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嫌いな人の嫌な行動は自分にとっての課題だったという事実

昨日、私の苦手な人のことを記事にした。
その人のことを書いたのは、たまたま一昨日その人の誕生日を知ったから。
ただの偶然で、他意はない。


ちなみにその記事はこちら。
まだの方はこちらからどうぞ。

昨日はいつものようにYou Tubeを聞きながら作業を行っていた。
おすすめに出てきた動画で、何となく選んだ動画なのもいつものこと。


確か、因果応報とかカルマとかの話だったと思う。
その動画から突然、嫌いな人の嫌な行動は、実は自分も持ち合わせている一面で、自分より酷い状態を見せられているというような話が聞こえてきた。


正直、昨日の今日でなぜと言う思いだった。
こんな偶然あるのかと。



その話によると、私の苦手な人は、あえて私に見せつけるために、私の前で、私が嫌だと思う行動を起こしていたということになる。


確かに私と同じだと思ったが、このように文章にされてしまうと、苦笑いするしかなかった。
ああ、あの人は私の魂を磨くために、あえて嫌な役回りを引き受けてくれたんだなと。


よくよく考えてみると、私が苦手とする人はたいてい、私の欠点を拡大したものを全面に出してくる人のような気がする。


例えば、昨日の人のように、自分を守るために虚勢を張って、高圧的に人に接してしまう人。
他には、自分ばかりが恵まれていないと不幸アピールしてくる割に実態はそうでもない人など。


それらの行動は、彼らほどではないが、私も無意識にしていたことだと思う。
程度の差はあれど、私も同じ穴のムジナだった。
つまり、同族嫌悪というわけだ。


もう、気がついてしまったら、反省以外することはない。


自分より酷い状態を見せられて、自分の状態の改善を促されている。
そう動画では説明されていた。


なるほど。
確かに。



私は一昨日、苦手な人が私と同じだと気づいて、自分の反省点と今後の課題を再確認したわけだ。
しっかり改善を促されている。


それに気がつくと、苦手な人たちに感謝の気持ちが湧いてくるほどだ。
気づかせてくれてありがとう。
おかげさまで私は成長できましたと。


人とのご縁とは、面白いようにできている。
彼らと対面するのはストレス過多だったし、不快だった。
でも、確かに彼らは私が成長するためには必要な人たちだったのだろう。


その動画によると、自己改善できたなら、嫌いな人は嫌いでなくなるか、そもそもご縁が切れて、自然と会わなくなるらしい。
それを聞いて、これも確かにと思った。


昨日の記事の人は、環境の変化により、おそらく今後は今までより会わなくなるだろうし、会話することも減るだろう。
もう一人の人は、去年ご縁が切れたと思う出来事があった。


こんな動画に偶然出会ったのは、運命的だと思うわけだが、それも潜在意識の為せる技なのだろうか。
おそらく、私にとってはベストなタイミングでこのことについて学ぶことができたのだと思う。



さて、苦手な人、嫌いな人と言えば…。
そう、毒親たちである。
以前、私が毒親のもとに生まれた意味の記事を書いたが、そういうことなんだろう。


今回のことで、苦手だった人たちに感謝できるようになった。
もしかしたら、毒親たちにもっと感謝し、許せるようになる日も近いのかもしれない。
そんな期待が膨らむ。


だって、親を許さないのも許せないのもきついから。
心から感謝し許すことができたなら、やはりそれが私のためには一番良いことなんだろう。


外側は内面の投影だったと引き寄せの法則で学んではいたが、その実私は、真に理解はしていなかったらしい。



もし嫌いな人が現れたら、それは自己改善のチャンス。
ますます自分が良くなるための布石にしていこう。


例え嫌なことをされたとしても、今後はストレスだと認識せずに、踏み台だと割り切ることができそうだ。



なるほど、今度はこれを学べと言うことかと、闘志を燃やすことはあるかもしれない。
だけど、決して傷ついてなんかやらない。


私にとっての有意義な教材たち。
ありがたく勉強させて頂こうと思う。




関連記事はこちら。
私が毒親のもとに生まれた意味について考察した記事。

引き寄せの法則についての記事。



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