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カラダは、旅先に心を置いて帰ってしまう。#モロッコ10days の夢の跡【カタール・ドーハ→日本・成田】

朝起きたら、一瞬ここがどこか、分からなかった。否、まだ私は、モロッコにいるのかと思った。

こういうことは、家をなくしていた時期によくあった。

旅を、続けて、つづけて。3晩と同じ屋根の下で眠ることがなかった季節。長くても、同じ宿には7晩。それ以後はずっと動いて、街を変えて、国を変えて、言語も文化も変えて。そんな時期を、約2年過ごしたことがある。2016年4月から2018年2月まで。

ごく最近のことだ。

だけどあれとは少し違う。あの頃は、最終的には「起きてすぐに、どこの国にいるのか分からなくなっていた」。チェコだと思ったらデンマークだったし、オーストラリアだと思ったらニュージーランドだった。

けれど今朝は、「モロッコかな」と指名で思った。

朝5時に流れるコーランの歌声ではなく、同居人がごそごそと洋服を探す音。「おはよう」と言って「モロッコ?」と思って、違って。ここは、私が今住んでいる、やっと「住みたい」と思えた人たちとの、家。であり街。

一瞬、モロッコがすべて、夢だったのかと思った。

けれど、目の前に広げられた、おみやげの山を見て。

昨日までは移動続きだったから、どんなに夜疲れていても、必ずMacbookや、iPhone、モバイルバッテリー、カメラ、その他充電を欠かさなかった。けれど、今日はそうじゃなかった。寝ぼけた頭で、近くに放り投げられていたiPhoneをすくう。赤く、あと3%くらいしか充電がない、とiPhoneが言う。

そしてそれを見て悟るのだ。

「帰って来たんだな」って。日本では、別に急いで充電をする必要が、ない(本当に昨日は、眠くて)。地図はなんとなく頭に入っているし、あんなにすかさず写真は撮れない(撮らない)し、誰からも急ぎの、「迷った」とか「まだ買い物中だから待って」とか。そういう連絡は、入らない。

モロッコが、夢かと思った。よかった。

その考えが、世田谷をよぎる。あの10日間は、夢ではなくて。

榊さんは、成田で見送る時に、確かに私に言ったのだ。「夢の、10日間の始まりですね」と。私も「そうですね。行ってきます」と言葉を返した。

心は、体に遅れて旅先にやってくる。

では帰りは?

体は、旅先に心を置いて、先に日本へ、帰ってしまう。

心はまだ、モロッコの空を飛んでいた。写真という行為を愛していて、よかった、と私は思う。だから撮るのだろうか。あの一瞬を、なかったことにしたくなくて。いつまでも、覚えていられるように。

でも、できることなら、あの砂漠の信じられないように美しかった、二度と忘れたくない、もう一度戻りたい。そう、もう本当に美しかった。あの夜を、声を、音を、ベルベルの太鼓の音楽と、彼らの歌声を。録音でも、しておけばよかった。

砂漠を四駆で駆け抜ける時のBGMと、彼の横顔、砂の山の刻一刻と表情を変えるあの感じ。それらを動画で撮影していたことは、自分で自分を、褒めてあげていいと思った。

けれどまだ見ない。振り返らない。まだ私は、記憶の装置に頼ることなく、私の感性と記憶の中を、もう一度旅したい。旅を、することが、まだできる。のであれば。

動画は見ない。写真も見ない。一緒に旅した人たちにメッセージを送ろうともしたけれど、「帰って来ちゃったね」そう言ってしまえば、本当に帰って来てしまったことに、なってしまう。

毎日飲んでいたミントティーは、おみやげにしたからあと数十センチ手を伸ばせば、そこのデスクに置いてあるから届くけど。手は伸ばさない。モロッコの人が狂ったように好む、棒砂糖をたっぷりと入れた甘く、やっぱり狂ったミントティーなんて、まだ飲まない。

飲んだら泣いてしまう。噛み締めてしまう。帰って来てしまったことを。

まだ帰って来たくなかった。帰りたくない。


でも、今の私にはこれが日常だ。認めなきゃ。ただいま日本。さようならモロッコ。また、行くね。やっぱりあの喧騒と乾燥とカラフルと「シュクラン」の行き交う。海を越えた、大陸を挟んだ、アフリカの北の大地の、あの。モロッコという場所。

好き、なの。違う文化圏、違う記憶、いつもと異なる、色彩の。

それを、大好きになれた9人の人に、カケラだけでも一緒に見てもらえてよかった。せわしなく移動を続けた、秋の始まりの旅。いつも、そう。言葉を綴ることで、私は私の世界を生きる。整理をする。

そうしてまた、旅に出るのだ。いつまでも、きっと。


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