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おみくじで知らせてくれる神様のメッセージは私の道標 #1/3

私は、毎年2月にご祈祷に行っている。
ご祈祷に行き始めたきっかけは、私を見守ってくださる神様と出会えたから。
今年もご祈祷に行ってきたので、私が毎年ご祈祷を受けるようになったきっかけをご紹介しようと思う。



神社を参拝すると、おみくじを引くことがあるだろう。
私もたまに引いていた。



その神社は、自宅から程よい位置にある神社だが、子どものお宮参りなど、特別なときにしか行ったことがない神社だった。
なぜなら、初詣は実家近くの神社を参拝していたので、日常的に行くきっかけがなかったのである。



転機が訪れたのは、二人目の妊娠中。
出産間近だったため、その年は年末年始の帰省を控えた。
そのため、初めて初詣でその神社を参拝してみることになった。


一般的な参拝方法で初詣を終えた私だが、年の初めということで、おみくじを引いてみることにした。
そこに特別な思いがあったわけではない。
何の気なしに、縁起物が添付されているおみくじを引いた。


おみくじの内容は特に覚えていない。
添付されていた縁起物ものが『カエル』だったのが、ちょっと残念だった。
だって、やっぱり金運アップとかのほうが嬉しいに決まっている。


無事に『カエル』なんて、当たり前過ぎて、ありがたみを感じなかった。
しかし、その後すぐだった。
私にとって必要だったのが、まさに『カエル』だったということを知るのは。


それから数週間後、陣痛が来て、出産した。
出産自体は二人目ということもあり、病院に着いてから30分で産まれた。
一人目は何時間もかかったから、今回は早くて良かったなぁなどと、のんきに考えていた。


しかし、どうも様子がおかしかった。
「心音が右から聞こえます」
そう言って、看護師さんがバタバタと処置していた。


前日から陣痛のような痛みがあり、寝ていなかった私の意識は朦朧としていた。
看護師さんが何を言っているのかわからなかった。


「このまま受け入れ先の病院を探して運びます」
そんな感じのことを言われたような気がする。
冷やされて震えているのか何で震えているのかわからなかったが、とにかく寒かった。



受け入れ先が決まった産まれたばかりの我が子は、救急車で運ばれて行った。
何が起こったのか、全然わからなかった。
二日寝ていなかった私は、そこで一度意識が遠のいた。


数時間後目覚めたが、寝ている間も起きてからも何の連絡もない。
息子に付き添って行った夫に連絡してみても、待合室でずっと待っているだけで、何もわからないとのことだった。



早朝に運ばれて行った息子の様子がわかったのは、結局夕方だったと思う。
産院に戻ってきた夫が言ったことは、以下のようなことだった。



自発呼吸ができないこと。
手術が必要なこと。
今は手術する体力がないこと。
体力がついたら手術をすること。
手術は助かるか助からないかなので、大きな障害が残るか否かは今は問題ではないこと。


情報量が多すぎて、処理しきれなかった。
時間があれば、携帯電話で病名や症状を検索したが、大した情報は得られない。
それどころか、残念な結果になった情報ばかりが出てくるので、目が痛くなっても必死でポジティブな情報を探した。


数日後、やっと対面することができた息子は、保育器の中でチューブに繋がれていた。
まだ名前も決まっていない小さな赤ちゃん。
看護師さんに、「なるべく早く名前を決めてくださいね」と言われ、〇〇ベビーと書かれた診察券をもらった。(〇〇は私の名字)


神様はわかっていたのかもしれない。
こうなることを。
だからこその『カエル』だったのかもしれない。
そのときの私に一番必要だったのは、金運アップの縁起物ではなく、無事『カエル』だったのだ。


これより以前に同じおみくじを引いたとき、『カエル』が出たことは一度もなかった。
何なら、『カエル』は嬉しくないので、嫌だなとも思っていた。



このような不思議な体験は、これを皮切りに続々と起こることになる。
その後もいろいろあって、私は毎年ご祈祷を受けることになるのだが、少し長くなってしまったので、続きは#2で。


ちなみに私は、今も昔も霊感はない。
これ以前に不思議な体験はなかったことも付け加えておく。




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