そこにセックスがあればフランス革命は起こらなかった byシュテファン・ツヴァイク「マリー・アントワネット」
ルネサンスまでは
「邪魔者を始末」しようとするとき
「たっぷり金の入った皮袋と引きかえに
確実な短剣を手に入れるか
毒薬を注文」した
18世紀は
博愛ー啓蒙主義の時代なので
もっと洗練された手段がとられた
短剣ではなく
「ペン」をもって
肉体ではなく
精神
道徳心を破壊した
世論を通して
微笑みながら
自由 平等 博愛という
理念を賭する戦いが行われ
祭り上げられたのは
1人の女の
女としての部分
悪魔
ひとびとの心の中の憤懣は
「誰か人間の姿をしたもの」
「犠牲の羊」
外在的な「悪魔」を欲した
マリーアントワネットの作者
ツヴァイクはこう言う
民衆は
「擬人的にしか、ものを考えられない
彼らの理解力が及ぶのは、
概念に対してではなく、
形姿に対してだ。
そのため彼らは
罪が存在していると感じれば
罪人を見ようとする。」
それが
マリーアントワネットだった
民衆という
持たざるものたちが
持てるものから
奪いに奪った。
自由という正当化のもと
平等を目指して革命を起こした
彼らはもはや
王に従わない
「新しい力──世論──に従う。」
アメリカ独立戦争から帰国した兵士たちが
アメリカから土産として
持ち帰ったもの
「新聞」「世論の力」
何を書いても
何を言っても自由
「国中が新聞のいうことしか聞かない。
声は大きいほどいい、
乱暴なほどいい、
もっと大声だともっといい、」
「真実と政治が
ひとつ屋根の下に住むことはめったにない…
マリー・アントワネットを
ギロチンにかけるために
取られなかった手段などひとつもないし
加えられなかった中傷もひとつもなかった」
博愛精神などどこ吹く風
マリー・アントワネットが
誰かしら
男性と仲良くしていると
「すぐそれを王妃の恋人と決めつけ」
彼女は
「倒錯的色情狂」と噂され
生まれてくる子は
「私生児と決めつけられ」るので
それを避け
女友達を殊更に大切にすると
今度は
「レズビアン」
朝の庭を散歩しているだけで
「乱痴気騒ぎの朝帰り」
噂=
最初のうちこそ
「女官たちの扇のかげに隠されて手渡されていた
こうした文言は
「シャンソンになり、
誹謗中傷文書になり、
ポルノティックな詩」
になり
「シャンパンなみに勢い」を持ち
宮廷を飛び出し、
印刷されて民衆の間に広まり
革命のプロパガンダとなる
ひとびとは
それを
「喜んで信じた
何かを見たい者には
すぐ見える」からだ
マリー・アントワネット
=
「ふしだらの権化」
「性的倒錯者」
「恥ずべき犯罪者」は
ルイ16世という
性不能の男性との結婚の影響が
「世界史にまで及んだ」
その結果
ツヴァイク曰く
フランス革命は
「実際にはバスティーユ襲撃ではなく」
「不能の王
性的欲求不満の女王」
から始まっている。
「たったひとりの性障害」が
全世界を
「世界の在りようにまで影響した。」
マリー・アントワネットが
夫とのセックスに
満たされていれば
フランス革命は
あのような形で
「起きなかった」
ルイ十六世の性的不能が
マリー・アントワネットの魂の成長に及ぼした影響
もともとのマリー・アントワネットは
「完全にノーマルな女性で、
女らしくやさしい性質を持ち、
子だくさんの母親となるべく定められ、
ほんとうの男を夫に持つことを願っていた
と思われる」
これは彼女の晩年が証明している。
彼女は監獄から1人なら脱獄できるという場面で
死を選んだ
晩年に
マリー・アントワネットは
やっと
マリー・アントワネットになった
彼女自身がこう言っている
「不幸になってはじめて、自分が何者か、ほんとうにわかる」
従って
ツヴァイクは
フランス革命を
「寝室の中、あるいは王のベッドの天蓋の陰で始まる歴史的事件」と呼んでいるが
王の性的不能が
「王と王妃の人格を心情的に規定し、
この要素を知らなければ理解できないような
政治的影響」を招いて
「マリー・アントワネットの恥辱」ともなったのだ
王が 眠りに着く「夜の11時」
アントワネットは「眼が覚める」
朝の4-5時まで
仮面舞踏会
賭博場
晩餐会や
舞踏会と、
いろんな場所へ出かけ
ほとんどいつも
「ベッドを別」
「生活の大部分も別」
にしていた王と王妃
そして
王が
起きる頃
アントワネットは
眠りについた
「夫といっしょの夜など過ごしたくな」かった
でも
「ひとりでいた」くなかった
「いつも生き生き動き回り、
追い回されていたい。
「ひんぱんに遊びを換えさえすれば、
あのベッドの秘密に根ざした
神経症的興奮状態を
やり過ごすことができる」からだ
彼女は
「退屈するのが怖い」
そう言った。
この
マリア・テレジア(母)や
友人たちが止めようとしても
止められないほどの
病的な快楽熱
「レズビアン」と噂されるほどの
女友だちとの親密な友情や
「近親相姦」と噂されるほどの
親子の強い絆
これはまさに
「王の不完全燃焼の男性性」が
生み出した
不完全燃焼の女性性
「男でない男
夫に値しない夫」
