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負けず嫌いへの蓋。リングに上がる事から逃げていた自分へ。


おはようございます、ともです。
いきなりですが、

あなたは負けず嫌いですか?

自分の悔しさってどこから

負けず嫌いの人、そもそも競争を好まない人、競う事が苦手な人。いろんな人がいると思います。

自分はと言うと…

よくわからない。
負けたくなくて一生懸命に取り組んだ事もあるけれど、競争において悔しくて涙したりした事はない。
スポーツの試合においても、相手のファインプレーに感動して拍手する事もある。

思い返してみると、
『競争で勝った負けた』よりも、『自分の力を出せなかった』事に凄く悔しさを感じて涙したりする事があった気がする。


負ける事が好きな人はいない?

ある人が、

「競争が好きじゃない方がいるけれど、『負ける事』を自ら好む人はいないはずだ」


とおっしゃられていた。
確かにそう思う。負けて嬉しいのは男気ジャンケンくらいなものだ。
言い換えれば、

「結局人は競争において『勝ちたい』」


とも言える。
それが正しいか正しくないかは置いておいて、もしそう仮定するのであれば、自分の中の『勝ちたい』つまり『負けず嫌い』は何処へ行ったのか。


いつからだろうか、心に蓋をしたのは


本来あるはずの『負けず嫌い』は何処へ行ったのか。
自分の場合でまず思いつくのは、戦いからの逃げだ。言い換えれると、

「『自分の実力』を周囲に悟られない為に、そもそも戦いのリングに上がらない」

という意識だ。
これはおそらく、中学・高校生時代に作り上げてしまった意識だと思う。それについてはこの前の記事でも振り返ってみた。


https://note.com/tomohito123/n/n94f009dac7e9



つまりは、負けたくない(悔しい思いをしたくない、恥ずかしい思いをしたくない)という思いから、そもそも競争のリングに上がらないというアイデンティティを無意識的に構築してしまっていたのかなと分析した。


リングに上がろう

完全に自分に向けての言葉だけれど、リングに上がらないと、自分の今の実力はいつまで経ってもわからない。

つまりはどうやって成長すれば良いのか、それがわからなくなる。そしてわからないから努力のしようがなくなって、努力をしない言い訳となる。

そんなサイクルだと思う。

変わりたいのなら、
成長したいのなら、
リングに上がろう。

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