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迷彩

元々この記事は2021年8月に掲載した『2022年度大学編入試験体験記』という記事で、自分が5年間通った明石工業高等専門学校から東京大学工学部に編入学する際に受験した編入学試験を振り返る内容だった。しかし今、東大に合格したという事実はもはや過去であり、東大生というバッジにいつまでも縋っているような、何か上手くいかなかった時にどこか精神的拠り所にしてしまっているような自分には別れを告げなければならない。別に自分は何者でもないのだ。
そこで、ここに記していた元々の内容を全て消し去り、「迷彩」と表現できるような自分の心の中と向き合い、そしてここに言語化した。

※こちらの記事の続編という位置付けでまとめています。


20歳を過ぎてようやく気づき始めたことがある。

それは、この世界は元から不完全であるということだ。気づくのに時間がかかりすぎてしまった。無限に広がる宇宙の片隅に位置する「地球」という惑星は、あくまで無限に広がる宇宙の片隅に位置する惑星でしかない。別に46億年の歴史の中に地球のあるべき姿なんてものは無く、人間を含めた生物にとって都合の良いように作られている世界ではない。

イーロン・マスクの独裁的な愚行によってコンテンツとして完全に劣化したTwitterでは、いわゆる炎上や口論が永遠に繰り広げられているし、ウクライナ侵攻とか気候変動問題よりも前に、もっと狭い世界で絶望の要素が見え隠れしている気がした。

2023年7月上旬には、自分にとって人生史上最も屈辱的な出来事があった。とある1人の人間から自分の存在価値を全否定される体験だった。とにかく罵倒された。
その時の自分は限界だった。あれから時間が経過しても尚、ずっとその出来事が脳裏に張り付いているような感覚だった。
恐らく彼は「悪い見本」を全人類に自ら表現していたのだろう。憎悪が全く存在しない世界もそれはそれで危うく、人はいつか愛を忘れてしまう。だから彼は、一定数必要な悪の人間を演じてくれていたのではないか。なんてことを考えるようになってからようやく整理がつき始めた気がしている。

そして、上京してから生きづらくなってしまったと感じる最大の理由は、カレンダーの余白を埋めることに満足して、自分自身を自ら忙殺し、手段と目的を逆転させるような人間が多すぎると感じるからである。別にそれ自体を否定する権利は自分には無いが、そのような人間の中には忙しすぎるあまりに自分や自分の周りの人間を大切にしなくなる人間がほとんどではないだろうか。もちろんそうではない尊敬する人も知っているが、余白を埋めたがる人間はほとんどの場合人を大切にしないことは明白である。
もう少し自分と向き合う余裕を持とうとしても良いはずである。そして、もっとムダを愛でるべきである。

でも、現代社会の喧騒に惑わされずに、自分と向き合うのは難題すぎるのかもしれない。いわゆる社会問題の激甚化に歯止めがかからない現代社会の中で、人間は自分と向き合う必要性、あるいは必然性を見失ってしまっている。
社会問題として取り上げられるような主語の大きなもの、あるいは主語が自分ではないものにばかり注目して、そのような不安定なものに惑わされて、そして自分を支配してしまうような現代社会では、自分と向き合い、主語を自分に置いて考えることが難しいのかもしれない。

「自分と向き合う」とは、自分を客観視して、自分の見えていない部分あるいは見ようとしていない部分にしっかり向き合っていくこと。そして、「自分はこの世界をどう見るのか、そして自分はこの世界でどう在りたいのか??」を考え続けることだと思う。

自分の見えてない部分を見ようとすることは難しい。特に頭が良くて弱い人間だと、何か困難なことがあっても簡単に言い訳ができて理論武装ができるので、自分と向き合おうとすることなく、成長することができない。
自分もまた、相手に何かを指摘されても相手の指摘に矛盾を見出して、自分の不当性を見えないようにして今まで生きてきたと思う。人間は本当の意味で自分と常に向き合い続けなければならない。

自分を客観視しつつも、自分の主観を大切にするためのバランスは難しい。自分は今もそれができるようになっているとは思えない。でもそれができるようになると、自分自身が成長することができて、自分の周囲を取り巻く環境にも良い変化を起こすことができると信じている。

