見出し画像

進路に悩む息子との会話から見えてきたこと

現在高校三年生の長男。

周りはとっくに受験戦争に突入していますが、本人は絶賛悩み中。

そもそも大学に進学するべきなのか、はたまたどこかでインターンするか、世界に飛び出して修行の旅をするか...。

50歳を過ぎた私たちからすれば羨ましい悩み。でも、本人は苦しそう。この連休も、友達と遊んだ日もありましたが、あとはスマホと会話したり、昼寝したり、ドラムを叩いたりしながら、悶々と過ごした模様。

そんな連休最終日の深夜。

茶の間で長男とお茶を飲みながら、ぽつぽつ世間話をしました。明日から学校、久しぶりで眠れなかったのかもしれません。

長男との会話で見えてきたこと

ウチの方針としては、何より子どもの希望優先。どんな進路を取っても全力で応援するよと、常日頃話してきました。

もしこれが、自分たちの意向を絶対通したい親だったとしたら、むしろ長男も悩まなかったのかもしれません。

両親の言った通りの道に進むか、反発して全く違う道に行くか。

でも、それをやったら、問題を先送りしてしまうことになりかねません。(自分がそうでしたから)

親の価値観は、子どもにとっては、いやでも人間形成のベースになってしまう。何かあれば、そこに照らし合わせて考える基準のようなものです。

だから、さらにそれを押し付けるようなことは極力避けたかった。

私は夫と小さな会社を経営していますが、大きい組織ではないので、流れに翻弄される小舟のように、いい時と悪い時の振り幅が大きい。

子どもたちは自然、親の苦しんでいる状況を見ながら育つようになります。

今回も、よくよく話を聞けば、浪人したり、進学して道を探ろうとした時に、家の経済は果たして大丈夫なのか?ということを心配しているのがわかりました。

子どもという生き物は、親がどんなに出来の悪い生き物であっても、親のことを考えてしまうもののようです。

余談ですが、電車などに乗ったとき、怒鳴られても親の顔を見つめる子どもの切ない目を何度も見たことがあります。

子どもの虐待で何が悲しいって、いじめている親を頼らなければならないし、好きにならずにいられない、生き物としての子どもの性(さが)が大きいように思います。

未来を担う誰かの役に立つことが、自分の成功と表裏一体

長男から、仕事をする上でどういうことにやりがいを感じるか、若い時と今とでは何か違う点はあるか、と聞かれました。

それに答えていく中で、こんな話をしました。

私たちみたいに50も過ぎると、自然、もっと年下の人たちの役に立ちたいと思うようになる。何かしら響いて多少なりとも役に立った時、自分が何かに成功したことと同じくらい嬉しい。

若い人たちに何かが伝わるということや、貢献できるということと、自分たちの成功が同じくらいの達成感を感じるし、逆にいえば、若い人たちに貢献できることが、成功するための必須条件として織り込まれている。

だからもし、あなたが自分の行きたい道に進んで、それが親の負担になると思っているのなら、それは大きな間違いだ。

子どもたちの喜びは、親の喜びなのだから、そこで遠慮することは、親もがっかりさせることになる。それに、もしそれがあなたにとって必要なことなら、必ずそれに向かって進めるように自然とお膳立てされるものだ...と。

成り行きとは言え、思いがけず進路の話になってしまいました。

けれど、長男の質問に答えていくうちに、なぜ親が、子どもの将来をそんなに大切に考えてしまうのか、或いは、ある程度歳がいくと、なぜ若い人にあれこれ教えてあげたくなるのかについて、普段自分はこんなことを考えて生きてるんだなぁと改めて知ることになりました。

夜中の2時近くになっていたと思いますが、長男は「宇宙に興味があるから、そういう分野を学べる大学を探そうかな」といいながら布団にはいっていったのでした。

「人生、幾つになっても学べる」は間違ってはないけれど

人生100年時代になって、幾つになっても学び直しができるのが当たり前になってきています。

オンラインで在宅で学ぶこともできるなど、学びの方法も多様化し、学びがますます身近になってきていると感じます。それは本当にありがたいことですし、ぜひ賢く利用したいと思います。

しかし10〜20代の悩みと、今の私たち50代の悩みでは、根本的に質が違う。当然と言えば当然なのですが、やはりその時期にしか味わえない悩み方がありますよね。

いくら人生100年になったと言っても、いつまでも20代のように新陳代謝の盛んな若い感じでいられるわけではない。

例えば長男が50歳になって、私たちのように悩むとしたら、その質はこの10代での悩み方によって、全く変わってくると思います。

人生100年であっても、問題は先送りにできるわけではなく、やはりその時期その時期、真剣に向き合ったことが滋養となっていくことに変わりはないと思います。

迎え入れて、黙って見守る

「あなたは、こういった道に進むのがいいんじゃない」

と言うのは簡単です。

「そんなんじゃなくて、まずは大学に進学して勉強すべきでしょ」

と言うのも簡単。

でもそれをやってしまうと、子どもは自分で選び取ったという感覚のないまま進んでしまい、成功したとしても達成感が薄まってしまう。何かあったときに「あのときに親があぁ言ったから」という逃げにも繋がる。

たとえ1年棒に振ったとしても、今この時に、自分で自分の進もうとする道を、朧げでも決めようとするのが大事だと思います。

いったいどんな道に進もうとするのかな。

本人の腹が決まるまで黙って見守り、どんな進路を選んだとしてもそれを心から迎えいれたい。

本人が何を選ぶか、楽しみに待っています。

























この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?