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私にそんな価値があるんでしょうか? 私がやっても(行っても)いいんですか?


自分の価値や行動などに、他人の許可がいるのか?

「私にもそんな価値があるんでしょうか?」
「私がやっても(行っても)いいんですか?」
「私が受け取ってもいいんですか?」

私は個人的に、こういう風に問いかけされるのが嫌い。ウザすぎる!


こう言う問いの裏側には、
「価値があると言って?」
「やってほしいって依頼して?」
「来てほしいって言われたい〜」
「受け取っていいよ!って言って?」
=私を受け入れて〜〜〜

って言う無意識の訴えが隠れてて、めんどくさい!

こう言う質問の仕方をされた場合、私以外のほとんどの人は
「もちろんあなたにはちゃんと価値があるよ?」
「もちろんあなたはやっていい(行っていい)よ」
「もちろんあなたが受け取ってください」

みたいに答える! 


こういう一見すると、「出しゃばらずに謙虚でへりくだってる風に聞こえる言い方」は、自分で自分をおとしめる自虐発言やから、聞いた相手は自動的にバランスを取ろうと言う意識が働いて、「そんなことないよ」って言いたくなるようになってんねん!

その「そんなことないよ?(あなたは価値があるよ?)」を引き出すための、姑息な手段に過ぎへんのが、あざとくて嫌い!

私がこんなに毛嫌いする理由は、被害者意識全開だった頃の私自身が、常に使ってた手段やから・・・。笑


被害者意識全開な人の典型的な特徴

人からの受容・許可を得やんと動けへん、満足できへんのは、
「自分の発言や行動に責任と持たへん被害者意識全開な人の典型的な特徴」

「いいんですか?」っていちいち人に聞かずに、自分で決めやがれ〜〜!笑

自分で「自分は価値がある」「自分はやる!いく」「私は受け取る」って決めたら、その結果に対する責任も「自分が取ることになる」からね!自分で責任取るのが怖いからって、他人を巻き込むな〜〜〜!


私はこんな類いの問いかけされたら、間違いなく・・・

「知らんわ」「自分で決めれば?」「行きたければ行け〜」「やりたければやれ」「受け取っていいかじゃなくて、受け取りたいかどうかやろ!」

みたいなことを言うてしまう!

相手から「受け入れられる」のを待ってる、『許可待ち・受容待ち!認めてもらえてるの待ち』は、承認欲求(「他者から認められたい、自分を価値ある存在として認めたい」という欲求)のあらわれであり、自尊心の低さを他人からの承認で埋めたがる、”被害者意識全開のめんどくさいかまってちゃん”やから・・・。

どんだけかまってあげても、どんだけ認めてあげても、底のないボトルに水を注ぐように、満たされることがないねん!

何度でも何度でも、何人にでも同じような問いかけをして、周りから「大丈夫!あなたは価値がある」みたいな反応をもらいながら、エネルギーを吸い取る「エナジーバンパイア〜」

私と接点のない、遠いところで幸せに生きてって欲しいな〜 笑


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