくらいほど……ではないけれど、たしかにこの両手で数えられるほどには在った。

有体にいえば、「帰る場所」を見つけた。日本、沖縄、読谷村、那覇、名護、そして彼。東京で暮らすことを、ずうっと前からひとり決めていた、これはおそらく「愛しているひと」と言っていい。そこに現れた、にひきの愛すべきねこたちよ。

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気持ちと身体が還ることのできる「居場所」を、私自身が胸を張って「私が選んだ」と言えて、定められることを、私は心の隅の方で、なんだかこの5〜6年、ずうっと求めていたように想う。

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「あなたらしくないね」と、この7〜8年くらいを知っている友人たちは言った。けれど、今ならわかる気がしているの。「あなたたちが知っている私が、もしかしたら私ではなかったのかもしれない」と。もっと正確にいえば、30代半ばを過ぎそうな私が、目指したいものが、そこにはもう、なかったのだろうね、と。

変わりたい。

何度もなんども、もう一度歩き出そうとして、走りたくなって、けれどやっぱり「走れない」と、青い海と空と、変わる色を見た。そして眠って、ひとり南国で起きた。時折、君に逢いたくなった。

どこか遠くへ行ったら変わるんじゃないかな、なんて。たしかにたくさんのことは変わっていったけれど、「ゴールを定められなければ、どこへも進めない」。動いていることと、「向かっていること」は違うらしくて。

旅と、写真と、文章と、私。そこに、暮らしと、あなたと、猫と、東京と、沖縄という夏が加わり。やっと、また風が吹き始めた。そして、指がまた動き始める。心もまた、美しいものを、そのカメラをもって捉えたいと、この旅の離島の端で、言い始めた音がした。

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知らない景色が、まだ見たい。それは遠くに在るもので、なくてもきっと大丈夫。近くに在る、けれどまだ形のないもの。それが、私をいつか遠くへ連れて行く。その時、新しい景色が私の人生に現れる。これからは、そういう10年間を過ごしていきたいと、そろそろ認められたのだ。

慶良間の海に夕日が沈むとき、水平線の手前で、クジラが飛んだ。大きな水飛沫。その道でいいと思うよ、と聞こえる。

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