器官障害の夫により
「長い年月、彼女は不完全で屈辱的なやり方で刺激に次ぐ刺激を受け、そのくせただの一度も満足を得られ」ず
「彼女の神経を逆撫でし、
危険な昂ぶりを生じさせた」
「感じる能力を持ち、
感じたいと望む」女性は
「別の火」
で
身体を鎮めるしかなかったのだ
ボーヴォワールに怒られそうだが
性的に女性は男性に依存している
同じ年の親戚縁者や女友だちは、
夫がいるか、
恋人がいて
みんなとっくに子持ちだった…
アントワネットは
「まだ誰にも心を捧げたこと」もなく
愛を知らなかった
愛された経験も
なかった
「未だ征服されていない」彼女は、
「いつも周りに感動と興奮を求め」
強い欲求を
「女友だちへ向けることでそらし
絶え間ない社交で
内面の空虚を埋めようとしても虚しかった─」
そして
いつしか
王の性的不能説が
アントワネットの
性的倒錯説となり
同性愛者
近親相姦者
と噂され
マリー・アントワネットの恋人として
数えられた者たちの名前は30人越え
「王妃がふしだらな関係を結んだ人物のリスト」
『マリー・アントワネット、スキャンダル史』
『王立娼館』
など
エロティックなパンフレットも出版され
アントワネットの
息子と娘が
近親相姦の裁判で
その有無を巡って
闘うという非情な最終局面を迎える😢
「パンがなければ…
などという有名どころは
ツヴァイクによる
アントワネットの伝記
には全く出てこない
ツヴァイクは
伝記の役割を次のように述べている
ベルサイユのばらには描かれなかった
アントワネットや王のこのような性的苦悩
はオスカルを通して描かれたとも
言えなくもない
しかし
アントワネットには
ベルバラに描かれているように
確かに
フェルゼンという恋人がいた
アントワネット
死の直前
フェルゼンは
危険を顧みず
アントワネットを不眠不休で
最後の最後まで
何度も何度も
アントワネットに止められるまで
救おうと試み続けた
のに比して、
ルイ16世は
革命を止め得た最終局面においても
モゴモゴと
「噂では、彼らがやって来ると……我が問題は全ての良き市民の問題であり……その……皆、勇敢に戦いますよね?……」
はっきりしない口調、
困惑した態度
男としての「劣等感の典型的特徴」
煮え切らない
王のこの凛としない
男らしからぬ態度は
「性的欠陥についての知識」
彼のコンプレックスを
知らねば理解できないない
とツヴァイクはいう
「この種の喜びは大いに気に入ったので、長いこと知らないでいたのが遺憾だ』と
ルイ16世はけなげにも
言ったそうだ
しかし
それも続かず…
それに
男というのはそれだけではない
男が女を征服する
女を自分のものとする喜び
女を守りぬく男らしさ
よりも
王は監獄においても
「たらふく食べて
うつらうつら」だったそう💦
王は何を考えていたのか??
王は
「教科書を読むように歴史書をめくって」いた
「自分には理解不能なことを理解しようとし」ていたのだ。
アントワネットは
この時…
フェルゼンに
これ以上助けを求められないという
最終局面
自分で
自分を助けるしかない
そう覚悟したそうで
周囲の者達は
アントワネットの
その
凛とした姿に
心が打たれたという
そして
悲しいことに
王処刑の
1日前
王の
王らしさが最も光った
王の王たる真髄が
訪れる
このぎりぎりの時
最後の時にあたって
あかん
号泣
思わず ここで
号泣した😭
王は
性的コンプレックスを持っていた
でもだからと言って
アントワネットを
愛してなかったわけではない
心の底から精神的に愛していた
ツヴァイクが面倒臭い人は
ベルバラだけでも読んで欲しい
(でも ツヴァイクは凄いのだ
ウェス・アンダーソン監督による
映画「グランド・ブダペスト・ホテル」
はツヴァイクへのオマージュ)
アントワネットも分かっていた
王は
ただ
アントワネットと
性的に不適合だっただけだ
でも
その「だけ」が
これだけの「火」を引き起こしたのだ
ルイ16世はとても
理性的で
精神的に
落ち着いた
優しい男なのである
だから
彼は
たらふく食い
理性的で
平穏な態度を維持し
何もしようとはしなかったのだ。
しかし
「計算されつくした策略のもとで、賢明さなど!」
フランス革命が
今までの革命とは違うことを
王には理解のしようがなかった
そして
アントワネットの
愛されたいという「火」
そして
持たざる者の
持てる者への
憎しみの「火」は
理性では鎮火できない
それが
分からなかった王
ルイ16世
に
対峙していた
ロベスピエール
や
ナポレオン
の「火」が
その後の歴史を牽引していくことになる
我々は
生命の維持に必要以上のエネルギーを備蓄する
非連続の生き物
つまり「火」だと
バタイユは言った
そんな
非連続の過剰エネルギー流動体同志が
連続化し
「区別がつかないほどに溶けあい混ざりあい」
一つの鎖になる時
エネルギーは沸騰して溢れ出し、
その蓋は密閉状態で開かなくなる。
閉鎖空間で
人は連携し匿名となり暴徒化する。
バタイユはこれを呪いと読んだ。
フェルゼンは?
