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「自分勝手」に生きるべき

最近実はよく上司と衝突する。

理由は多々だ。コロナ禍からもう1年だろうか。何が変わったのか。それぞれが言いたいことを会議の場で言えているのか。今、取り巻く環境、日本で、世界で、未来は、現在は、いったい何に向かって進んでいるのか、何が求められていて、何が人気があり、みんな何をしたいのか、どうありたいのか。

情報と知識とロールモデル、を駆使して自分と、そして自分たちと照らし合せて判断や新たな目標を設定しないといけない。のかと思う。

が、出来ているのだろうか。需要は日に日に変わり、供給も日に日に変わっていく。

「いつか戻る」

「今は出来ない」

「みんながみんなそうではない」

理想とか現状維持とか組織のあり方、考えることはもちろん千差万別だ。

偶然Twitterを観ていて面白いnoteを発見した。

僕は

「クリエイティブに思考していく」

「意味づけをする」

「知恵をもらって、キャリアを積んでいく」

という言葉が印象的だった。

キャリアを積んでいく、とてもいい表現だし、人によっては捉え方も変わると思う。でも、僕が思うのはこれは個人が自覚し、読んだり、話したり、聞いたりして自分と置き換えた時に初めて行動となる一例ではないだろうか。

キャリアは基本、自分自身にしかない経歴だと思う。上がるにしろ、下がるにしろ主観的に自分が目の前にある仕事をどう取り組むのか、そこから生まれる付加価値などはみんなにとってどうだろうか。また自分自身もそこからアップデートできるだろうか。主観的にも、客観的にも作用することではないだろうか。

同じことをして、同じように需給が成り立つ産業、商売があればいいがなかなかそうはいかないのが現在だと思う。テクノロジーとそこからの副産物である生産性がGDPやGDP per Capitaと連動しているが、ここ最近のテクノロジー(産業革命以降)はこの200年で産業革命以前のほぼ2倍の成長から50〜200倍に成長している。

安宅和人先生は自らの著書「シン・ニホン」でこれからもしかしたらもう1度この生産性がもう1段跳ね上がる瞬間の中生きているのかもしれない、と仰っている。

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なぜその潮流に乗じないのだろうか。なぜ目標や目指すゴールがある程度画一化されているのに、取組む人と取り組まない人の差が産まれるのだろうか。

自覚し、覚醒した人が企業組織でなすべきことはそれを共有して、同じストーリーをそれぞれがロールモデルとして実践して経験することがまず今のテクノロジーの中で求められているような気がする。手を動かし、新しい技術から得る便利さ、早さ、シンプルさを目の当たりにした時、胸に手を当てて欲しい、鼓動が早くなっている自分に気づく。

いつしかその感動や、これまでに無かった新しいアプローチ、特にこんな時に新しいことを知ったり、経験したり、からだ全体で知った時、人はきっと「クリエイティブ」になるだろう。今までこんなこと考える脳みそが私にも、俺にもあったんだと、そしてその片隅にあった脳がこう訴えかけるかもしれない、

「もっと手を動かせ、書け、残せ、伝えろ、発信せよ、みんなが知って、うわ!とか、すごい!とか、ありがとうございます。といったフィードバックに目覚め、感謝して、また発見せよ、と。」

気付いて、手を動かし、実感して、涙するくらいテクノロジーや新しい事を知る喜びを得て、経て、共有して、何かをしようとしている人がこれからの世の中を動かすんだと思う。

いろんな人の言葉や考えが、共鳴している。そして諦めかけていた自分に鞭を打つようになる。言葉が何よりもの支えだ。

「愉快な人生おくりたけりゃスタートアップ行きません?」

「自分勝手」に生きてください。

ピッチャーが投げたボールは必ずいろんなスピードを通じて打者に向かって届いてくる。そのボールは情報であり、知恵であり、テクノロジーと様々だ。

同じようにそのボールを打って得た人が同じ様なボールを、今度はピッチャーになっていろんな思いで投げる。

同じことをして変わらず、新しいことをしようとして、プランして、絵に描いて(パワポ、PPT)、ボトムアップして思いを伝えても届かず、チームみんなの底上げをして欲しいが、マウンドに立つピッチャーがキャッチャーのミットめがけてド真ん中のストレートを投げても打者が立っていない。

「自分勝手」に生きてください。そのまま捉える人もいるだろうが、360度からこの言葉をよーく考えるととても意味が深い。

間違ってないと思う、なぜなら、

「クリエイティブに思考していく」

「意味づけをする」

「知恵をもらって、キャリアを積んでいく」

を実践してきたし、これからもそこに「発信」していき、「変化」していくから。

もう企業組織や群れをなす、ではないように思える。個人が「自分勝手」だが、一歩先ゆく人であり、自分のやりたいことをただする社会が整っているように思えるから。周りではなく、自分自身に1本太くて重い錨がおろされていればいいだろう。

最後に僕がもっともそうだなと思う言葉、いや、もうこの言葉のおかげで変わろうと思った言葉で今日は締めたい、

未来は目指すものであり、創るもの
(安宅和人「シン・ニホン」)

この思いがたくさんの束となり、自分自身と家族、子供たち、自分を取り巻くあらゆるヒトがそれぞれの未来を前進させることが今もっとも必要だろう。

創り、創られ、創造し、それをやるのはわたしたち、ぼくたち自身だ。少しでも、一片でもいいあらゆるカタチや思いでチャレンジしようではないか。

今日もお読み頂きましてありがとうございます。週末は休稿を予定していましたが、いろんな人達の思いがまた勇気となり、ペンを取らせて頂きました。

追伸
今日のフォトはquice2018さんの作品。アングルも構図も最高な作品ですよね。お子さんの成長はとても早い!週末はボーナスステージ、目一杯一緒にお過ごしくださいね。


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