親父の3回忌

今日、3月22日は、親父が死んで2年目の日。つまりは3回忌だ。←仏教的に2回忌という言葉はない。命日が1回忌で1年目が1周忌、だから来年は4回忌だ。

死んでから、いろいろと発覚した親父の所業と今のバアさんの様子を考えると、怒り、憎しみ、虚しさなどの負の感情しか湧いて来ない。懐かしさや感謝、親しみはほとんどないといっていい。多分、それはもっと先のことになるのかもしれん。

バアさんを介護しながら時折、思う。全ての根本が周辺を軸にしており、自らの人生を自分で歩いてなかったことの方が多かったのではないかと。だから常に外からどう見られていたかを気にしてて、外からは理想的な夫婦と思われていたけど、内実は“フェイク”に近い実態が、介護を必要とすることになってから表面化してきたのではないか。

親父にとって一番重要だったのは、中国大陸から渡って熊本・水俣市から始まった“白本家”であって、それを継いでる自分であったのだ。横溝正史作品の様に自らの出自にアイデンティティを求めたのだと思われる。

だから内密に実家への送金は欠かさなかった。バアさんの口座にあった貯金も全て隠れて送金してたのだ。

常に自分のことだけで、バアさんの年金の手続きなどは一切何もしてなかったし、口では“おかあさんを大事にする”といってたけど、ボケてから出てきた言葉を聞くと、それも“フェイク”であったと思う。

しかし…今となっては知る由もないけど、単なる小市民にしては俺にとっては“闇”が多過ぎる。

バアさんに届いた年金のお知らせ等も全て握り潰してたようだし、バアさんが好きだったパッチワークやパン等の料理に取り組むことにも難色を示してたし、取りたいと言ってたクルマの免許も取らせなかったし。

一方で、中年になってから再度、定時制の高校に行くなど、自分への投資(?)は欠かさなかった。優秀な成績で卒業することになって、地元の新聞に大きなスペースを割いて載った自分の写真を満足げに見てたのを、俺も妙に覚えてる。

何かがあって、バアさんの実家、上夷(ウエベス)家への復讐だったのか?と思わざるを得ないことが多々。バアさんを拉致に近い形で実家に連れて行くと、すぐに結婚式を挙げて既成事実を作って、バアさんの実家、上夷家への結婚の報告は数年後だったというし。結婚しても、しばらくは送金を続けていたというし。うーむ、わからん。

案の定、これらの一部を知ってから、バアさんの認知症は急激に進んでしまった。バアさんもまたアイデンティティの多くを親父に求めていたから。

戸籍を取り寄せて、また両家の親戚等に聞く中で、これらのことがわかってきたけど、結婚してはいけない2人だったのではとバカな考えが湧いてきて、俺も自分の出自を疑う羽目になってしまって、老醜を晒した両親を、「コイツらホントに生きてる意味なんてあるのか」と優生思想に繋がるようなことを思ってしまったこともあった。

元々、生きてることに意味なんかないのだ。意味なんていくらでも後付けできる。いくら老醜を晒そうとも、ただ生きてるからこそ人間なのだ。そこにはもちろん優劣なんかない。健常者であっても障害者であってもだ。

でも、やっぱり認知症老人の糞尿の処理は嫌悪感しかない。全人格の否定に繋がる。ということで、また後手後手だけど、施設に行かない日の朝はオムツ替えに30分だけヘルパーさんを入れることにした。

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脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。