その後
歴史から消えたのか???
フェルゼンは
アントワネット死後
もはや
フェルゼンではない
彼は
もう
生きていない
彼の精神は
アントワネットと共に
死んだのだろう
愛もフロイトによると
「自身を失うこと」
愛もまた
自らを見失う「呪い」でもある
アントワネットが
死ぬ直前まで
はめていた
スウェーデンの紋章の指輪には
「全てが我を君へと導く」との刻印
そして
フェルゼンは
「彼女を見捨てる者は意気地なし」と
刻印された
フランス王家の紋章入りの指輪をはめ
スウェーデンではなく
フランスに常駐し続けた
アントワネットが
スウェーデンの紋章入りの指輪を?
なんたる非国民?
自己喪失?
愛は国境を越えるのである
そして
アントワネット
亡き後の
フェルゼンの喪失は残された者ゆえ
計り知れない
人を愛するということは
「自己のナルシシズムの一部を失う」こと
この喪失は「愛されることで補うことができる」も
その愛してくれたアントワネットはもういない
フェルゼンの
残りの人生
人が変わったようだったという
(フロイト ナルシシズム入門)
人を愛すること
愛を無駄遣いすること
マリー・アントワネットが
相思相愛の相手を
愛し
愛された存在であったなら
最もましな「呪い」
で済んだはずだ
フランス革命に
愛はなかった
ルイ16世は
自らを見失うほど
アントワネットを愛さなかった
人を愛すること
愛を無駄遣いすること
だけが呪いを解除する
フランス革命に
少しでも
非暴力
少しでもマシな
別の無血革命のかたち?
が可能だったとすれば
愛し
愛された者
同士が
一緒にいること
だったかもしれない
確かに
愛し愛される者同士が一緒にいられれば
そこにメロドラマは
生まれないのかもしれない
許された
ロミオとジュリエット
トリスタンとイゾルデ
なんて
お話にならない
ロミオとジュリエット すぐに離婚
なんて続きが
我々をがっかりさせたかもしれない
夏目漱石の
自然(不倫)へのためらい
エゴ文学も
尾崎紅葉の金色夜叉
もなかったことになる
結局、ひとはドラマ=「呪い」から目覚めることはできないのかもしれない
し…
フェルゼンとアントワネットが
一緒になれば
別の
大戦が
引き起こされたかもしれない
ただ
フランス革命という呪い
ツヴァイクの解明を通して
思い出されたのは
ナチズムのこと
ツヴァイクの別作品
「昨日の世界」
についてであった
フロイトがナチズムに追放されながらも
最後まで執筆に励み続けた様子など
ツヴァイクの手にかかると
また泣ける😭のだ
そして
フロイトが晩年
亡命先ロンドンで
書き続けた内容とは
バタイユに同じ「呪い」
人間の集団心理についてであった
フランス革命と
ユダヤ人大量虐殺
なんか違いある?
ツヴァイクはそれを描き出したのだ
マリー・アントワネットという悪魔は
人々が生み出した社会悪の擬人化
ヒトラー自身
近親相姦から生まれた子であり
のぞき見やサド・マゾ的な性行為が趣味
同性愛者で、
慢性的に自慰行為にふけっていたと言われている
性と暴力
エロスとタナトス 死の欲動
集団心理と
愛による鎮火
ツヴァイクの歴史的視点は鋭い
考えてみれば
フランス革命について
読んでいる我々
退屈が怖い
アントワネットが言ったが
アントワネット同様
暇
平和なのだ
ウィリアム・モリスは
1879年の講演「民衆の芸術」で
面白いことを言っている。
世界を変えるべく
革命に夢中になっている間は良いが
革命後の人生はどう飾るのかと。
いまや100均などでも買えるようになった
ウィリアム・モリスの作品。
アーツ・アンド・クラフツ運動を始めた彼は
人生を彩るとはどういうことかを考えたデザイナーでもあった
そしてラッセルも
1930年の「幸福論」において同様のことを。
社会がよりよくなると
人はやることがなくなって
不幸になると。
美しい音楽
美しい田園風景
美味しいご飯(笑)
愛する人
これ以上
何を望もうか
マリー・アントワネットが大金をかけて
制作しようとした
最も人工的
最も高価
で
最も自然な庭
当時 爆発的人気を誇っていた
ジャン・ジャック・ルソーの「新エロイーズ」の
庭の実現
は
事実
あちらこちらにある
現実の「自然」がお手本
マリー・アントワネットという少女は
走り回りたかった
田園コメディを演ずるのではなく
本物の田園を
フェルゼンと手を繋ぎ
散歩したかった
それだけだったに違いない
頭の上を30cmも盛り上げなくとも
何兆円もの無駄遣いなくても
そこに愛は
平和はあったのだ