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【決めるだけ】はやめるだけ、ってこういうことだ

2泊3日のホテルステイ。
あっという間ですね。

【欲に従う】行動を止めにかかるものの正体とは?

ほぼお部屋から出ることなく
窓から景色をボーっと眺めながら
浮かぶままにノートをし、
こうして言葉にしています。

普段から基本的には引きこもりで
「半径1メートルの私の世界」だけでも
飽きずに延々と楽しめてしまう。

でもこれを安心してできるようになったのは
ノートを書くようになったから。

それまではそのような日常に
「代り映えしない」
「つまらない」というラベルを貼って

今日も何もしないで1日が終わった。
そう嘆いていた時もありました。

毎日がキラキラしている人としていない人、たったひとつの違い。

変化を求めて外に探しに行くような日々は
刺激的ではあるけれど、疲れる。
でもその疲労感こそが、頑張った証。

いつからかそのような勘違いをし
疲れていても止まれなくなって。
しかし、

狩りに出て獲物を獲得しなければ。
という何かをゲットする意識よりも

今目の前にあるものを慈しみ育む。
こっちのほうがはるかに簡単で
かつ満足度が高いものであることに

ノートで私と過ごす時間が
気づかせてくれました。

家の中、
今までの生活
「今のままで」
100%満たされていた。
今も、今までも。
ここにすべてがあったんだ。

ここをスタートにするからこそ、
外に向かうという行為が
安心してチャレンジできるものになるのです。

還る場所をしっかりと
わかっているから。

だからまずはこの土台
「全部ある」から取り組むのが
絶対に良いと思う。

このままで良い。
この私のままで良いんだ。

これが本当に腑に落ちた時、

今度はそれを壊していくことが
出来るようになるから。

これが私だ。
と思っているそのセルフイメージを
壊しながら作り直していくのだ。

旅のお供に。
今回はすぐ近くのホテルだが(笑)


それには、
理想の世界に身を置いて感じてみる。
つまり、こうだったらいいなをやってみる。
これがすごく大事なんだと思う。

そうするともれなく、
今の自分にがっかりすることのほうが多いから(笑)

例えば、
憧れの素敵なホテルに来たとして

鏡に映る自分
持っているもの
着ている服なんかはわかりやすい。

でもそういった目に見えるものだけではなく、
変に思われていないかとビクビクしている自分や

お金なくなるなー
こんなことしてて大丈夫かな、

何なら全く関係のない
お母さん怒っていないかなとか(笑)

せっかく1人の時間を持ったのに
心ここに在らずで

今目の前の空間を感じるどころか、
ソワソワふわふわと
ここではないどこかにある
余計なことばっかりに

常に気をとられている自分にも
気づくたびに心底がっかりするのだ。

そうやって残念な自分を直視するのは痛いけど
しっかりとそれを感じるから

じゃあ、どうしたい?が
選べるようになっていく。

ここにいる人の分だけ
人生のドラマがあるんだなー。
ひとつとして同じものがないってすごいよね。


普段自分が好んで使っているモノが
この空間に来ると合わないと感じるんだな。

こういう整った空間で生活したいな。

見た目を整えるのは大事だな。
場にふさわしい人で在りたいな。

ここにきてまでお母さんのこと考えるなら
普段からもっと大切にできるといいな。

月に1回はこういう時間を持ちたいな。

「もっと今に感謝して生きたい」
「経験できることを素直に喜び味わいたい」

残念な自分を感じることは、
その先にある

もっとこうだったらいいな。
という願いに必ず繋がっていくから。

そしたらさ、
今やることってハッキリしてくるじゃない?
特別な何かではなくて、今すぐできることが。

☑︎帰ったら、心が喜ばないものは処分しよう。
☑︎体のケアをもっとしよう。
☑︎動きたいときに身軽に動けるように体づくりをしよう。
☑︎普段からもっと家族とコミュニケーションとろう。
☑︎本当にやりたいことにもっと時間を使いたい。

つまりそれは普段から、

→不要なものを放置するのやめる
→安いからで買うのはやめる
→乾燥を感じるまで放置するのをやめる
→お腹がすいていないのに食べるのはやめる
→5分で行けるのに車を使うのやめる
→言わなくても察しろよ!はやめる
→ありがとうって言ったら損!をやめる
→本当はやりたくないことをやめる

というように、
日常でやってしまっている
余計なことをやめていくこと。

ついつい何か新しいことを始めることに
目がいきがちだけれども

今の習慣のまま
新しい何かをすることは
これまたとってもハードなことだから。

「決める」ってこういうことなんだ。

お昼ごはんは
蜂蜜のお店でアップルパイを



やったことがない
行ったことがない

今の自分の当たり前とは
遠いところにあるモノに
初めて触れる時、

ソワソワ、ザワザワと
なんだかとても居心地が悪い。

それを
「やっぱり好きじゃない」とか
「合わない」とすぐに決めてしまうのは
本当にもったいないことだ。

「一回体験したからもういっか」と
わかったつもりになるのもヤバい。

糧にもならず
だだの消費で終わるパターン。

動いても
振り出しに戻るだけで
拡がりも繋がりもない。

今振り返ると、
随分とこのパターンで
もったいないことをしたものだ。

決めたら、そう在る。
それは言葉の上だけでなく、
日々の無意識の行動を
ちゃんと確認し
決めた方へ合わせていくことなんだ。
それが当たり前になるまで。

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