また、意見の主張が強い人、「この社会はこうなんです。」と断言する人たちは、たしかに自分よりもそのことを長く深く考えていて、それを論理的に分かりやすく説明してくれる。でも、それはあくまでその人のこの世界に対する一つの切り口の見方でしかない。「それは一理ある」といった捉え方が大切で、心の底から共感したのであればそれを受け入れるのが良いと思う。とにかく最終的には「自分の中でこういう答えを出す」「自分はこの世界をこう見る」という姿勢というか軸を持ち続けないと、自分には何が見えていなくて、何を知らないのかが見えなくなってしまうし、自らそれらを塞ごうと排除してしまう。
本を読む時も同じである。例えばコンパクトシティ政策が上手くいった都市の事例を紹介した本を読んで、コンパクトシティが正解であるとそのまま受け取って満足するのではなく、コンパクトシティのシステムとしての欠陥や他の地域に当てはめても上手く機能するのかという別の視点を持つことが大切で、そうしないと自分を見る力も自分自身も成長することができないのである。
そして、これらの文脈に関連した究極の事例が「学校」である。学校で一方的に教えられるような既存の概念についてのフレームをそのままに考えてしまうのではなく、それを別の新たな切り口から見ようとする必要があるし、既存のフレームのままにあらゆるものを見ようとし続けても何も見えてこない。例えば、色々な人と出会って話を聴いて、得られた既存の価値観のフレームをそのままに受け取っても、自分の中で新たな概念が生まれるわけではないことに注意する必要がある。

これらを踏まえた上で、自分はこの世界をどう見るのか、そして自分はこの世界でどう在りたいのか??

自分はこの世界で困っている人たちを助けたい。今も苦しんでいる人がいるのに、助けることができない自分にはなりたくない。なぜ自分がこのように考えるのか、考え続けたが分からなかった。ただ単純に、昔から自分はそういう人間だった。
でも、今までの自分は主語を自分に置くことができていなかった。同時に、この世界に生きる誰もがそれぞれ1人称単数の視点を持っていることを見失ってしまっていた。自分にとっての1人称単数の視点が重要であると同時に、その人にとっての1人称単数の視点があって、それは自分と平等であるということも忘れてはいけない。

Everybody has a different view of this world
I just want to live in harmony
There is no life that comes with a price into this world
I just want to treasure everything
みんなそれぞれ考え方は違うと思うけど
僕は地球と共存していきたいんだ
命に最初から価値なんてないけれど
だからこそ大切にしたいと思うんだ

深い森 / SEKAI NO OWARI

自分には、戦争に巻き込まれた人たち、病気と戦う人たち、差別を受けている人たち、いじめられている人たち、辛い思いをしている人に寄り添う人たち、あらゆる人たちを助けたいという思いが強すぎるという自覚がある。そんな人たちを助けたいし、できることなら何でもやりたいという思いがあるが、それは一方で自分は何もできないということを示しているのと同じなのだ。実際、そのように考えているだけで行動に移せないと、いずれ自分自身すらも見失ってしまう。

だからまずは自分を軸に置いた上でこの世界を見て、よく考えることが必要である。
その上で自分はこの世界の平和に貢献したい。自分がここだと決めたフィールドで、自分にしかできない方法で貢献したい。

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2023年7月に屈辱的な出来事があったと冒頭で触れた。その1ヶ月後、新潟県妙高市で開催された小中学生を対象としたサマースクールにボランティアとして参加した。子どもと遊ぶことが好きな自分にとって、純粋に楽しすぎる3日間だった。今までにも他のボランティアや学童保育のアルバイトで子どもたちと触れ合ってきたが、新潟妙高では「もっと子どもたちを大切に、そして自分も子どもたちを見習わないといけない」といういつもと違う学びがあった。
自分が心から尊敬する文化人類学者の方が「子どもを(社会の)真ん中に置けば全てがうまくいく。こども庁ではなく、こども省を一番上に置くべきだ。」と熱く語っていたことを思い出した。年齢を重ねるにつれて、さまざまなものに対する不満が増えてしまっているからこそ、今の子どもたちを見習って純粋な感性を大切にしていかないといけない。

新潟県妙高市で収めた写真(2023年8月)

都会に閉じ込められて鬱屈な感情で過ごした7月を終えて、自然豊かな場所で子どもたちと触れ合うことができたのは改めて振り返ると必要で大切なことだった。現代の人間はオフィスの中で指先と頭しか動かしていないし、もっと違う場所に行かないと新しいアイデアも生まれないと思う。
だからこそ、これからの人生の主軸として据えたい根源的な生き方として、「とにかく行きたいと思ったところに行く。尊敬する人のいる場所に身を置く。」ということを徹底的に実践していく。海の向こう側で確かめたいものがあればとにかくお金を稼ぐ。尊敬する人がいる場所・コミュニティにとにかく顔を出して自分自身を成長させる。これらを徹底していきたい。

再出発という形で、言語化を行いました。

「迷彩」 written on 2024.01.09


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