イヤホンを外して流れ込む膨大な情報に包まれるがまま。
今朝、電車に乗るとiPodの電池が無い。
「あーあ」
音楽が無い通勤時間は苦痛だ。
と、思ってた。
今までも何度かこうゆう事はあったが、久しぶりだった。しかも今日はいつもよりも1時間半も早く会社に行くために早起きして眠気もあるから、ゆっくりと電車に揺られたかった。
しかし今朝は捉え方を変えてみた。
先日のコーチングトレーニングで学んだ
『今に居る。今を感じる。』
を一人でやってみようと思った。実験だ。
実際にやってみる。
自分の呼吸に集中し、目を閉じる。自然に手は足の上で組まれる。今回は自分の感情に入り込むのではなく、そこから自分の感覚を周囲に広げていく。僕がオーラを纏っているのだとすれば、それを半径10メートルくらいに広げる感じだ。すると、
電車の車輪とレールが擦れる音、風切音、遠のく踏切の音、なんだか錆び臭い匂い、隣の人のヘッドホンからの音漏れ、熱過ぎる足元のヒーター、急いで電車に乗ったせいか少し早めの心臓の鼓動、少し明るむ東の空から優しく入り込む光…
そんな感じですごい情報量と物や人のエネルギーが身体に流れ込んでくる。感じる。
ああ、今ここに生きているんだなと感じる。いやそんな立派な言葉でもない。生きているというより、自分というエネルギー体が一応ここに存在しているんだなというくらい。
いつもと違うのは情報量だけじゃない。
いつもは多少の音漏れをしてでもイヤホンの音量を上げて掻き消そうとしていた、ただただ煩わしいだけの雑音が鬱陶しいとは思わない。
これはこれでなんだろう、心地よいかもしれない。
きっと、物にせよ人にせよ、香りにせよ熱にせよ、それらが『居る』から初めて「自分が『居る』」という事を知れるのかもしれない。
今に居ようとしてみたら、今を感じてみようとしたら、「感謝」があった。
電池切れも捨てたもんじゃない。
ともですっ、最後までご覧頂き本当にありがとうございます^^