見出し画像

『発達障害(ADHD)』と診断されて。

いつ、どこで、見て聞いたかも忘れてしまったが、発達障害という言葉に出会ったのは結構最近のことだと思う。自分がずっと抱えていた生きづらさについてネットで検索したり、本を読み漁ったり、Twitterで『生きづらい』と検索すると出てくる多くの人たちの声を聞いて、僕の中で確信と否定に変わっていく。

自分も発達障害なのか? それともただの努力不足で無能なだけではないのか? 

今までの半生を振り返って、仕事での失敗や、多くの人たちと関わってきた人間関係でのコミュニーケーションの摩擦から、この世はなんて生きづらいのだろうと常日頃思っていた訳だが、つい最近ようやく重い腰を上げて精神科を受診し、検査を受けた。

結果は、ADHDの不注意優先型と診断された。2時間に渡る心理検査の結果である線と数字で表示された凸凹のグラフを見て、安心と同時にこれから先の事をずっと考えていた。ADHDと言っても症状は人それぞれで、自分の場合は以下のものが当てはまる。

1、マルチタスクが出来ない/ケアレスミスが多い
2、優先順位を付けるのが苦手
3、曖昧な指示語の理解(あれ、それ、向こうと言われても、どのくらいの距離なのか、何を指しているのか理解出来ない)
4、感覚過敏(刺激の強い光/急な物音に敏感)
5、集団に馴染めない(不注意によるもの? 満員電車や学校のクラスなどに対する苦手意識)
6、物忘れ(考えていた事を忘れる/物を何処に置いたか忘れる。偶に所持品を忘れる)

逆によく言われる先遅り癖や、部屋の片付けができないとか、衝動買い、遅刻などの時間を守れないなどの症状はあまり無い。そう言ったよく当てはまるものと当てはまらないもの差が大きく、診断を受けるのに躊躇した点でもある。

今まで発見が遅れた要因は他にもあって、自分を例に出すと言語能力が高く、処理速度やワーキングメモリーが低いような場合は他の人と同じように喋れている、コミュニーケーションが取れてしまうからこそ発見が遅れやすいと思う。学生時代は実際に勉強自体は苦手でも提出物を出せているし、落ち着きがないなど目に見える症状が出にくいので周りからも気付かれにくい。実際に母に子供の頃の話を聞いても、普通の子だったとしか言われなかった。

今の自分は相変わらずの無職の状態で、求人サイトを見ては現実逃避する日を送っている。診断してくれた医師は半年後に障害者手帳を発行出来るから、障害者雇用も検討してみたらいいと言われたので一般雇用以外の選択肢が増えたと思えば良いのかもしれない。

正直に言うと自分が障害者だという実感があまりない。自分のプライドが邪魔しているのかもしれないし、日常生活で困ることは特にないと思っている。普通に顔を洗い、歯を磨き、散歩をして、食事を作り、休日はどこか遠くに遊びに行き、本屋で面白そうな本買って読み、コーヒーを飲んでいる。

仕事には確かに支障が出る。会社という組織で動くのだから仕事が出来ないことやミスという失敗は致命的だ。だが、重要なのは、

自分の欠点を理解した上で、これからどんな形で社会に関わり、少しずつで良いから自分のペースで生きる事なのではないかと思う。

僕は皆んなで協力して仕事しよう、皆んなで何かを成し遂げようと思う帰属意識のようなものは持っていない。意識が圧倒的に低いし、皆んな一緒みたいな意識に疑問やら気持ち悪さを感じて仕方ない。実際にUberの配達員や日雇いの仕事のような一人で完結する仕事は気持ちが楽だった。

僕は例え、馬鹿だから、障害者だから、無能だからと言われても、その場では自分はそうなのかもしれないと落ち込んだり、反省はするがそれで良いと自分を肯定する事にしている。

仕方ない、じゃあ別の道を探すかと言った感じだ。良くも悪くも発達障害は生まれながらの特性なので、薬で抑える事も出来るが、僕は飲んでいない。薬を飲んで周りと同じように生きる事を選ぶより、自分らしく生きられる場所を探した方が金銭的にも気持ちも楽だと思うから。

何処かで『青年は荒野をめざす』という小説を見た事がある。まさに僕たちは人生という荒野をただ闇雲に歩いている状態なのだ。先なんてものは分からない。何処までも続く荒野で一列になって皆んな一緒に歩こうなんて言われても意味が分からない。何処にも道なんてないのだから。


一寸先が闇なのだから、僕は自分という足を持って荒野を歩く。



他人の人生ではない、自分の生き方があると何となく信じて歩くしかないのだ。



この記事が参加している募集

僕の記事が気に入ってくれたらサポートお願いします!皆さんのサポートで新しい珈琲を飲みに行きます。