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ポジティブな感情を伴う道が正解らしいがそれを選ぶのは難しい

以前途中まで書いて、公開し忘れていた記事を見つけた。
気持ちが落ち込んでいた頃の感情だ。
当時の文章なので、いまいちまとまりがないが、ネガティブを脱せた記念に、少し加筆して公開しておこうと思う。



ネガティブを手放し、消化してしまおうという儀式のようなものなので、気が向いた人だけお付き合い願えたら嬉しい。



子どもの頃から我慢ばかりしていた。
だから、我慢は私の日常だ。
息をするのと同じくらい自然に我慢をしている。
あまりの自然さに、自分でも我慢をしていることに気が付かないほどだ。


先日、金曜日が祝日で休みだった。
久しぶりの金曜日の休みということで、木曜日の夜、すごく気が抜けてしまった。
どうやら私は、平日はとても気を張っているらしい。


週末が休みの人の場合、誰しもがそうであるかもしれないが、いつもの週末よりも気が抜けたと感じたのは、忙しさが一段落したからだろうか。


そんな折、ネガティブな感情は道が間違っているサインだという話を聞いた。
進むべき道が合っているサインはポジティブな感情を伴うとも。


ネガティブな感情が間違っているサインなら、我慢ばかりの私の半生は、ずっと間違っていたということになる。
嫌な思いをしてまでも必死で進んだ道だったのだが、それが間違っていたのならなんて虚しい人生なのか。


ポジティブな感情に従って進む道など許されなかった。
すべてを我慢し耐えてきたわけだけれども、抵抗しなかったわけでは無い。


望まぬ道を歩みつつも、その中でもマシな道を進もうともがいていた。
結局、自分が全く望まぬ道を進むことにはなってしまったが。


親の意に沿わぬ道を選ぶ覚悟がなかった。
だから、その道を選んだのは自分だ。
そう自分を納得させようとはしてきたが、いつもネガティブな感情ばかりの毎日だった。
そんな苦痛の日々が間違いだったなんて。


今までの人生は無駄だったと言われてるようで、またネガティブな感情が押し寄せる。
今からでも挽回することはできるのだろうか。


手がかかる時期は過ぎたとはいえ、子どもを放り出し頭を空っぽにして動き出すには、まだ、子どもが小さすぎる。
夫は自分勝手な人なので、こちらの都合は全く配慮しない。



あと数年経てば動き出せるとは思うが、それまではやはり我慢のときなのか。
それがまた間違いだったということにはならないのか。


何が正しいのかわからなくなる。
今の私が好きなことをするには、誰かの助けが必要だが、残念ながら助けてくれる人は見当たらない。


ポジティブな感情を伴う道が正解なら、夫のように家族を犠牲にしても我が道を進み続けるのが正しいのか。
我慢が好きなわけでは無いが、人を犠牲にしてまで自分を優先できないのだから、結果的に私は我慢を好き好んで選んでいるのかもしれない。


願わくばお互いが譲り合って助け合って生きたいのだが、残念ながら、夫には通用しない。
私の周りには我慢する人としない人の2種類しかおらず、我慢している人はもれなく不満を抱えている。


身近に自分ばかりを優先する人がいるせいか、ポジティブな感情を伴う道が正解と言い切れない自分がいる。
あんなに自分中心で動いている夫が、そこまで幸せそうには見えないのも正解と言い切れない原因か。



今更正しい道に進んだとして、今までの間違いを取り戻せるのかという疑問もある。
未だ迷うことばかり。
迷うのはまだゴールが遠いということなのだろうか。


時が過ぎ、ネガティブな記事を読み返す。
あの時はしんどかったが、今はネガティブ期を脱し、穏やかな毎日を過ごせている。



ネガティブ期を脱した今だって、不満が出るときもある。
それでも、何とか無難に生きている。
自分のためだけに生きるのはまだ難しいけれど、その中でも楽しいと思うことを多く経験していきたい。


明日は子どもの付き添い。
1人で両方に付き合うのは無理なので、心配だが、1人は置いていく。
こんなとき、誰かの助けを得られれば安心なのに。


そんなことを考えても仕方がないので、子どもたちに成長してもらうしかない。
子どもたちも不満を抱えて生きている。
ポジティブな感情だけで生きるのが難しいのは、私だけではない。


早いもので、今年も間もなく半分終わる。
今年は思った以上に変化の多い年であるが、年後半はどうだろうか。
出来れば心配の少ない毎日であることを願う。



いや、きっと、とても楽しい毎日になる。
ネガティブ期を卒業した今、そう決めることにしようと思う。




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