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芭蕉記3日目

2014年9月15日月曜日

夜遅くまでみんなと遊んだ帰り、シュンの家へ自転車を借りに寄った。 ふと見上げると夜空一面満天の星。あまりの美しさ、壮大さに声が出た。 
「ねぇ、シュン見て。すごいよ」
シュンはこの村に住んでいるから、そんなこと知っているだろうし、きっと何度も見上げてきたことだろう。でも求めずにはいられなかった。この感動を共有したかった。 シュンは私と同じ年で28歳だった。大きな身体をしていて寡黙で優しい黒い目をしている。そして言葉を発することなくこの夜に溶け込むように、にっこりと微笑んだ。 

この星々を前にしては、思考が完璧に停止してしまう。そして代わりに、感覚が全部開いてゆく。吐く息も吸い込む空気も、流れる血潮も、毛穴の奥までも、すべてが今この宇宙と一つになろうとしてゆくのが分かった。 

「モモ、私は出会ってしまったよ。モモが言っていたことはこういうことでしょ?」 そんなことを心の中で呟いた。

街に居る頃も変わらずこの星々は存在し続けて、私達をひっそりと、或は全開で照らし続けていただろうに、私達はそれを見ることができなかった。どこかで何か別のものを追い求めて、見えなくしていた。でも多分私はずっと望んでいた。今日この日に出会うことをずっと待ち望んでいた。自分に必要なものが何なのか、少し分かったような気がした。 この星々をやんばるの星空を仰ぎながら世界の大きさを知った。自分の小ささを知った。多くの天文学者も、先代の人々も同じことを想ったはずだ。

ノゾムさんは言った。 
「星は星で、人は人だから。多くの天文学者も、僕らと同じように小さなことで悩んだはずだ」 と。

だからこそ、そんな私達もまたこの素晴らしすぎる宇宙の一部であることが嬉しかった。 たとえば、この世界から私という人間が一人居なくなったとしても、誰かの人生を大きく変えるほどの力はない。それはたとえこの世界に私が生きていたとしても、同じことが言える。そう私はいつだって詠み人知らずで、その他大勢の一人で、名もなき群衆の民の一人なのだ。 私が生きていようが何処かで野垂れ死のうが、目の前にいない多くの人には関係のないことで気づきもしない、どうでもいいことなのだ。
だからこそ、嬉しかった。そんな名もなき私の元へこの素晴らしすぎる星々が降り注いでくれたことが心底嬉しかった。
天からのギフトはいつもここに。
私はもう少しこの世界の上で生きていたいと思った。

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